第14話 原初の炎 - Alphafotia -

 普通の矢など、強固な鱗で守られた真龍類ドラゴンには通じない。

 だから、アルトの放ったそれは、彼にとっても特別なものだった。


 それはアルトが狩人になったとき、すでに村を離れていた祖父が祝いに送ってきた三本の矢の一本だ。

 いずれも強い魔力が込められており、普段アルトが使っている手製の木の矢などとは比べ物にならない威力を誇る。

 万一の時に使いなさいと言われていたが、祖父の形見の一つでもあるそれをアルトはずっととっておくつもりだった。

 だが、今度ばかりはそんなことを言ってもいられない。


 狙いはただ一つ。ドラゴンの急所である、逆鱗と呼ばれる特殊な鱗だ。


 ドラゴン、特に中級以上の大型となる種は、その巨体を……そして翼や尻尾を自在に動かすため、胴体に脳の補助となる器官を複数持っている。なかでも最も重要なものは、首のやや後ろ、背骨の上に存在する副脳と呼ばれる器官だ。


 だが皮肉にも、その背中側は首や翼などが近いため、激しい動きにさらされる部分でもあり、また成長のために必要不可欠な脱皮の起点でもある。このため、急所を守るべき鱗は他の全身のそれよりも厚く硬いものとなっている。

 だがその周囲には、形の違いゆえのわずかな隙がある。


「しまった!!」

 だが命中の直前に、アルトは思わず悲鳴にも似た叫びを漏らした。

 狩人の放った矢は、龍のまとった陽炎かげろうに包まれ、揺らいで見えた。

 それを見てアルトは、自身の狙いが狂わされていたことに気付いたのだ。


 それは、ドラゴンの急激な体温の上昇により生みだされたもの。いわば力を行使する際の副産物に過ぎず、決して防御などの目的で使用されたものではない。

 だが今回は、わずかな大気の揺らめきがアルトに照準を見誤らせた。急所が小さかったため、そしてアルトの腕が確かだったからこそ、その小さなずれは逆に狩人にとって致命的なものとなりかねないものだった。


 それでもアルトの矢は、逆鱗のすぐ脇から最大の急所を目指してドラゴンの体内に潜り込む。


『グオオオオォォォ――――』

 これまでと明らかに異なる咆哮が、村を駆け抜けた。


 それは、ドラゴンの断末魔の叫びなのだろうか。

 聞く者を恐怖に陥れる咆哮に、アルトも櫓の上で崩れ落ちそうになる。からくも手すりにしがみ付いて体を支えつつドラゴンに目をやると、ちょうどその巨体が地に倒れ伏すところであった。


「やった……のか?」

 ドラゴンに近付くため櫓を下りようとした、まさにその時。ふいに消えかけていたはずのドラゴンの気配が、急激に膨れ上がった。あたかも、油を注がれた炎が一気に燃え上がるように。


 アルトの矢は、龍にとどめを刺すに至らなかった。そしてその気配は、先ほどまでとはまた別のものに変化している。


 アルトの全身を、衝撃が貫いた。一瞬の硬直の後、体勢を崩し梯子から転がり落ちる。

 攻撃されたわけではない。ただ、敵意を向けられただけ。それだけでも、強い力を伴った冷たい何かが、体の中を突き抜けてゆくのを確かに感じる。それが龍気と呼ばれるものであることを、この時のアルトはまだ知らなかった。


 一対の翼が暴れまわる。不可視の力が、ドラゴンを中心に広がり、地面を打ち据えた。間近にいたキースとクロードは、見えない掌に押さえつけられたかのように膝を屈する。


 龍の翼ドラゴン・ウイング


 鳥やコウモリ、翼竜などの翼と異なり、真龍類ドラゴンの翼はそれ自体で重量のある体を物理的に浮き上がらせることは出来ない。

 彼らの飛行能力の源は、龍気りゅうきと呼ばれる生命の力。それを揚力に変えて、ドラゴンたちは空へと舞い上がるのだ。

 そして、地を這うものたちは、羽ばたき一つで、あるいはただ真上を通過するだけで、反動で大地へとねじ伏せられる。


 ルビー・ドラゴンの巨体が浮き上がる。だがそれは、人間の手の届かぬ高みへと上ることはなかった。アルトの付けた傷が翼の動きを阻害し、自在に空を飛ぶ力を奪っているのだ。

 それでも、このドラゴンには小さな村を滅ぼす程度の力なら、まだ充分に残されている。

 そして、再びの羽ばたきによって、二人の傭兵の体は広場を囲む家の壁に叩き付けられた。

「キースさん! クロードさん!」


 『逆鱗に触れる』という言葉がある。その言葉通り、自らの怒りに触れたものを徹底的に打ち滅ぼすため、ルビー・ドラゴンはその力を解き放つ。


 ゆっくりと開かれてゆくドラゴンの顎の奥。そこに最初に見えたのは金色に輝く小さな光の粒。それがいくつも集まって徐々に大きくなり、喉の奥からはみ出すほどになった瞬間――。


 ボッ!!


