第16話 戦士になるために

 リチャードの右手を軸に、槍が風車のように回転する。左足が滑るように動き、音もなく一歩を踏み出す。半身になった瞬間、その槍が消え失せた。


 一瞬、自らの目を疑ったアルトの視界に影が差し、額に衝撃が走る。軽く押された程度の攻撃だったが、アルトは耐え切れず、体勢を崩して尻もちをついた。


 だがその瞬間、倒れこんだからこそアルトの目は、確かにそれを視界の端で捉えていた。その石突きでアルトを打った後、素早く引き戻されるリチャードの槍を。


「ふむ……眼は悪くないようだな」

 アルトの視線の動きを見て、リチャードが呟いた。


 長身のリチャードの身の丈とほぼ同長の槍。だがそれは横から眺めた時の姿である。穂先から石突きまでまっすぐに視線を通せば、そこに見えるのは槍の直径に等しい、握り拳に隠れるほどの小さな円。


「これが紫電流の一手、『無影槍むえいそう』だ」


 視線と平行に打ち出される槍は、間合いが掴めないどころか下手をすれば攻撃されたことにすら気付かない。リチャード自身の体捌きとも相まって、まさに槍が消えたかのように見える。


 初めて彼に会ったとき、野盗の首領がなすすべもなく倒されていった理由の一つを、アルトは悟っていた。


    ◇


「まったく、ちょっと目を離したらいつまでも槍を振ってるんだから。いい加減休みを取るっていうことも覚えなさいよ」

「うむ……すまなかった」

 ノーラの叱責に、リチャードは槍を持っていない左手で頭を掻く。


「いえ…………だ、大、大じょうぶっ、ゲホゲホ……っ」

 アルトは手足を広げて地面に倒れ込んだまま荒い息をつき、時に咳き込む。


「あんたも、嫌なら嫌とはっきり言わないと、こいつには通じないよ。なにしろ物心付く前から、朝から晩までずっと槍の修行をしてたんだから。すっかり感覚がおかしくなってるんだよ」

「い……嫌って……わけでは……ゴホっ」

 ようやく呼吸が整ったところで上半身だけを起こすと、再び一人で槍を振るい始めたリチャードに声を掛けられる。


「腕を磨きたければ、傭兵隊を尋ねるといい。求めれば、修行の相手も見つかるだろう」

 だがそれは、首都から遠く離れたこの地からでは、決してたやすいことではない。

 それでも、心惹かれることは事実だ。


 アルトはそれを後で考えることにして、先ほどから抱いていた別の疑問を投げかけることにした。


「そういえば、リチャードさん、今までもドラゴンと戦ったことがあるんですか?」

 槍捌きにまったく狂いを見せぬまま、リチャードはアルトを一瞥し、そして言葉を続ける。

「自分は、師である父とともに、修行と称して世界中を旅してきた。もちろん、隣の大陸まで連れて行かれたこともある。そして、ドラゴンとも闘わされた」

「うわぁ……」

 あっさりと告げられた言葉に、アルトは遠慮がちに呆れた声を上げる。


 だが、それに続くリチャードの話に、アルトは今度こそ言葉を失った。

「だから、奴らのことも少しは知っている。この大陸に流れてくるのは、まだ縄張りを持たぬ若いもの。そして、その中でも縄張り争いに敗れ、かの地に住むことを許されなかったものだ」


 森の主を倒し、静かな森を大混乱に陥れ、村に壊滅の危機をもたらした存在。そんなドラゴンが、生存競争の敗者でしかない世界。


 遥か海を隔てたもう一つの大陸には、そんな世界が広がっている。


 想像を絶する話だったが、祖父の遺した書物を読み、そして森の獣たちの姿を見続けたアルトにとっては、決して納得のいかない話というわけでもなかった。


    ◆


 家々を見下ろす小高い丘の上に、プレア村の墓地はあった。


 その中でも比較的新しく、そして最も大きな墓碑。

 村の、そしてリーフ公国の英雄である『天魔軍師』バーナード・ソーンダイクは、ここに眠っている。


 すでに日は西に傾き始め、赤みを帯び始めた光の中、墓碑とそれに黙祷を捧げる禿頭とくとうの巨漢の影が長く伸びていた。


 不意に足音が響き、キースははっと頭を上げる。


「キース、ここにいたのか」

 そちらに目をやれば、青い軍服の青年が歩いて来るのが見えた。


「なんだ、クロードか。おどかすなよ」

 この男は普段から、気配を消し、物音を立てずに行動している。しかし時には、先ほどのように自分の存在を知らせるために、意図的に足音を立てることもある。


 よく行動をともにしているキースでさえも、いつの間にかそばに現れたクロードに驚かされることも少なくない。


「ああ、老師に色々とご報告をな。ちょうど今終わったところだ」

 そう言うとキースは後ろに下がり、墓前をクロードに譲る。


 クロードは携えてきた陽春樹の枝を手向けると、墓前に跪き、祈りを捧げ始めた。


 しばし、静かな時間が流れる。


「さて、そろそろ戻るとするか。晩飯の支度もできる頃だ」

 キースは墓碑に一礼すると、丘を下る道へと向かう。


「なあ、キース……アルトのことを、どう見る?」

 立ち上がったクロードは、返事の代わりにそんな問いを投げ掛けてきた。


「どう、といわれてもな」

 キースは不精ひげの伸びはじめた顎に手をやり、首を捻る。


「狩人としてはなかなか優秀だが、戦力としてはどうだろうな」

「どういう意味だ?」

「同じ弓の使い手といっても、獣相手の狩人と、戦士としての弓使いは似て非なるもんだ。弓の腕自体はかなりのものだが、それは集中したときに限る。その間は周りがほとんど見えなくなるし、集中を乱されたら、それこそ素人程度まで腕が落ちる」

