第13話 ルビー・ドラゴン迎撃戦

 先を駆けるキースとクロードを追い、村の広場に向けて走る。


 だが、アルトも全力で走っているにも係わらず、少しずつその距離は開いてゆく。


 歩幅を広げ、飛ぶように疾走するクロードはともかく、大棍棒を肩に担いで突っ走るキースにも、追い付くどころかどんどん引き離されてゆく。


 やがて彼らの姿が小さくなり、広場が視界に入ってきたころ、入れ替わるように多くの村人たちがこちらへ逃げて来るのが見えた。


「村長!」

「おお、アルトか。祭りの支度で皆が集まっていたところに奴が来てな。お二方のおかげで、何とか逃げてきたところじゃ」

「このまま、うちの家に向かってください。そこに後の二人もいます」

「そうか。それで、アルトはどうするつもりなんじゃ」

 その中にいた村長と少しばかり言葉を交わす。村人たちとは反対に、広場に向かうアルトを気遣うかのように、村長は眉を寄せる。


「もう少しだけ、逃げ遅れた人を助けてきます」

「おお、頼んだぞ。じゃが、無理はするなよ」

「はい!」

 村長の言葉にうなずくと、アルトは再び広場に向けて駆けだした。


    ◆


 村の広場に、炎色の鱗を持つ龍が舞い降りた。

 源炎龍アルファフォティア、またの名をルビー・ドラゴン。


『グガアアアアァァァ!!』

 真紅に輝く宝石の名をその異名に冠する龍は、縄張りを宣言するかのごとく雄叫びを上げる。


「うわああぁっ!」

 逃げ遅れた一人の初老の男が、それに驚いて道に崩れ落ちる。


 ドラゴンは翼をたたむと、広場を睥睨する。そして、広場の隅で震える小さな人間が気にさわったか、ゆっくりとそちらに向け歩みを進め始めた。


「うわあっ! 来るな、来るなあっ!」

 男の顔が恐怖に引きつる。もはや立ち上がることもままならないようだ。


「ここは俺たちが引き受ける。ソーンダイクの屋敷に避難してくれ!」

 広場に繋がる道から、クロードが飛び出した。その顔からは、いつもの子供っぽい笑みが消え、全く感情を感じさせない顔付きとなっている。前髪がなびき、隠されていた冷たい光を宿す紺青の瞳があらわになる。


 青い軍服に包まれた腕が鞭のようにしなり、風を切り裂いて振り下ろされた。銀の光が一条、細い糸のような奇跡を残してドラゴンの鼻先へと吸い込まれてゆく。


 だが、人間相手なら致命傷となりうるその攻撃も、ドラゴンの鱗相手では効果を発揮しない。ただ首を軽く振っただけで、突き刺さったように見えた銀の短剣は、小さな傷だけを残して転がり落ちる。


 それでも、かろうじて注意を引くことはできたようだ。

 側面に回り込むように駆けるクロードを追うように、ドラゴンは首をめぐらせる。


 ドラゴンがクロードの方に意識を向け、四肢を伸ばして駆け出そうとした、その瞬間。


「おおおおおっ!」

 挑発するような大音声と共に、キースが広場に飛び込んできた。

 後肢の関節をめがけ、体重と突進の勢いを乗せた大棍棒を振り下ろす。

 だが、その巨体に対し、ダメージはどれほどのものか。追撃など考えず、キースはすぐに反転して全力で離れた。


 間髪入れず、背後から巨大な気配が迫ってくる。その動きを読みつつ、充分に引き付けてからキースは大きく横に跳んだ。キースのいた空間を、入れ替わるようにドラゴンの頭が通り過ぎる。


