変わる世界の傭兵たち
広瀬涼太
第一章 狩人の季節
・英雄たちに出会う春
第1話 公都へと向かう旅
祖父がまだそばにいた幼い頃。彼の話す英雄たちの物語に夢中で聞き入った。
街を襲う
幼かった少年は、やがて彼らの物語がただの絵空事ではなく、真実であったと知る。そして、少年の祖父が彼らと肩を並べる存在であることも。
少年は英雄たちに憧れ、いつかは彼らのようになりたいと願った。
しかし、その夢ははるかに遠く――。
幼い夢を置き去りに、少年は青年へと変わりゆく。
夢を忘れて、一人の村人として生きる。いつしかそんな日が続くことに疑問すら感じなくなった頃、青年は小さな村のために働く狩人となっていた。
やがて彼の国が戦火にのまれ、彼の祖父があまたの英雄たちとともに歴史の彼方に消えても、寂れた小さな村には変わらぬ静かな時が流れ続ける。
これまでも、そしてこれからもずっと続いてゆくはずの、そんな日々の中で――。
アルト・ソーンダイクは、初めて本物の英雄に出会った。
◆
思わずこぼれそうになった叫びを、アルトは慌てて封じ込めた。
独特の装束の裾を翻し、深紫の残像が視界を流れる。
人より素早い獣などいくらでもいる。何年か狩人をやっていれば、それを見る機会には事欠かなかった。しかし、その動きはアルトの想像をはるかに超えていた。
一瞬、獣でも飛び込んできたかと錯覚した。だが違う。
アルトの眼がようやく捉えたのは、疾風のごとく駆け、竜巻のごとく槍をふるう一人の男。
獣でもない。人でもない。それらを超えた何か。
のちにアルトは知ることになる。
紫電――それは稲妻のごとき超高速の突きであり、舞い踊る銀の穂先の閃きであった。
◇
村を訪れていた商人の馬車に同乗して首都に向かい、そこにある傭兵隊本部に仕事を依頼する。それが今回のアルトの役目。村の周りで暴れている獣たちに対応するための護衛も兼ねていた。
乗り合わせたのは、商人と、御者を含む数人の従者。
少々敵に襲われたところで、アルトがこれまで培った狩人の技で十二分に対処できるはずだった。実際に、村の周りでは襲ってきた肉食獣をアルト一人で撃退することができたのだが……この時ばかりは勝手が違った。
馬車を取り囲むのは、武装した人間の集団。いわゆる野盗や山賊などと呼ばれる者たちだ。その数は三十人をゆうに超えている。
馬車を降り、背中に背負っていた弓に手を伸ばそうとしたとき、敵の放った矢がアルトのすぐそば、馬車の幌に突き刺さった。
(だめだ……相手が多すぎる……)
狩人を続けるうちに、アルトは獣たちの放つ気配には敏感になっていた。人間と戦う機会はこれまでほとんどなかったが、殺気立った野盗たちの気配を探るのは難しいことではなかった。
完全に包囲されている。自分一人ならまだしも、馬車を逃がす隙は見付けられない。
「武器を捨てやがれ! おかしな真似はするな!」
馬車の前に立ちふさがった、野盗の首領と思しき大男の怒号が空気を震わせる。まるでそれに共鳴するかのように、アルトの腕までもかすかに震え始めた。
もはやなす術もない。商人の従者の中には戦えるものもいたが、それでもこの数相手ではほとんど無意味だろう。
一旦相手に従って、何とか助かる道を――覚悟を決め、弓矢を取り落としたその時――。
アルトの視界を、銀の嵐を纏った深紫の稲妻が駆け抜ける。そして次の瞬間には、数人の野盗たちがまとめて吹き飛ばされていた。
しばしの混乱の後、ようやくアルトの眼がその正体を捉える。
一人の男が、野盗たちの中に飛び込み白銀の槍を振るっていた。その身に纏うは、ガウンに似た深紫の見慣れぬ装束。
短く刈り込まれた銀髪の下で、
突き出された槍の穂先が、一人の野盗の腕を浅くかすめる。外した、とアルトが思ったのもつかの間、槍がかすめた腕が、はじけるように血を噴き出した。斬られた男は持っていた剣を取り落とし、そのまま腕を押さえ地面にうずくまる。
さらに、銀の穂先は留まることなく幾度も三日月のごとき弧を描き、時には二人、三人とまとめて野盗たちが斬り伏せられてゆく。
三十対一程度の人数差など、ものともしていない。
アルトが慌てて足元の弓矢を拾い上げた時には、馬車の前を塞いでいた集団のほとんどが倒されていた。槍使いの前に立っているのは、首領ただ一人。
「おのれえぇぇ!!」
絶叫とともに斧を振り上げ、首領が背後から槍使いに迫る。
対して槍使いは、右足を半歩だけ進めて半身となり、無造作に槍の石突きを向けただけ。アルトにはそう見えた。
槍と斧とが行き違い、槍の石突きは吸い込まれるように首領の眉間をとらえる。斧は斜めに踏み出した槍使いの横を通り過ぎ、地面に突き刺さっていた。
「グ……」
首領の目は信じられないとばかりに見開かれ、その口からはくぐもった呻きが漏れる。直後に首領の体は後ろに傾き、こわばったまま倒れこんだ。
