第7話 分断

「うわああぁぁぁ――」

 鞭蜥蜴ヴィルガサウルスに投げ飛ばされたアルトは、悲鳴の尾を引いて森の中を舞う。普段は離れた場所から弓で急所を狙っていたため、これまで捕まったことなどはなかったのだ。

 繁り始めた木々の壁を突き破る寸前、なんとか枝に掴まって勢いを殺すことに成功する。

 だが、その先は切り立った崖となっていた。アルトの掴んだ枝が限界を超えて曲がり、ミシミシと悲鳴を上げる。それが断末魔の叫びに変わり始めたのを感じ、咄嗟に近くの枝に飛び移った。

 それを何度か繰り返し、五本目の枝が千切れた時には、アルトは反動を付け、崖から生えた木に向かって飛んでいた。そうして飛び付くというより、なかば叩き付けられるといった感じで幹にしがみ付くことに成功する。

 しかし、何とか転落を免れて一息ついた時には、アルトは崖を身長の三倍ほど下りた状態となっていた。


 崖の上を見上げ、狩人の青年はため息をつく。

 時間を掛ければ何とか上まで登れそうだが、戦いにはもう加われそうにない。

 もっとも、彼らの事だからヴィルガサウルス一頭程度なら問題にならないだろう。


「アルトさん!」

 さて、どこからこの崖を登ったものか。あたりを見回すアルトの耳に、かすかにコーデリアの声が響いた。


    ◇


 アルトが投げ飛ばされた瞬間に、コーデリアはヴィルガサウルスに背を向けて走り出していた。


「クロード!」

 突然崩れた陣形に、大きな隙を見せたコーデリアをかばうように動きながら、キースが叫ぶ。

 その呼び声より早く、青い軍服の男は動いていた。

 鞘から抜き放たれる剣のごとく、その両腕が残像を残すほどの速さでポケットから弾き出される。投擲用に作られた小さな鉄の飛礫つぶてが二つ、風を切り裂いて真っ直ぐに飛んだ。

 握りこぶしほどもある、それでも体のわりには小さめなヴィルガサウルスの右目に、クロードの攻撃は正確に突き刺さる。

 ヴィルガサウルスはその衝撃にバランスを崩して倒れこみ、再び傭兵たちの前に無防備な姿をさらした。そこにキースが大棍棒を振り下ろす。


 その間にも、コーデリアは後ろを顧みることもなく神授魔法の詠唱を開始していた。

「我,海神の使徒.ここに神々の王たる太陽神レアードに祈り奉る.我らに翼を.天翔ける光の翼を貸し与え給え……『聖翼アーラエ』」

 その祈りに応えるかのように、コーデリアの体から光の奔流が吹き上がった。それは彼女の背後で渦を巻き、一対の翼へと姿を変える。光より成る翼が、まるで本物の鳥のように羽ばたき、その体はふわりと空へ浮かびあがった。

 小さな羽根にも似た光の粒子をまき散らしながら、コーデリアは人が走るくらいの速さでアルトのもとへと向かう。崖から飛び出して振り返れば、彼の姿はすぐに見つかった。


    ◇


「アルトさん!」

 自分を呼ぶ声に顔を上げれば、そこには白い翼を背負い、空を舞うコーデリアの姿。


「良かった……ご無事で……」

「え……えっ?」

 アルトの驚きの声は、すぐに戸惑いに変わった。コーデリアがアルトの背後にまわり込み、抱きかかえるように手を回してきたのだ。


「あ、あの……コーデリアさん?」

 柔らかな感触が背中に伝わり、アルトは自分の顔に血が上るのを感じる。首を回し背後をうかがえば、コーデリアの整った顔が思いのほかに近くに見えた。心なしかその顔は赤く染まっている気がする。しかしアルト自身はそれ以上に赤くなっていることだろう。


