第5話 傭兵隊の幹部たち

「久しぶりだな。我らのことを覚えておられるかな」

 コーデリアの案内で通された傭兵隊総隊長の執務室。

 そこでアルトを迎えたのは、銀鼠色ぎんねずいろのサーコートを纏った白髪白髯の老将だった。

 その左足だけに、鈍い光を放つ金属でできたブーツを着けているように見える。かつての内乱で片足を失った彼が義足を使用していることを、アルトは祖父の葬儀の時に聞いていた。そして左手には、胸のあたりまである白木の杖を握りしめて支えとしている。


 部屋の中には他に、黒い外套の巨漢と青い軍服の青年、そして事務服の女性が控えている。

 女性を除く三人の男たちとは、アルトはすでに面識があった。


「はっ……はい! ア、アルト・ソーンダイクです! 祖父の葬儀の際には、しっ、失礼をいたしましたっ」

 震える声を必死で押さえながら、アルトは頭を下げた。


 アルトの祖父、バーナード・ソーンダイクは、故郷であるプレア村の墓地で眠りについている。

 内乱が終わったのち、弔いのために彼らは村を訪れ、村長や遺族であるアルトと話をしていった。その時はあまりに慌ただしく、ゆっくり彼らの相手もできなかったが。


「いやいや、こちらこそ大した力にもなれず失礼した」

 執務室の中央には、応接用の机といくつかの椅子が備え付けられている。老将はそのうちの一つをアルトに勧めると、自らも義足の存在を感じさせない動きでその対面に腰を下ろした。


「改めて名乗らせていただこう。あの時は王国軍を辞したばかりだったが、今ではこのリーフ傭兵隊の総隊長を務めることになった、アーロン・バウンドだ」

 アーロンはかつてのリーフ王国の騎士団長であり、リーフ内乱における旧王国軍では大隊長を務め、『鉄人』の異名で呼ばれていた。隊本部の中央棟であるバウンド棟も、彼の名に由来している。


 かの動乱を勝利に導いたといわれる九人の大隊長のうち、生き延びたものはただ二人。

 このうち旧王国軍最強の戦士にして元一番隊隊長、『紫電槍しでんそう』リチャード・ガイアは別格とされているが。


 元二番隊隊長アーロンも、最後の戦いにおいてその左足を失う。

 近年とみに衰えを自覚していた老将は、最前線より身を退くことを選んだ。だがその後も彼のもとで働くことを望むものは多かった。そして、終戦後ほどなく結成されたリーフ傭兵隊において、傭兵たちのまとめ役を勤めることとなる。


「おっ、お忙しいところ、お時間をお作りいただき、ええ、誠に恐悦至極……」

「はは、そう緊張せずともよろしい。我らは皆、君のお爺様に多大な恩がある。ソーンダイク殿がいなければ、今のこの国と傭兵隊はなかった。ゆえに、君と、君の村からの依頼なら、できる限りのことはするつもりだ」

「はっ、はい!」

 とはいえ、このような場に慣れていないせいもあり、裏返った声が出てしまう。


「はっはっは! 団長、そう威圧しちゃ駄目ですぜ」

 笑い声をあげたのは、アーロンの左に控えていた禿頭の巨漢だった。

 青年を通り越して、壮年といってもよい年頃。背は、成人男子としてはやや低めのアルトよりも、頭一つ半は高かった。目、鼻、口といった顔のパーツも、手足も大きい。かといって、太っているというわけではなかった。全身が鍛えら上げられ、発達した筋肉の鎧で覆われているのが服の上からでもよくわかる。

 身に付けているのは神官たちの纏う法衣に似た外套だが、アルトはそれに違和感を覚えた。宗派を示す紋章などが、何も描かれていない。おまけにその色は闇夜のような黒だ。十二神の中にも、このような黒をシンボルカラーとする神はいなかったはずだ。


「あはははっ。キース、あんたも人のことは言えないだろ」

 アーロンの右に控えていた青の軍服姿の男が笑う。その声は、年に似合わぬ子供のような無邪気さを含んでいた。二十歳過ぎくらいの、細身で愛想の良い青年といった印象であるが、まるで手入れを放棄したかのように無造作に伸ばされた前髪が目を覆い、その雰囲気を壊している。


