第6話 はじめての実戦
「おおい、そっちへ行ったぞ!」
アルトの住むプレア村から少し離れた森の小路。新緑の季節も盛りの森に、禿頭の巨漢の叫びが響き渡った。それに追われるように、アルトが、カリナが森の中を駆ける。
リーフ傭兵隊からは、プレア村の異変の原因究明のため、四人の傭兵が村に派遣されていた。
一人はアルトの幼馴染でもあるカリナだった。
子供の頃プレア村に住んでいたという縁もあり、カリナから参加を申し入れたのが傭兵隊に認められたのだ。
今はもちろん、ヴェルリーフの傭兵隊本部で再会した時の、給仕の格好ではない。獅子色と通称される黄褐色のチュニックに、やや短めの草色のズボン。両手足には金属で強化された手甲とすね当てを付けている。それらは単なる防具ではなく、武器としても使えるようになっていた。
これがカリナの傭兵としての姿。十二神の一柱、獣神アールギランが人間に授けたという武術、獣神拳の使い手が纏うという装束だ。
そして、二人目はコーデリア。
神官の存在というのは傭兵たちにとっても大きな意味を持つ。もちろん回復・支援の魔法を中心とした神授魔法の存在は大きい。特に人の命に係わる魔法は扱いが難しく、そのほとんどは神の力を借りることのできる神官たちにしか扱えないと言っていい状態だ。
それに、魔法による支援を期待するだけではない。多くの神官たちは神殿に属しており、人々は世界各地に点在する神殿から、神授魔法をはじめとする救いを授けている。それゆえに、神官という肩書があるだけ、彼らがいるだけで、初対面の人間からも信用を得ることができる。
さらに神殿は、神官たちに各種装備や宿の提供、魔法による加護など、各種の援助を与えている。魔法による神殿間の移動もその一つだ。そうして、アルトが行きは川船も使って五日で到達した道を、帰りは魔法の力で二日以上短縮することができたのであった。
そして残る二人は、傭兵隊総隊長であるアーロンの命により同行したキースとクロード。
隊の重鎮であるという二人が派遣された理由はただひとつ。すなわちアルトの祖父、バーナード・ソーンダイクの文献の委譲のためである。内乱末期にこの世を去ってより二年、その存在は今なお大きかった。
だが、彼らは村にたどり着く前に、度を越えて暴れ続けているという獣たちの洗礼を受けていた。
今まさに、太陽神レアードが守護する初春の月。あとひと月もすれば、鬱蒼と茂った森は昼なお暗き獣たちの楽園となる。
しかし今はまだ枝葉も伸びきらず、レアードの加護たる陽光が林床までも明るく照らし出していた。
枝を蹴る音、葉と鱗がすれ合う音とともに、枯葉に覆われた地面を細長い影が横切る。樹冠を自由に渡り、地上を走る傭兵たちを翻弄する影の正体は、一頭のトカゲだった。
もっとも、一口にトカゲと言っても、手のひらに乗る程度の小さなものから人間を丸呑みにできるような巨大なものまで多種多様である。
今、彼らが追っているのは、
その最大の特徴は、体の三倍近い細長い尾。その先端部は物を掴めるように平たく、柔らかくなっている。彼らはそれを人の手のごとく自在に操ることができた。時には獲物をからめ取って引き寄せ、時には鞭のように外敵を打ち据え、また時には木の枝を掴んで木から木へ移動する。
何よりも厄介なのは、爬虫類としては高い知能を持っていることだ。幸い人間を獲物とすることこそないものの、ときおり積荷につられて隊商を襲い、時には馬車ごと谷に突き落とす、ということさえ稀ではない。そしてさらに、味をしめたものは街道近くに潜んで大きな被害をもたらすことも。
今回も、村に向かう街道の途中で襲われた一行は、馬車から離れてヴィルガサウルスを追って森の中まで入り込んでいた。今回の目的は異変の原因究明だが、旅人に危険をもたらす要素はできる限り排除する必要がある。
もっとも、見方によっては誘い込まれたと言えなくもない。長い尻尾を駆使し、枝から枝へと渡るヴィルガサウルスにとって、森の中は自在に動き回れる有利な戦場である。
アルトも狩人として何度か狩ったことがあり、ヴィルガサウルスを追いながら祖父の文献で頭に叩き込んだこれらの情報を傭兵たちに伝える。
「ちょっと! そんなの語ってるヒマがあったらその弓で撃ち落としてよ!」
カリナの叫びに、それでもアルトは動かない。左手に弓、右手に矢を携えたまま、隙を窺うように樹冠に目を凝らし続ける。
その呼吸はいつしか、深くゆっくりとしたものに変わっていった。視界が徐々に暗くなる。その中で目標となるヴィルガサウルスだけが、まるで天からの明かりに照らされたかのように浮き上がって見えはじめた。集中力が高まってきた証拠だ。
「待て。まだ早い」
キースが小さく制止の声を上げた。アルトには届かない程度に抑えた声を聞き、クロードは軍服のポケットに伸ばした手を止める。
「お手並み拝見と行こうぜ」
一瞬アルトに視線を送ったキースに、クロードはかすかに頷いた。
背後で行われているそんなやり取りに気付くこともなく、アルトはゆっくりと弓につがえた矢をヴィルガサウルスに向ける。