「もう大丈夫。手を離してください。みんなのところへ――」

 だが、アルトが木から手を離し、コーデリアに身を委ねた瞬間。


「きゃあっ!?」

「うわっ!?」

 二人の悲鳴が重なった。空中でその体が大きく揺らぎ、ちょうど身長ほどの距離を急激に落下する。


「ごめんなさいっ! 誰かを抱えたまま飛ぶなんて初めてで、やっぱり今の私の力じゃ無理だったみたいです!」

 慌てたようにコーデリアが早口で叫ぶ。そうこうするうちにも、すこしずつ下に向かう速度が増しているような気がした。


「ごめんなさいごめんなさいっ! とにかく、このまま下まで降ります!」

 光の翼が大きく羽ばたくが、落下は止まりそうにない。

 抵抗をあきらめ、まるで鳥が滑空するかのように大きく広がったまま、翼はその動きを止めた。そうして落下速度を遅らせることに専念すると、なんとか姿勢は安定した。そのまま、二人はゆっくりと谷底を目指す。


「コーデリアさん、ありがとうございます」

「えっ?」

 アルトの声に、落ち込みかけていたコーデリアが、驚きの声を上げる。


「で、でも、私は」

 コーデリアの言葉を、アルトは遮って声を上げる。

「コーデリアさんが来てくれたおかげで、俺は助かりました」

「アルトさん……」

 しばし、コーデリアの言葉が途切れる。アルトも、静かにその言葉の続きを待った。


「……こちらこそ……ありがとう……」

 再び、沈黙が訪れた。徐々に谷底が近付いてくる。


    ◇


「やれやれ……こっちは片付いたな」

 そう呟くとキースは、剃り上げられた頭に浮いた汗を腕で拭った。


 アルトたちが戦列を離れたとはいえ、三人でかかればヴィルガサウルスが動かなくなるまでにあまり時間を要しなかった。それでも、戦いの終わった時にはすでに、二人の姿は崖下へと消えていた。

 とどめを刺したことを確かめた後、周りの様子を探るキース。クロードは先に、警戒のために馬車の方へ戻っていた。


「ど、どうしよう……どこか下に降りる場所……降りる場所……」

 しかしカリナは、ヴィルガサウルスの遺体や二人の同行者を顧みることもなく、崖下に続く道を探し始める。

 その目の前で、小さな青い光の球が谷の底から浮かび上がってきて、そして弾けた。コーデリアが神授魔法で生み出した信号弾、それも無事を知らせるものだ。


「ふむ。どうやら大丈夫そうだな。先に打ち合わせたとおり、俺たちはこのまま村に向かうぞ」

 カリナの背後から、キースが声を掛ける。

 谷を渡る吊り橋や、谷底に降りる小路は周辺にいくつか存在するが、いずれも馬車では通れない。谷の対岸側にある村までは、馬車だとかなり遠回りになる。

 それゆえに、何らかの原因で馬車とはぐれた場合、谷を越えてまっすぐに村を目指す。彼らはあらかじめそう決めていた。

 特に、この辺りで狩人をしていたアルトならば、近道や抜け道をいくつも知っている。コーデリアも行動を共にしているならば、まず問題はないはずだ。


「ええっ!? でも……でも、こんなところで、その、二人っきり……なんて……」

「何を心配しとるんだ、お前さんは」

 大慌てで懸念を訴えるカリナに、キースは呆れたような目を向けた。


「先に行くぞ。あの二人なら心配はあるまい。案外、俺たちよりも先に着いているかもしれんな」

「あ、あっ……ちょっと待って!」

 なおも未練がましく崖下を覗き込んでいたカリナだったが、キースの姿が街道の方へ遠ざかっていくと、慌ててその後を追って駆けて行った。


 戦いが終わり、人間たちが去って、あたりは静寂に包まれる。だが、ほんの一瞬の間を置いて獣や鳥たちの声が満ち始め、森はすぐにいつもの姿を取り戻した。

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