「この二人には会っているな。キース・ハワードとクロード・ホープだ」


「そんなに恐れることはないぞ。何も取って食おうってわけじゃない」

 禿頭の巨漢、キースがアルトに笑いかける。


「ああ、俺も老師には世話になった。できる限り力になるよ」

 軍服の青年、クロードも言葉を重ねる。


「あ、ありがとうございます」

 続けてアーロンは、秘書机のそばに立つ女性に向き直る。


「そして、騎士団時代から私の秘書を務めてもらっている、エリザベス・シェリングだ」

「よろしくお願いいたします」

 アルトより五歳以上は年上のように見える、怜悧な印象の女性は、優雅な仕種でアルトに礼をする。


「は、はいっ。よろしくお願いしますっ!」

 とはいえ、アルトのうろたえぶりは、決して緊張のためだけではなかった。秘書の女性はともかくとして、男たちの発する気配に委縮してしまっている。もちろん彼らに会うのは初めてではないが、祖父の葬儀の時には悲しみでそれどころではなかったのだ。


 狩人として経験を積むうちに、アルトは少しずつ森に潜む獣たちの気配も読めるようになっていた。それを応用して、人の気配までも。それが、本人たちも気付かないうちにアルトを追い詰めることになっていた。


 キース・ハワードとクロード・ホープ。


 二人はリーフ内乱時における旧王国軍の古参であり、その勝利に大きく貢献した人物であった。もっともそれは、この時のアルトには知る由もないことであったが。

 当時は裏方に徹し、時には表に出せない仕事に手を染めることもあった。そのため、英雄と呼ばれたリチャードをはじめとする大隊長たちの陰に隠れて、その名は表舞台ではほとんど知られていない。

 その後、大隊長たちのほとんどが姿を消した現在では、その腕を買われリーフ傭兵隊の中心人物となっている。


 アルトの感じ取った彼らの気配は、まさに肉食獣そのものだった。

 ただし、おなじ肉食獣と言っても、二人の印象はかなり違っている。

 キースの方は、真っ向から獲物に襲いかかり、力で捻じ伏せる。ある意味見た目通りともいえる印象だ。

 一方、クロードの方は、その言動の妙な子供っぽさとは異なり、物陰に潜んで獲物を待ち伏せ、音もなく襲いかかる獣。そんな印象があった。

 それに対してアーロンの放つ気配は、しいて言うならば草食獣に近い。と言っても、その大きさは並のものではなく、アルトは故郷の森にすむ主と呼ばれる巨大な獣を思い出していた。長い首と尾、それに大きな屋敷に匹敵する巨体を持った爬虫類。普段はおとなしく、のんびりと高い木の枝葉を食べているが、ひとたび怒らせれば森の地形を変えるほどに暴れることもある。

 静かな、落ち着いた気配ではあるが、それは大きな力をその内に封じ込めているため。それが、アルトがアーロンに対して抱いた印象だった。


 彼らもまた、英雄と呼ばれる者たちなのだ。旧王国軍の二番隊隊長として戦ったアーロンだけでなく、表舞台に立たなかったキースとクロードも。


 もっとも、一人ずつならば、アルトもこれほどまでに緊張することはなかっただろう。

 三人を前にすると、まるで深い森の奥で獣の群れに囲まれ退路を断たれた、そんな気分であった。

 いつしか深呼吸をするかのように、無意識のうちにアルトの息が大きくなっていた。それはまさに、狩りにおいて手ごわい獲物と対峙したのと同じ状態であった。


 そういえば……。アルトは少し前まで一緒にいたリチャードのことを思い出す。もちろん彼も英雄であることは疑いようもないのだが、戦っているときはともかく、普段や眠っているときは全くといっていいほど強い気配を感じなかった。あるいは気配を隠すすべでも体得しているのだろうか。


「さて……この度は仕事の依頼に来られたということでしたな。それでは、その内容についてお聞かせ願えますか」

 咳払いを一つして、アーロンが話を引き戻した。その口調も、仕事用のものに変わる。


「はい! それでは……」

 アルトも呼吸を整えて、ここに来るまでに頭の中でまとめておいた要件を順に話し始める。


「まず依頼としては、プレア村の周りで獣たちが暴れ始めているため、その原因の究明と、可能な限りそれを取り除く、ということになります」

 アルトの話を、エリザベスが書き留めてゆく。それをちらりと見やり、再び正面に視線を戻すと、アーロンが続きを促してきた。


「毎年春になると、冬眠から目覚めた獣たちが活発に動き始めます。彼らは冬眠中に消耗した体力を回復するために餌を求め、そして冬の間に解消してしまった縄張りを作り直すため、森のあちこちで争いが始まります」

