第2話 公都ヴェルリーフ
リチャードは寡黙な男のようだった。
戦いが終わり、馬車の商人たち、それにアルトも口々に感謝の言葉を述べても、当然のことと軽く答えたのみだった。
そしてその後は、彼の連れであるノーラという名の少女が、ほとんど一人で話を進めていた。先ほど、馬車とともに姿を消した魔法の使い手である。
それによると、二人がアルトたちの危機に駆け付けたのも、全くの偶然というわけでもないようだ。
近くの村で山賊出没の情報があり、たまたま近くにいたリチャードたちにも、傭兵隊を通じて協力要請があったという。そうしてここ数日は、周辺で探索を行っていたそうだ。
「……ソーンダイク?」
それまでノーラの呼び掛けに最低限答える程度だったリチャードが、初めて目立つ反応を示したのは、アルトの名乗りに対してだった。
「はい。バーナード・ソーンダイクは……俺の祖父です」
バーナード・ソーンダイク。
リーフ王国が公国へと変わるきっかけともなった内乱において、旧王国軍、つまり現在の傭兵隊を勝利に導いた軍師。それ以前から、悪名をも含んで『天魔軍師』の異名で知られていた。
ただし、アルトが最後に会ったのは、もう五年も前のこと。
かつて政治家として、そして軍師として王国のために尽くしてきたバーナードは、ある事件を機に一線から身を引き、故郷であるプレア村に戻った。その後は、商人をしていた一人息子、すなわちアルトの父の仕事に手を貸していた。
さらに時は流れ、アルトとその両親を村に残し、再び王都へと戻ったバーナードは、内乱の始まりとともに旧王国軍に身を寄せ、彼らを勝利へと導くことになる。
だがバーナード自身は、勝ち取った平和を確かめることもなく、終戦直前にこの世を去っていた。
「そういえば、老師のお墓参りにもまだ行っていなかったよね」
「む……そういえば、そうだな」
ノーラの声に、リチャードが考え込むような口ぶりで、布に包まれた槍の穂先を眺めながら呟く。
バーナードの亡骸は、終戦後に故郷のプレア村に運ばれ、そこで葬儀が執り行われた。今は、村を見下ろす高台の墓地で眠りについている。
「それならっ、ぜひ一度プレア村にいらして下さい!」
命の危機を救われた反動か。あるいは憧れの対象である英雄と呼ばれる人物に会えたためだろうか。アルトはいつもの数倍は饒舌になっていた。
「もうすぐ、プレア村で祭りが始まります。祖父の植えた並木が花を咲かせて、村へ向かう道が真っ白になるんですよ。普段は客のほとんどいない村だけど、その花を見るために毎年来る人もたくさんいるくらいで……」
「ね、リチャード。ちょうど今だし、一度行ってみようよ」
その訴えに応えたのは、リチャードではなく、その隣に座っていたノーラだった。
「しかし、この仕事の次は……」
「そっちは急ぎじゃないでしょ! 花は一度散っちゃったらもう見えないんだよっ!!」
自分より頭一つ以上も背の高いリチャードに向かい、ノーラは身を乗り出してまくしたてる。
「うむ……」
野盗の集団をあっさりと退けたリチャードが、ノーラの剣幕に一瞬たじろいだ。
「いいじゃない。だいだい、老師にはいろいろお世話になったでしょ。ちゃんとお参りに行かないと、バチがあたるかもよ」
「む……」
勢いに押され、これまでほとんど表情を変えなかったリチャードの顔に明らかな困惑が浮かぶ。
「では、近いうちに老師の墓参りに寄せてもらうとしよう」
表情をおさめたリチャードはしばしの黙考ののち、アルトにバーナードの墓参りに行くことを約束するのだった。
◆
「じゃあ、後始末はあたしたちがやっておくから」
ノーラが、アルトたちを乗せた馬車に手を振って見送る。そしてリチャードも、その隣で小さく頷いた。近くの町の警備隊も遅れてやってくるという。