ヴィルガサウルスはその四肢で大木にしがみ付いたまま、近くの太い枝に向かって長い尻尾を伸ばした。しっかりと枝を掴んだところで四肢を離し、振り子のように枝からぶら下がって別の木に飛び移る。それを繰り返しながら木から木へと渡ってゆく。
その体が、森の中でちょっとした広場のようになっているところに近付いた瞬間、ようやくアルトが動いた。
目標は尻尾、それも次の幹に渡るため四肢で幹を蹴った瞬間。放たれた矢は、狙い違わず先端近くの柔らかな部分に突き刺さり、尻尾を枝に縫いとめる。
痛みと刺さった矢が邪魔をして枝を放すことができなくなり、その体は完全にバランスを崩してしまった。不完全な状態では体重を支えきれず、飛び移ろうとした勢いのまま、その体は森の中の広場へと転がり落ちる。そこには、傭兵たちが戦うのに十分な広さがあった。
「お見事!」
ただ一撃で撃墜するだけでなく、落とす場所まで計算していたアルトの技に、キースから感嘆の声が上がる。
禿頭の巨漢はその背から金属で強化された棍棒を抜き放つと、肩に担ぎなおしてヴィルガサウルスに駆け寄る。並の人間ならば、持ち運ぶだけでかなりの消耗を伴うであろう大棍棒。これも神官風の装束には似合わぬ武器であった。
「どりゃあ!!」
雄叫びとともに、キースは肩に担いだ大棍棒を振り下ろす。弧を描く一撃には自身の体重も乗っており、ヴィルガサウルスの体は怒りの咆哮と共に大きく揺らいだ。
「やあああっ!」
カリナもそれに続くように跳んだ。まずは近くにあった木の幹に飛び付き、それを両足で蹴る反動で、さらに高く舞い上がる。
「獣神拳、『
体を倒した状態から全身を捻り、体重を乗せて真下に打ち下ろす回し蹴り。アクロバティックな動きは、獣神拳の真骨頂である。ヴィルガサウルスの右前足に蹴りを叩き込むと、続けて猫のように回転して着地、さらに宙返りをしながら間合いを広げる。
「うわあ……」
思わずアルトの口から呻き声が漏れた。前衛二人が接敵したため、今度はアルトの方が様子を見るため攻撃を控えていたのだ。
六年ぶりに見る幼馴染の動きは、アルトの予想を超えていた。もともと苦手意識を持っていた相手が、さらに強くなった様子を目の当たりにして、アルトは額を流れ落ちる冷や汗を手で拭う。
ヴィルガサウルスも、もちろんやられているだけではない。全身を大きく震わせると、その反動を利用して尻尾を振り回す。その名の由来である鞭のごとく、勢いに乗る尻尾が周囲を薙ぎ払った。
もともと小動物や木の実を主食とする彼らにとって、あまり強力な武器は必要ではないとはいえ、その長さゆえの破壊力は人の振るう皮製の鞭を大きく上回る。
一撃で致命傷となることはほぼないとはいっても、まともに防具のないところに当たれば戦いに支障をきたす程度の威力はある。簡単に受けられるようなものではない。
カリナは咄嗟に体を丸めながら、地面に伏せるようにして尻尾の下をくぐり抜ける。
一方、キースは一歩後退しながらも、迎え撃つように大棍棒を振り上げ、尻尾を弾いて攻撃を逸らした。剃り上げられた頭の上をかすめるように、少しばかり勢いのゆるんだ尻尾が通り過ぎてゆく。
初撃をやり過ごした二人は、敵を見据えたまま後ろに下がり、長い尻尾の間合いから離れる。
一旦距離をとった傭兵たちに対し、ヴィルガサウルスは円を描くように何度も尻尾を振り回して威嚇した。風を切り裂くヒュンヒュンという音が、静かな森をかき乱す。
膠着しかけた状況から、先に動いたのはヴィルガサウルスの方だった。円を描いていた尻尾の軌道が
それが攻撃の予備動作と真っ先に見抜いたのは、狩猟経験のあるアルトだ。そして、その狙いがどこにあるかも。
獣が群れを襲う場合には、最も弱そうな相手を狙うことが多い。通常は子供や傷ついた個体が獲物となる。
今回狙われたのは、攻撃にまわっていなかったコーデリアだ。
そしてこの時、コーデリアのことを見誤っていたのは、ヴィルガサウルスだけではなかった。
これまで一緒に戦う機会がなかったアルトも知らない。彼女に何ができるかを。この程度の攻撃ならば、防御魔法で苦もなく防げるであろうことも。
「危ないッ!」
だから、ヴィルガサウルスの尻尾が鞭のごとく打ち出された瞬間、アルトは考える余地もなく、コーデリアをかばうために飛び出していた。
「っ!?」
飛び込んできた人影に、コーデリアも小さく悲鳴に似た叫びをあげた。このままでは防御魔法に巻き込むことになる。咄嗟に発動しようとしていた魔法を中断する。
そして、ヴィルガサウルスの尾は、コーデリアの前に立ちふさがったアルトの腰に絡み付いていた。普段は木の上で自分の体を吊り下げることもできるそれは、強靭な筋肉の塊である。人間一人なら、振り回すことすら難しくはない。
予想外の獲物を持て余すかのように、尾は激しく動き回る。先ほどのお返しとばかりにひとしきり振り回したのち、ヴィルガサウルスはアルトの体を空高く放り投げた。
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