 故郷の森の話をするうち、アルトは徐々に落ち着きを取り戻し始めた。ときおりつかえながらも、説明を進めてゆく。


「いつもの年なら、春が進むにつれて縄張りも決まり、獣たちの争いも徐々に収まっていくのですが……今年はこれまでの年とは様子が違いました。まるで森の奥から湧き出すかのように、無数の獣たちが村の近くにまで姿を現し、そして暴れまわっています」

 そこまで聞いたところでアーロンは、秘書の机で書類を探っていたエリザベスに目をやった。


「確かに、書類を見る限り、プレア村との往復の馬車が獣に襲われたという報告がいくつか来ています。それも、例年よりも件数が多く、他の地方よりも頻度が高いようです」

「うむ」

 再び向き直ったアーロンに促され、アルトは話を続ける。


「そのあと、数日かけて森の様子を探ったのですが……」

 そこで、アルトの口調が再び歯切れの悪いものに変わる。


「これは、ただの想像……いや、感想でしかないのかもしれませんが……」

「かまいません」

 自信のなさげなアルトを後押しするかのように、アーロンの力強い声が響く。


「どんな些細なことでも、それは傭兵にとって仕事の手掛かりとなります。万が一、それが間違いだったとしても、その後はすべて我々の仕事です」

「はい……それでは」

 咳払いを一つすると、アルトは森を調べた時からずっと感じていた、最後の言葉を吐き出す。


「獣たちの様子は、まるで森の奥にある何かから逃げているようでした」

「何か……ですか。つまり、それが今回の目的というわけですな」

「はい」

 依頼内容を語り終え、話は報酬の件に移った。アルトの口調がまた、やや暗いものに変わる。


「それから、今回の仕事の報酬についてですが、まず一つは村から用意できるお金が……」

 アルトが口にしたその金額に対し、表情をほとんど変えることなくアーロンは淡々と言葉を続ける。


「我々はあなた方の村の苦しい事情も存じております。ですが……」

 再びアーロンが、エリザベスに話を向ける。彼女が口にした依頼の相場に比べると、アルトが提示したものは半分にも満たないであった。


「はい、報酬はもうひとつ用意しています。それは祖父の……バーナード・ソーンダイクの集めた文献です」

 アルトのその言葉に、四人は一様に驚きを表した。


 アルトの言う文献とは、バーナードが生涯をかけて集めた書物の数々を意味する。

 その存在については、幹部の面々も知っていた。そこに含まれる書物の数は数千冊とも、あるいは万を超えるともいわれる。まさに、小国の首都にある図書館に匹敵する規模だ。

 だが、その全貌を理解しているのは、おそらく今は亡きバーナード本人のみだろう。

 そしておそらくそれらが、『天魔軍師』の異名をとり、旧リーフ王国だけでなく国外にもさまざまな影響を与えてきたバーナード・ソーンダイクの、英知の源とも言えるものなのであろう。

 そのほとんどは、永らくアルトの実家であるプレア村のソーンダイク邸で保管されてきた。


「それは、貴殿がバーナード殿から受け継いだものではないのですか?」

 アーロンは再びアルトに問い掛ける。

「はい。ですが、祖父の集めた文献はあまりに数が多く、また難解なものも少なくありません。私には、そして村の人々にも、ほとんど使いこなせそうにありません」

 最初のうろたえた様子から一変して、アルトは感情を抑え込むかのように淡々と言葉を紡ぐ。

 だが、隠しきれない悲しみ……いや、むしろ寂しさのようなものが、その表情からわずかながらも垣間見えていた。


「ですから、このまま村に置いて死蔵されてしまうよりも、傭兵隊で多くの人々に利用していただきたいのです。その方が、きっと祖父も喜ぶでしょう」

「なるほど……それでは……」

 アルトの言葉に大きくうなずくと、両脇のキースやクロードと顔を見合せる。

 そして、傭兵隊総隊長アーロンは、厳かに宣言した。


「アルト・ソーンダイク殿。貴殿のご依頼、確かに承りました」

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