 首をすくめ、右目だけを閉じ、キースは答えを返す。当のクロードは、墓碑を見つめたままだ。


 さらに、キースはさらに評価を重ねる。

「戦士としてはともかく、狙撃手ならばな」


 妙な気配を感じ、クロードがキースのほうを振り返る。無言のまま、しかし前髪の隙間から除くその瞳には、普段は見せることのない激しくも暗い炎が宿っていた。


「おいおい、そんな顔をするなよ。何も暗殺をやらせようっていうわけじゃない」

「ああ……」

 暗い光は一瞬で消え去り、クロードは真剣な表情に戻っていた。だがそれは、いつもならば戦いの時にしか見せないはずの顔。


「なあ、クロード、そんなにやっこさんのことが気になるのか?」

 キースは感慨深げに、軍服の青年を眺める。

 訳あって以前のクロードは、人間らしい感情や考え方をほとんど持っていなかった。そして、他人に興味を持つことも。


 それが随分と変わったものだ。


 それもこれも、バーナード・ソーンダイクの教育の賜物だろうか。


 経験不足ゆえか、時折世間一般とずれた言動をとることも少なくはないのだが。


「まあ、ある意味、お前さんにとっては弟みたいなもんだからな」

「弟……? そう……なのか……」

「なんだ。気づいてなかったのか」

 クロードの顔に、今さらの事実に気付いたかのような、はっとした表情が一瞬浮かんだ。


 だがそれもつかの間、クロードは再び思案顔で黙り込む。


「まあ、そろそろ屋敷に戻るとしよう。わしらも帰り支度をせねばなるまい」

 手持ち無沙汰に首を鳴らしていたキースは、クロードに呼びかける。


「何だ。もう帰るのか」

「獣たちの騒ぎも落ち着き始めたようだし、もうすぐ別働隊も到着する」

「そうだったな……」

「それに、もともとわしらの仕事は優秀な人材の発掘だぜ。いつまでもこんな所で遊んでいるわけにもいかん」

「こんな所ってのはないだろう。それに、俺だって別に遊んでいるわけじゃないさ。ちゃんと目的のものは見つけている」

 いつものように皮肉げに語るキースを、振り返りもせずクロードがたしなめる。


 キースの顔に、何かに気づいたかのような表情が現れた。

「クロード……奴さんを傭兵隊に誘うつもりなのか?」

「ああ、実力的にも問題はないだろう」

 その言葉に、禿頭の巨漢は眉を寄せる。


「おいおい、忘れたのか? 老師がなぜ家族をこの村に残して中央に戻ったのか」

「その問題は片付いたはず。それに傭兵になれば、他にも修行のすべはあるだろう」

「ふむ……しかし、修行といってもなあ……」

 キースは太い腕を組み、唸り声を上げる。


「今の隊には、奴さんに弓を教えられるような使い手はいないぞ」

 傭兵隊の前身である旧王国軍には、かつて弓の達人に率いられた弓兵隊が存在した。

 とはいえ、戦場における弓兵は先ほどキースが挙げたものとはまた別物である。

 隊長だけはさらに別格だったのだが、彼も今はこの世にいない。


「そもそも、槍の訓練などさせてどうするつもりなんだ。リチャードの言うとおり、時間の無駄遣いになりかねんぞ」

「いや、無駄ではないさ。まあ、いずれわかる」

 この話題は終わりとばかりにクロードは首を巡らすと、村の広場のある方向へ目を凝らした。


「それよりも、問題はこの村だ。わかっているか」

「ああ。結局、あの祭りも中止になったしな。しばらく荒れそうな気がするぞ」

「なあ、キース。これはいい機会ではないのか」

「待て。奴さんが村を離れることと、村人との和解は別の問題だぞ」

 クロードの言葉が意味するものに気付き、キースは慌てたように言い返す。


「まあ、和解とかそのあたりは俺にはよくわからんからな。それは任せる」

 そんな開き直ったかのようなクロードの言葉に、キースは苦笑する。


「とはいえ、村人が負った痛手も決して小さくはあるまい。しばらく頭を冷やす時間も必要か」

 髪をかき上げる代わりに剃りあげた頭を撫でながら、禿頭の巨漢は大きなため息を一つついた。


「問題はもう一つある。この村の寂れようだ」

「うむ……」

「俺はかつてのこの村を知らん。だが、もう以前の状態に戻ることはないんだろう?」

「わしも何度か街道を通っただけだが……十年程前の一件で、人が集まらなくなったからな。若い者はみんな、大きな街へ出て行ったんだろう」

 キースは物悲しげに、丘から下を見下ろす。そこには、ソーンダイク邸の前を通り南へと伸びる旧街道があった。


「若者が皆離れていき、後継ぎとなるものがいない。老師の遺された策もあり、何とか生産と流通はもっているようだが、それも時間の問題だぞ」

「わしが話を聞いたところによると、奴さんはどうも、その時期に身内を続けざまに失って、村を離れる機会を逸したような感じだったな。とはいえ、それがなければ狩人にはなっていなかったかもしれん。何もかも悪かったというわけでもあるまい」

「後は、本人の気持ち次第だろう……ならば」

 策は決まったとばかりに口調を強めるクロードを、キースは手を挙げて止める。


「まあ待て……それなら、わしらから話すよりも、いい方法があるぞ」

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