第15話 龍殺しの槍

「リチャード様……! 背中の傷が……弱点……ッ!」

 ルビー・ドラゴンに対峙する槍使いに向け、アルトは声を振り絞る。


「む……」

 わかっている、とでもいうかのように、ドラゴンから視線を離さぬままリチャードは頷く。


 直後、その姿が掻き消えた。


 無造作に立った状態から、瞬時に最高速に達する。その急激な動きに、眼がついていかないのだ。

 さらに、稲妻のような軌道を描いて何度も急激に方向を変える。その間も、彼の速度はわずかでも落ちることはない。


 ドラゴンがブレスの照準に迷う間に、紫電の槍使いはその巨体の間近にまで飛び込んでいた。


 ブレスを浴びせるには近すぎる。それならば小さな人間など丸呑みにせんとばかりに、ドラゴンの顎が大きく開かれる。


 だが、その巨体ゆえに、隙も大きい。並の人間ならばともかく、リチャードほどの使い手ならば懐に潜り込み、その隙を突くことも難しくはなかった。

 迫りくる顎の横をかいくぐると、すれ違いざまに頬に刺さった槍を引き抜く。


 これは、アルトが後に聞いた話だ。


 リチャードが操るのは、紫電流しでんりゅうと名付けられた槍の技。この世でただ一人だけに許された、一子相伝の槍術である。


 八代に及ぶ紫電流の伝承者たちは、槍の動きに加え、剣、棒、戟をはじめ、ありとあらゆる武器の技術を取り込んで磨き上げ、そしていかなる状況にも対応するための百八の槍の技を生み出した。

 刺突だけでなく、斬撃、打撃、薙ぎ払いと、敵に合わせて一本の槍を変幻自在に操る。

 不意にリチャードの体が、ふらりと傾いたように見えた。ただそれだけで、自分を踏み潰しに来た右前足を紙一重でかわす。

 体を捻りながら体勢を戻すと、回転をそのまま槍に乗せて振り抜く。地に触れる寸前の前足、人間でいうならば二の腕にあたる部分を真っ直ぐに斬り裂いた。


紫電流槍術しでんりゅうそうじゅつ、『斬鉄槍ざんてつそう』-


 鋼をも断ち斬る、槍による斬撃。

 生物としては最硬といわれるドラゴンの鱗が相手でも、その威力は遺憾なく発揮される。さすがに足を切り落とすことはできなかったが、右前足にくっきりと深い傷が刻み込まれていた。

 着地の衝撃でさらに傷が開き、人間のそれと変わらぬ色の血が噴き出す。前にかがみこむようにドラゴンの体勢が崩れると、その体に突き立てた槍を支点に、リチャードはドラゴンの頭上へと跳び上がった。


 槍を持ち替え、交差した両手を開くようにして槍を半回転させる。そのまま右手を軸に槍の回転は加速した。

 リチャードはドラゴンの鼻先を蹴って跳び、槍は大槌のごとく振り下ろされる。体重と遠心力を十分に乗せた槍の柄が、ドラゴンの眉間をしたたかに打ち据えた。


紫電流槍術しでんりゅうそうじゅつ、『墜天槍ついてんそう』-


 斬撃も刺突も伴わない、純粋な打撃技。命中の瞬間、槍を引くようにずらし、衝撃を対象に沁み透らせる。


 その一撃は、硬い鱗と厚い頭骨をすり抜け、その下にある脳を揺さぶった。

 一瞬、ドラゴンの意識が飛ぶ。

 それは、瞬きを一つ二つする程度の隙。それでも、リチャードにとっては十分な時間であり、ドラゴンにとってはあまりに致命的な隙だった。


 そしてリチャードは、動きの止まったドラゴンの頭から首に跳び移る。

 次に目指すは、アルトの付けた背中の傷。


 あと四歩、三歩、二歩!

 鱗でできた道を駆けながら、最後の数歩でリチャードは、腰をわずかに落としながら槍を引きつけ、構えに入ってゆく。ひときわ強い踏み込みとともに、傷口のわずか手前でリチャードが静止した時には、すでに最後の一撃の構えが完成していた。そのまま槍の穂先を下し、矢が刺さったままの傷口に触れさせる。


 次の瞬間――リチャードを見失っていたドラゴンが首をめぐらせ、彼をその視界に収めるよりわずかに早く。

 捩じられていたリチャードの体が螺旋を描きながらほどけ、蓄えられた力が解放されてゆく。


 両足の回転、腰の回転、上体の回転、肩の回転。


 その全てが連動し、一つにもつれ合いながら、腕から槍を握った拳を伝い、槍の柄を震わせて穂先の一点で重なり合った。同時に、発条ばねと化した全身が、槍をドラゴンの急所めがけて真っ直ぐに撃ち出す。


