第9話 変わりゆく森
「それで、さっきのことなんですけど……」
再び肩を並べて歩きだしたアルトとコーデリア。まだ火照りの残った頬を冷ますように手の平を当てながら、コーデリアは話を進める。
「あの鳥のことなんかは、軍師様の本で勉強したんですか?」
「ええ。本もそうでしたけど、爺ちゃ……祖父から直接教えてもらったこともたくさんあります」
アルトは、子供の頃の事を思い出すかのように遠い目になった。
「うちの父は商人で、母もその手伝いでずっとあちこちを飛び回っていましたから、うちではずっと祖父と一緒でした」
そうして祖父のことを語るアルトの顔には時々、先ほどとは違う柔らかな笑みが浮かぶ。
「アルトさんは、本当に軍師様……お爺様のことが好きだったんですね」
「えっ?……ああ、そうですね……」
それは予想外の問いだったのか、アルトは一瞬戸惑った様子を見せたものの、すぐに柔らかな笑みが戻る。
「小さいころは俺も、父の代わりに祖父の後を継ぐ、なんてことを言ってこともあるんですが……。でも祖父の方は、俺が跡継ぎになることには、あまり乗り気じゃなかったようです」
コーデリアにも呼ばれている通り、軍師としての名が広まっているものの、アルトの祖父であるバーナードの本業は政治家である。戦いのない平和な国でも、その手腕は存分に発揮されるはずのものだった。
今にして思えば、孫を政治や戦争の世界に巻き込みたくなかった、というのもあったのだろう。
そんな言葉と軽い苦笑いを交えながらも、アルトの昔話は続く。
「まあ、父もずっと商人でしたし、別に祖父は跡継ぎにはこだわっていなかったみたいです」
「アルトさん……」
そして、再びコーデリアがアルトの方に目を向けたとき、急に狩人の表情が一変した。
アルトは素早く辺りを見回すと、近くにあったひときわ大きな木を指した。
「何か来ます。コーデリアさん、あの木の陰に!」
その陰にコーデリアを隠すと、アルトは弓矢を構えながら背後の道をうかがう。
ゆっくりと十を数えるほどの時が流れた後、獣道の後方から、人とは明らかに異なる足音がコーデリアの耳にも届いた。やがて姿を現したのは、灰色の鱗を持つ三頭の獣だ。
「
『キイッ! キイイッ!』
そのうちの一頭がアルトたちに気付き、足を止め甲高い鳴き声を上げて威嚇してきた。
「大丈夫です。あいつらは他の動物の死骸が餌なので、生きた人間を襲うことはほとんどありません」
不安げに身を寄せてきたコーデリアを安心させるかのように、アルトは落ち着いた声を掛ける。
そのままアルトたちが動かないでいると、しばらくして危険はないと判断したのか、グーラテリウムはそのまま獣道の奥へと走り去って行った。
その姿が完全に見えなくなってから、コーデリアは再び口を開く。
「死骸を……食べるんですか?」
「まあ、森を掃除してくれているようなものですよ。ああいう動物がいなければ、この森は死骸だらけになってしまいますから」
そんなことを話しているうちに、さらに数頭、獣たちが目の前を走り抜けていった。そこで再び、アルトの表情が曇る。
「待てよ……なんであいつらあんなに……」
「何か……?」
「いや、もしかしたら、この先に何かあるのかもしれません」
そういうとアルトは、険しい表情で森の奥を睨み付けた。
◇
「獣たちが……騒いでいる……?」
少しの間、獣道の先を見つめていたアルトが、不意に独り言のように呟く。
「えっ?」
思わず聞き返したコーデリアの方に、思いつめたような表情で向き直った。
「ちょっと、様子を見てきます。もし、何かあれば一人で飛んで村に向かって下さい。後は、自力で何とかします」
「ま、待ってください。私も行きます!」
「コー……」
何かを言いかけたアルトの言葉を遮るかのように、さらにコーデリアは言葉を続ける。
「さっきのことで、頼りなく感じるかもしれませんが、私も傭兵の一人、身を守るくらいのことはできます。それに、アルトさんを置いて一人で帰ったりしたら、後でカリナちゃんに叱られてしまいます」
いつもは儚げなその瞳に、いつになく強い輝きが宿っている。アルトはそんな印象を覚えた。
「いや、まあカリナのことはともかくとして……俺もコーデリアさんのことを、信用できていなかったのかもしれません……」
アルトは目を伏せ、考えに沈む。
「わかりました」
そして、少しの時間をおいてアルトはコーデリアに肯定の言葉を返した。
「でも何か……嫌な感じがするんです。うまく言えないけど……今回の異変の原因が、前よりも近付いている。そんな感じがします」
「アルトさん……」
「もし、もし万が一この先に二人でどうしようもないことがあれば、俺を置いて逃げ……いや、村に急いで下さい」
「…………」
同じようなことは、傭兵隊でもよく言われることがある。それでも完全には納得できていないのか、コーデリアは沈黙する。
「ここはもう、村に近い。村に危機を知らせ、キースさんたちに異変の原因を伝える。それが最優先です」
「……わかりました」
でも、そんなことにならなければいいんですけど。口の中で小さく呟きながら、コーデリアはしぶしぶといった様子で頷いた。
◇
周囲を警戒し、アルトの指示でやってくる獣たちをやり過ごしながら森の中を進む。少し行くと、倒れた木々が道を塞いでいるのが見えてきた。
「これは……コーデリアさん、気を付けてください!」
前方を見据えたままで、アルトは後ろにかばったコーデリアに鋭く声を飛ばす。
さらに近付けば、森の中に広場のような空間が新たに生まれているのが分かった。無数の木々が凄まじい力でへし折られ、外側に向けて倒れている。
その様子はまさに、何か巨大な何者かが激しく暴れまわったかのようだ。
造りだされた「広場」の中央には、先ほどから何度も見かけたグーラテリウムをはじめ、何種類かの獣や鳥たちが集まっていた。その光景を見て、アルトは気付く。
「
そこに群がる獣たちがいずれも、いわゆる屍肉食者、つまり掃除屋のような役割を果たす者たちであることに。
そして、そのさらに奥には、獣たちに囲まれて黒い小山のような塊が横たわっている。
城壁に匹敵するほど巨大なそれが何であるか、気付くまでにかなりの時間を要した。
それは、アルトにとってはこの森で何度も見かけたものであった。しかし、それがこのような姿になっているとは、全くの予想外だったのだ。
背後のコーデリアが息を呑む音が、アルトの耳にもはっきりと届いた。彼女もその正体に気付いたのだろう。
そしてアルトは、その名を呆然と呟く。
「
それは、かつて森の主と呼ばれていた巨大な獣の、無残な
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