第12話 源炎龍、来襲

 ソーンダーク邸は村の北端近く、今ではもう使われていない街道沿いに建てられている。アルト一人が暮らすにはあまりにも大きすぎるその屋敷は、彼の父が商人だったこともあり、かつては北の国々から訪れる隊商を迎える商館としての役割も持っていた。

 三階建ての屋敷のうち、三階のほとんどは書庫として使われている。そこには、アルトの祖父が生涯をかけて集めた書物のほとんどが収められていた。


 小さいころは、あまり体を動かすことが得意ではなかったアルト。かつては書庫に入り浸り、いろいろな本を読み漁っていた。ほとんどは、十歳にも満たぬ子供にはまったく理解不可能なものであったが、アルトのために用意されたのか、子供向けの本も棚の下の段にいろいろと取り揃えられていた。


 放っておけば、日がな一日夢中で本を読んでいるアルトを、当時は隣家に住んでいたカリナが表に引っ張り出す。その時だけは祖父に助けを求めても応えてもらえず、カリナやディアス、時にはシエラと遊ぶ。

 最初は嫌々ながら、それでも少しずつ遊びに夢中になり、そうして一日が過ぎてゆく。それがアルトの子供の頃の日課であった。


 そして、狩人となってからは、動物の図鑑や、商業、食物に関する書物が役に立った。とはいえ、アルトがよく利用しているのは数十冊程度。

 村人たちにも勧めてみたのだが、辺境のこの村ではそれに応えるものも少なく、蔵書の大半は今では利用するものもいない。


 とはいえ今は、この書庫が頼りだ。ドラゴンに関する情報も、確かあったはず。


    ◇


「うーん、やっぱり、これでは駄目か……」

 アルトが今見ているのは、昔からよく読んでいた動物図鑑である。


 子供のころは、説明などはほとんど理解できなかったが、それでも見たことのない獣や龍に胸をときめかせていた。狩人となってからは、これらの知識が狩猟に役立ったこともある。