動き始めた馬車の中から、アルトも手を振り返す。
やがて馬車は少しずつその速度を上げ、彼らの姿は瞬く間に小さくなった。
結局最後まで、あの二人の関係はよくわからなかった。夫婦、というわけでもなさそうだが。初対面で色々と聞くのも失礼であり、またアルトの方も若い女性と話すのは苦手、というのもある。例の魔法についても、結局聞けずじまいであった。
とはいえ彼らも、村にも来ると言っていたし、また会う機会もあるだろう。
それよりも、今は少し疲れた……。
街道は山を回り込むように曲線を
アルトはそのまま、馬車の中で深く腰掛け、体を休めることにした。体は疲れを訴えているが、心は先ほどの出会いで昂っている。そのまま精神を集中させて、周りの気配を探る。
どうやらしばらくは、平穏な道行きとなりそうだ。
◆
その後は人にも獣にも襲われることはなく、彼らを乗せた馬車がリーフ公国の首都ヴェルリーフにたどり着いたのは、当初の予定より半日近く遅れ、二日後の昼近くとなった。そのまま商人の店に向かい、護衛の報酬を受け取る。
そしてようやく、一つの役目を全うしたアルトは、当初の目的であった傭兵隊本部へと最初の一歩を踏み出すのであった。
内乱終結後、新たな体制となったリーフ公国の大きな特徴のひとつが、国と強い繋がりを持つ傭兵隊の存在だ。その由来は、二年前に終息した内乱の際に結成された、九つの大隊からなる旧リーフ王国軍である。
姿を変えた旧王国軍は、終戦後に帰る場所を失った者や、戦いを生業とする者たちに働く場を提供し続けていた。
もっともその仕事は、人々に害を及ぼす獣や盗賊などの討伐だけでなく、内乱からの復興や開拓への協力、要人や旅人の護衛、人や魔法具の探索など多岐に渡る。はては市民たちのちょっとしたお使いや迷子探し、喧嘩の仲裁なども傭兵隊に持ち込まれるため、傭兵たちは何でも屋と揶揄されることも少なくないのである。
公都ヴェルリーフにおいて、傭兵隊本部を探すのはたやすいことだった。
城塞に囲まれたヴェルリーフ市街の外側に新たに築かれた、ひときわ目立つ大型建造物の集まりがそれである。本部は旧王国軍の大隊長たちに由来する九つの棟からなっているが、人手不足のためその完成率は半分にも満たず、現在も建築中の部分が目立つ。
その中で最も早く完成したのが、中央に位置するバウンド棟である。そこには傭兵たちが仕事を求めて集う受付とメインホールがあるだけではなく、一般市民にも開放される食堂や酒場としての機能も兼ね備えている。
まるで城門のような豪華な作りをした正面入口を抜けると、そこはエントランスホールとなっていた。そこには案内所を兼ねた小さな受付があり、二人の女性が詰めている。
ここに来た目的は、もちろん仕事の依頼のため。早く依頼をすませて、村に戻ろう。そう思い受付に足を運びかけたその時、その背後の壁に掛けられていた絵がアルトの目に飛び込んできた。
そして、狩人の青年の時が止まる。
それは、九人の男女が描かれた肖像画だった。旧リーフ王国を襲った戦火を振り払い、そして散って行った英雄たちの群像。
その中でもアルトの目を釘付けにしたのは、その右端に描かれた、初老の男の横顔だ。
別れを告げる時間もなかった。言葉を交わすことも、もう二度とない。
肖像画とはいえ数年ぶりに目にするその姿に、さまざまな思いが、心残りが、アルトの胸を通り過ぎてゆく。
いつしかそれが涙に変わり、頬を伝い下りてゆくのにも気付くこともなく――その様子に驚いた受付の女性に肩を揺さぶられるまで、アルトはただただ呆然とその場に立ち尽くしていた。
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