 それは、紫電流の開祖がドラゴンを討つために編み出した一手だった。小さな急所に渾身の突きを正確に打ち込むための、密着状態からの一撃。


紫電流槍術しでんりゅうそうじゅつ、『絶龍槍ぜつりゅうそう』-


 白銀の槍が、まっすぐに、深々とドラゴンの背に潜り込む。


 声はなかった。

 ただ、その体を大きくのけぞらせたのみ。ドラゴンの体に細波さざなみのような痙攣が走る。それは全身に広がり、そして波が引くように静まってゆく。

 静寂が村を包み込む。まるでドラゴンの襲撃などなかったかのように。


 それを破ったのは、リチャードの一言だった。

「終わった、ぞ」

 リチャードが、血にまみれた槍をドラゴンの背から抜き取る。まるで支えを失ったかのように巨体が傾き、断末魔の叫びの代わりに轟音を村の広場に響かせて倒れ伏した。


    ◆


(あいつが……余計な手出しを……)

(とばっちりで……俺たちの家まで……)

(もう少し待っていれば……)

 ドラゴンは倒されたとはいえ、他にも異変の原因があるかもしれない。しばらくの間、リチャードとノーラを加えた傭兵たちが村に滞在し、森の様子を調べることになった。

 そしてその翌日、森の探索から戻ってきたアルトを出迎えたのは、村人たちの陰口だった。

 だがそれは、アルトにとっては予想のできたことだった。そのまま通り過ぎようとした後ろでカリナが振り返り、村人たちの方に向かおうとした。


「待って、カリナ! 何をするつもりなんだ?」

「止めないと……アルトだって、村のためにやったんだから」

 昔からカリナはそうだった。他人のことを自分のことのように喜び、怒り、悲しむ。それで余計なトラブルを生むことも少なくはなかったが、それでも今ならわかる気がする。

 それはきっと、カリナの美点なのだろう。


「ごめん……でも、止めなくていい。あの人たちの気持ちも……よくわかる」

 カリナの腕を掴んで引き止める。


「でも、それでいいの? アルト」

「これはすべて、俺の責任なんだ。リチャードさんのことは予想外だったけど、ドラゴンを甘く見すぎた。そして、キースさんやクロードさんのことを信用していなかった」

 目を伏せながら話した後で、顔を上げカリナに向けて宣言する。


「だから、今はこのままでいい」

 目と目が合う。アルトの真剣な表情に、カリナは目をそらし、言葉を途切れさせた。


    ◆


「リチャード様!」

 アルトたちとは別のところで探索を行っていたリチャードも、すでに村に戻っていた。今はソーンダイク邸の前で、一人で黙々と槍の型を繰り返している。それが彼にとっての日課なのだろう。


「お願いします! 俺に、槍を教えて下さい!」

 挨拶もそこそこに、アルトは思いつめたような表情で槍使いに頭を下げた。


「なぜ、槍を求める?」

 しばしの沈黙の後、返されたリチャードの答えは思いの外にそっけないものであった。


「その弓の腕を持つならばわかるはずだ。槍の道に鞍替えし、それを自らのものとするまでに、どれほどの時と修練を要するか」

 それでも、その言葉は彼の槍捌きのように鋭く正確で、刺し貫かれたアルトは、返す言葉が見つからずに硬直する。


「まあまあ、そういってやるなって」

 暗くなりかけた雰囲気を破ったのは軽い言葉。いつの間にかアルトのそばに現れたクロードが、子供のような無邪気な笑みを浮かべていた。少し離れたところには、キースの姿もある。


「まあ、何ごとも経験さ。リチャードみたいな使い手を相手にする機会なんて、そうあるもんじゃない」

「……珍しいな。老師の孫とはいえ、お前が初対面同然の相手を気にかけるなど」

 リチャードは槍を止め、クロードに向き直る。


「そうか……?」

 クロードにとっては、槍使いの言葉の方が意外だったようで、不思議そうな顔つきになる。


「ふむ……まあいいだろう……アルト、一つ条件がある」

 その様子をしばし眺めていたリチャードだが、やがてアルトに顔を向け、そう呼びかけてきた。

「は、はい! 何でしょうか」

 リチャードの思わぬ言葉に、何を言われるのかとアルトの体に緊張が走る。


「自分のことは、リチャードと呼んでくれ。『様』は不要だ」

「え……し、しかし……」

 告げられたのは、さらに予想外の言葉だった。

 アルトは助けを求めるかのように、キースとクロードのほうを見る。


「ま、呼び捨てに抵抗があるのなら、リチャードさんと呼んでやるがいい。傭兵隊や街のみなもそう呼んでおる」

「それならば……」 

 全く抵抗がないというわけではないが、それなら何とかなりそうだ。


「よろしくお願いします。リチャードさん!」

「元はといえば、半分以上はそちらの手柄だしな。……槍はあるか?」

「はい! 今持ってきます!」

 蔵書ほど充実してはいないが、ソーンダイク邸には多少の武器も保管されている。手入れはされていなかったが、稽古用に使えるものはあるだろう。


 そう考えながら、アルトは自宅の扉を開いた。

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