 とはいえ、さすがにドラゴンとの戦い方、その倒し方など載っているはずもない。


「戦わなくても、追い払う方法や村に近付けない方法でもあればよかったんですが」

 アルトは頭を掻きながら、手にした図鑑を本棚に戻す。


「アルトさん、ここの本はどういう順番で並んでいるんですか? どうもよくわからなくて……」

 別の本棚を見ていたコーデリアが、アルトのところに回って来た。


「それが、ちゃんと決まっていないみたいです。名前順に並んでいたり、本の著者ごとに分けられていたり、入手順に入れられただけのものも……」

「それじゃあ、軍師様はどうやってこんなにたくさんの本を使っていたんですか」

 黒髪の神官は、書庫を見回して首をかしげる。


「俺も子供の頃のことなのではっきり覚えていないのですが……祖父は、必要な本を探すのに魔法を使っていたはずです」

 それについては、記憶があいまいだ。何しろ、そのことについて祖父に尋ねたのはアルトが十歳にも満たないころなのだ。


「おお、そうか。老師にはあれがあったな。とはいえ、わしらには真似をすることもできまい。結局地道に探すしかないか」

「えーっ。やっぱりそうなるの?」

 キースの言葉に反応し、カリナが不満げな声を上げた。


「探すのは、ドラゴンに関係する伝承、民話、英雄譚など。それと生物学に関する本でいいですか?」

「それと、ドラゴンたちが住む大陸について、と……そういえば、どこかの国にドラゴンを操る龍騎士がいるという話を聞いたことがあるんですが……」

 コーデリアの問いかけに答える途中で、アルトは以前祖父から聞いた話を思い出す。


「ドレイク連邦のことだな。この国の西、二つの大陸の境あたりにあるぞ。それについても調べた方がよさそうだな」

 そういうとキースは、辺りの本棚を指差す。


「さて、まずはこの本棚二つを――」

 そうして、キースの指示で本棚を分担し、一行は情報収集を開始した。


    ◇


 書庫の中で、手分けをしてドラゴンに関する文献を探すことしばし。彼らが探し物を見つけるより早く――。


 パァン……パァン……


 不意に、何かが破裂するような音が、屋敷の中まで聞こえてきた。


「何だ、ありゃ?」

「ああ、祭りの花火の試し打ちですね」

 キースがふと上げた疑問の声に、アルトが答える。


「花火? それも老師のお考えなのか?」

「ええ。祭りを盛り上げるために、最初はお爺様が取り寄せたんです。もう祭り本番が近いですから、去年の残りをちゃんと使えるか……試し……」

 アルトの答えに、急に戸惑いが混じり、そして途切れた。


「おい! 近くにドラゴンがいるんだろう。刺激するような真似はまずいんじゃないか!?」

 キースも同じことを考えたようだ。窓から外を覗きかけて、急に振り返る。


「と、止めてきます!」

 アルトはそう叫ぶと、書庫を飛び出していった。


    ◇


 残念なことに、そのアルトの行動ももはや手遅れであった。危機はすでに、村の間近まで迫っていたのだ。

 何とかドラゴンのことを伏せたまま村人を説得して花火を止めさせ、再び屋敷に戻る途中のことだった。


 轟音が、村の中を駆け抜ける。これまでに聞いたことのない、壮烈な獣の咆哮。


 声の主を探れば、村の上空を一羽の鳥が旋回しているように見えた。だが、その距離から考えて、鳥などよりはるかに大きい。


 やがてそれは狙いを定めたかのように軌道を変え、通りの上空を通ってまっすぐにアルトの方へ向かってきた。いや、おそらく目標は村の中央にある広場。


 それが近付いてくると、アルトにもすぐにその姿が見えるようになった。見覚えのある赤い鱗。鳥や蝙蝠こうもりなどとは異なる重厚な翼。今は体の下で折りたたまれた四肢。


 間違いない。先ほどのルビー・ドラゴンだ。


 迫りくるドラゴンと目が合った気がした。龍に睨まれた小さな人間は、そのまま動けなくなる。


 どこかで助けを呼ぶ声が、かすかに聞こえた。いや、それはアルト自身の心の声だったのかもしれない。


 だが、人間一人など眼中にもないのか、ドラゴンはそのままアルトの頭上を抜けて通り過ぎる。


 アルトがほっと一息ついた瞬間、一瞬遅れて、想像を超えた力を伴った暴風が、その体を突き倒した。ただ、上空を飛んだだけなのに、アルトは体もろとも意識を飛ばされかける。


 地に這ったまま振り返れば、広場を囲む家々の向こうに消えてゆくのが見えた。


 昔のにぎわいは失われたが、それでも平和だった村に――今、かつてない脅威が舞い降りたのだ。


 しかし、誰に助けを求めればいいのだろうか。ドラゴンと戦える戦士が、この危機から村を救える英雄が、この小さな国にどれほどいるというのか。


    ◇


「クロード、行くぞ」

「ああ」

 男たちの声に振り向けば、いつの間にかキースとクロードも屋敷から出て広場の方に向かって来ていた。


「わしらが奴を引き付ける。その間に、村人たちを避難させてくれ。ソーンダイク邸ならば、並の屋敷よりも頑丈に作られているはず。村のはずれでもあるしな」

 キースはこれまでになく緊張した様子で、アルトに向かって早口気味に告げる。


「早めに何とかせねば、被害が出ると面倒なことになるぞ」

 アルトは声を出せぬまま、その言葉に何度もうなずいた。


 ドラゴンに限らないが、いい餌場を見つけた獣は、味をしめて同じ場所を徘徊するようになる。万が一この村がドラゴンの狩場として覚えられるようなことがあれば、全てが終わりだ。


「で、でも、大丈夫ですか!? ドラゴンなんてそんな簡単に倒せるものでも……」

 ようやく言葉を絞り出す。脳裏に、子供の頃祖父から聞いた龍退治の英雄の話が浮かぶ。ドラゴンの恐ろしさは身にしみて分かっている。あんなもの、普通の人間に倒せるわけがないのだ。


「なあに。倒す必要などないさ」

 そういいつつ、キースは不敵な笑みを浮かべる。


「奴に教えてやればいい。ここはわしら人間の縄張りだってな」

 アルトは息を呑む。忘れていた。彼らもまた、英雄と言われる存在なのだ。


 そのキースの言葉を最後に、二人は村の広場に向けて駆け出した。

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