 まるで油を染み込ませた紙に火種を移した時のごとく、一気に光から転じた炎が赤く燃え上がった。


 龍の吐息ドラゴン・ブレス


 多くの真龍類ドラゴンが持つ、魔法にも似た力のひとつにして、最大の武器。

 人間の使う魔法と異なる点は、それが他の存在の力を借りるのではなく、ドラゴン自身の持つ力を源としていることだった。

 龍気と呼ばれる自らの生命の力を、炎や雷、風などの自然の力に変換する能力だ。


 ルビー・ドラゴンの吐息ブレスは、炎。


 そのあぎとからほとばしる紅蓮の炎が、龍の周囲を薙ぎ払う。


「ああっ!!」

 傭兵たちが倒れた辺りを炎がかすめたように見えて、アルトは悲鳴を上げる。

 だが、彼らを助けに行く余裕などない。ドラゴンの視線は、まさにアルトに注がれているのだ。 


 ゆっくりとアルトに向けて歩み始めたドラゴンのあぎとに、またしても炎が灯る。

 それは先ほどよりも大きく燃え盛り、その色を変えてゆく。


 あかから、あおへ――


 それは不用意に振るえば、自らの縄張りすら焼き尽くす可能性がある。龍自身も普段はその高い知能を生かし、大きな力を不用意に使わぬように振る舞っている。

 だが、逆鱗を傷つけられ、命の危機に瀕した今ならば……

 禁断の力が今、アルトに……そしてこの寂れた村に向けて放たれようとしている。


「あ……」

 アルトはそれを、なすすべもなく立ち尽くしたまま眺めるしかなかった。


 動きを止めたアルトを、横から衝撃が襲う。いつの間にかこちらに来ていたカリナが、その体を抱えて跳んだ。直後、二人の間近を灼熱の火炎が駆け抜ける。


 遅れて生まれた爆風が、アルトとカリナを一まとめに吹き飛ばした。


    ◆


 村の家々が燃え上がってゆく。


 アルトとカリナは何とか初撃のブレスをかわし、ルビー・ドラゴンからの離脱に成功していた。だが、その後ドラゴンの怒りは人間の村に向けられたようだ。


 言葉にならない声と共に、アルトはドラゴンに向け矢を放つ。普段は正確なその狙いも、今は集中を欠き、まったく定まっていない。


 だが、そんなことなどまったく問題にならなかった。

 その原因のひとつは、的であるドラゴンが巨大なこと。そしてもうひとつ……その強固な鱗が、矢など全く受け付けないこと。


 アルトの放った矢は全て、ドラゴンの体表で弾かれて地に落ちる。

 二本残っていたはずの魔法の矢は、櫓から転がり落ちた時に落としたのか、いつの間にか失われていた。

 それでも、矢筒に手を伸ばす。しかしそこには、もう一本の矢も残されていなかった。


「アルト!!」

 カリナの叫びに我に返ると、またドラゴンの喉の奥に炎が灯るのが見えた。もはや、逃げるのも難しい距離だ。

 カリナはアルトをかばおうとして、そしてアルトもカリナをかばおうとして――そのまま絡み合うように、地面に倒れ込んだ。

 もはやこれまでか。


 思わず目を閉じた二人に浴びせられたのは、燃え盛る吐息ではなく、悲鳴にも似た咆哮だった。

 反射的に顔を上げたアルトに続いて、カリナもおそるおそる視線を向ける。そこで二人が見たものは、ドラゴンの頬に突き刺さった、一本の白銀の槍。


 そしてドラゴンの視線の先には、その槍の持ち主が、一人泰然とたたずんでいる。


「老師の、墓参りに来た」

 ゆっくりとドラゴンに向けて足を踏み出しながら、救国の英雄、リチャード・ガイアはぽつりと呟いた。

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