 その巨体では、急激な方向転換は難しい。かなりの距離を走り抜け、ドラゴンが振り返った瞬間、今度は別の方角からクロードが仕掛ける。


 二本目の銀の短剣が、今度はドラゴンの右目を寸分の狂いもなくとらえた。

 だが、透明な鱗でもあるのだろうか。それもあっさりと弾かれる。


 クロードはそれでも表情を変えぬまま、逃げに転じた。


 その横目にちらりと、倒れていた男を助け起こすアルトの姿が映った。


    ◆


「よかった。アルト、無事だったんだ」

「お疲れ様です、アルトさん。お怪我はありませんか?」

 屋敷に戻ったアルトを、カリナとコーデリアが安堵の表情で出迎える。アルトも、自分を気遣ってくれた彼女たちに感謝の言葉を返す。


 村人たちの避難は、何とか終了していた。


 祭りの準備で多くの村人が広場に集まっていたことが逆に幸いし、ドラゴンが広場に到達する前にほとんどが逃げ出すことができたのだ。


 今いる村人は百人にやや足りない程度。アルトの子供時代に比べ、村の人口は大幅に減少していた。


 このソーンダイク邸は、現在村で最も大きい家というだけでなく、最も頑丈な建物でもある。それにここは、現在ドラゴンのいる南側にある村の広場からはかなり離れている。


 これでひとまずは、安泰といったところか。


 だが、アルトは自問する。自分は、このままでいいのだろうか。


 もう少し、何か情報があれば……。そう考えて、アルトは三階に向かった。


 キースさんやクロードさんが戦っているというのに、自分は安全なところでただ待っているだけなのか。


 そんな、やり切れぬ思いと共に書庫の扉を開いた瞬間――。


 ドサリ……。


 突然、誰もいないはず書庫の中から、何かが落ちる音がした。


 驚き、視線を向けた先……床の上には、つい先ほどまではそこになかったはずの一冊の本があった。


 なぜ、こんなところに? 一瞬そんな疑問が頭をよぎる。


 だが、本を拾い上げようとしたその時、開いたページに書かれていた文字に、アルトは目を奪われた。


『真龍類の急所』


 それは、まだ見つけていなかった、アルトたちの探し物。さらに疑問がいくつか、アルトの脳裏に浮かぶ。


「これはまさか……爺ちゃんの、魔法?」

 だが、今はそれよりも大事なことがある。必要な情報を一字一句とも読み逃すまいとして、アルトは開かれたページに目を凝らした。


 そして、数ページを一気に読み終えたアルトは、一つの決心を固める。


 そのまま向かう先は自室。部屋の片隅の棚から、細長い紙包みを取り出した。


 その中身をアルトは確かめる。包まれていたのは、三本の矢だ。

 そして、愛用の矢筒にそれらを他の矢と一緒に収めた。


「コーデリアさん。あとはお願いします」

 そうして、避難してきた村人をコーデリアとカリナに任せると、アルトはその身をひるがえし屋敷の外へ飛び出して行った。


    ◆


 クロードは投擲用の短剣を使い果たし、短い刀身を持つ片手剣を逆手に構えていた。

 あの後も、大きな傷を与えることはできないまでも、キースとクロードはうまくタイミングをずらしながらの挟撃で、何とかルビー・ドラゴンを引き付けていた。


「村人の避難はうまくいきました。後は……」

 駆けつけたアルトが、戦い続けていた二人に声を掛けた時。

 ドラゴンが首をもたげ、息を吸い込むような仕草を見せた。


『グガアアアアアアアア!!』

 そしてそのあぎとから、咆哮がほとばしる。

 先ほどまでの威嚇と、音自体はそれほど変わらない。

 だが、アルトは慌てて耳を塞ぎ、それでも防ぎきれずに全身を強張らせる。


 真龍類ドラゴンが他の獣たちと一線を画する理由が、これら人間にとっての魔法に匹敵する独特の能力だ。

 その一つが、この龍の咆哮ドラゴン・ロア

 ただの大きな音ではない。それは真龍類ドラゴンの持つ龍気と呼ばれる力を伴って、獲物の心までも震わせる効果を秘めていた。


 ルビー・ドラゴンの纏う気配が変わったのを、アルトははっきりと感じ取った。そして、キースとクロードも同じものを感じたのか、顔色を変えている。

 それは、人間でいうところの怒り、いやむしろ闘争心に近いもの。

 弱い獲物をただ狩るだけの状態から、強敵と命をかけて戦う時のものへと変化したのだ。

 そしてドラゴンは、その背に折り畳まれていた翼を大きく広げる。

 同時に、その周りの大気が、陽炎のように揺らいだ。


「まずいな。飛ぶつもりか!」

 キースの焦りの声が、アルトのところまで届いた。


 これまでは、人間たちの事をただの獲物と侮っていた故に、ルビー・ドラゴンも地上で戦っていた。

 いや、戦うというよりむしろ、餌に食らい付きに来ていたという方が正確か。人間サイズの相手を飛びながら襲うというのはかえって困難、ということもあるのだろうが。

 とはいえ、その気になれば人間の手の届かない上空から攻撃する手段が、ドラゴンたちにはある。


 アルトは自分の頬を両手で打つ。そして震える体を押さえつつ、広場の物見櫓を登り始めた。


「キースさん! クロードさん! 一瞬だけ、あいつの動きを止めてください!」

 梯子を登りながら、アルトは傭兵たちに向け叫ぶ。


「おう!」

「承知」

 キースはわずかな期待を含ませた声で、クロードは感情のこもらぬ声で、それぞれ簡潔に答える。


 これまで敵を挟み込むようにして交互に攻撃をかけてきた二人は、同時に左右からドラゴンの眼前に走り込む。

 そして、二人が合流する瞬間。

 キースは肩に担いだ大棍棒を振り下ろし、軌道を変えてそのまま振り上げる。そしてクロードは、両足を揃え蹴りを放つように跳んだ。


「えっ?」

 それを櫓の上から見ていたアルトは、間の抜けた声を上げる。まるで二人が、互いに攻撃し合っているように見えたのだ。

 そして、大棍棒の上に、クロードが膝を曲げて跳び乗る。


「おおおおおおっ!!」

 全身の筋肉が膨れ上がる。キースはただ、力任せに大棍棒を振り上げた。

 同時にクロードが大棍棒を蹴り、その体は舞い上がりかけたドラゴンの鼻先へと飛ぶ。


 クロードは勢いを失わぬままその身を空中で回転させ、右足をドラゴンの右目に向けて伸ばす。渾身の蹴りが撃ち込まれた瞬間、クロードの足に生き物の目とは思えない硬い感触と、衝撃が返ってきた。


 それでも、目を打たれたドラゴンの方も無傷というわけにはいかない。痛みに耐えかねたかのように翼が足掻き、ドラゴンの体は支えのない空中で完全に姿勢を崩した。その体を浮かべていた力は乱れ、真紅の巨体は眼下の広場に墜落する。


 その時にはキースもクロードも、動きを予想したか少し離れた場所に移動していた。そして彼らが再びドラゴンに近付くよりも早く、地に伏していたドラゴンが、その体を起こした。


 その一瞬、ドラゴンの背中は無防備に、狩人に向けて晒される。


「今……だっ!!」

 櫓の上から、アルトは弓を引き絞り、一本の矢を解き放った。

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