それを見届けることもなく、槍使いは次の標的を求めて地を蹴る。
「何だこいつ!? 強え!!」
野盗の一人の叫びは、決して答えを期待してのものではなかったのだろう。
「リーフ救国の英雄、『紫電槍』リチャードだ! あんたたちの敵う相手じゃないよ! さっさと逃げちまいな!!」
だが、その場にいなかったはずの若い女の声が、それに答える。
いつの間にか馬車のそばに、一人の小柄な少女が姿を現していた。
くすんだ金髪の、地味な印象の少女だ。馬の陰に隠れるようにしながらも、虚勢と震えを含んだ声を上げている。
彼女の言葉に、野盗たちの間にどよめきが広がった。中には逃げ出そうと背を向けた者もいる。
無理もない。その名は旧王国軍最強の戦士にして、二年前に起こったこの国の内乱を終わらせた英雄のものだ。そして、先ほどから見せつけられているその強さは、英雄の称号にふさわしいものだった。
「相手は二人だ! 人質を取れば何とでもなる。その生意気な女からとっ捕まえろ!!」
崩れかけた野盗たちを押しとどめたのは、馬車の後ろ側に立っていた、副首領らしき長身の男の声だった。
いかに英雄と呼ばれた人物でも、槍一本では馬車を取り囲んだ野盗の群れを一瞬で倒すことはできないはず。副首領の命に従い、まだ無事な者たちが、リチャードを大きく迂回して馬車に迫る。
「ひっ!?」
それを見た少女ののどから、小さな悲鳴がこぼれる。
アルトはその直後、少女の気配が変わったのを感じ取った。いや、少女自身が変わったのではなく、目に見えない何かが少女の体からにじみ出し、あたりを包み込もうとしているかのようだ。
(これは……魔法……?)
その答えはすぐに出た。人の手では成し得ない超常の力が、世界の法則を書き換えはじめたのだ。
透明な気配に染められるように、少女の姿が急速に透き通り始めた。続けて馬が、御者や乗客たちとともに馬車が、その姿を消してゆく。瞬きを数度繰り返す間に、アルトの眼の前で影も残さずに彼女たちは消え失せた。
ヒヒイィィン!
馬車に繋がれていた馬の嘶きだけが、戦いの喧騒を裂くように街道に響きわたる。一瞬遅れて、車輪の回る音がアルトの耳に届いた。慌ててアルトは、姿を消す前の馬車がいた場所から離れる。
「ぐわああっ!?」
馬車を押さえようと近づいてきた野盗が数人、見えない馬車に轢かれた。
「止まれ!」
続いて聞こえたのは、凛とした女の声。アルトはすぐにはそれが誰のものかわからなかった。
その場にいる女性は、あの魔法を使った少女だけのはず。だがその声は、それまでの虚勢や怯えを含んだものとは全く異なっていた。
気が付けば馬車は、何もない空間から湧き出すようにその姿を現している。その時には馬車はもう、リチャードの切り開いた隙間を通り、囲みを抜けていた。
アルトも馬車を追う。そして、振り向いて気付いた。少し離れた場所、木の上から弓を持った野盗がリチャードを狙っている。
自分も護衛として雇われた身だ。ただ見ているだけではいられない。素早く弓を構え、弓を構えた男に狙いを付ける。男の方も、リチャードの速さに狙いを絞りかねているようだ。だが、アルトの放った矢に肩を貫かれ、男が木から転がり落ちた時には、すでに敵の矢は風を裂いてリチャードを目指していた。
「危ない!!」
頭の片隅では無駄と感じつつも、アルトは叫ぶ。
その叫びが届くよりも早く、リチャードは攻撃に反応していた。風車のごとく回転する槍が飛来する矢を絡め取る。一瞬のうちに矢の軌道を見切り、払いのけたのだ。どれほどの技量があれば、そんなことが可能になるのだろうか。
リチャードの様子に安堵したのもつかの間、アルトの体を殺気が貫く。
振り向けば、馬車の後ろにいた副首領が、大剣を振り上げてアルトの方に迫って来ていた。
慌てて弓を構えるが、やはり獣相手とは勝手が違う。矢をつがえる指先に、震えが残っていた。
もはや、狙いをつけている余裕はない。あと数歩で大剣の間合いにアルトを捉えようかという副首領に向け、矢を解き放つ。それは射手の意思に従うことなく、副首領の肩を掠めて飛び去った。
「死ねえぇぇ!!」
怒りを多分に含んだ副首領の絶叫に、とうとうアルトの体は完全に言うことを聞かなくなった。
狩人として、獣たちと戦ったことは幾度もある。命の危険を感じたことも。だから、少しは戦いに慣れているつもりだった。だが、人の放つ殺意は、獣たちの脅威とは似て非なる、アルトにとって未体験の恐怖だった。
見開かれたその目に映るのは、副首領が振り下ろす大剣だけ。
人は死の瞬間、それまでの人生を垣間見るという。集中力が異常に高まったためか、大剣の動きが、やけにゆっくりとして見える。だが、それでも大剣をかわすすべはない。
アルトの体は、完全に時間を止めてしまっていた。
(ああ――)
アルトに与えられたのは、攻撃をかわすチャンスではなく、覚悟を決める時間。
そして、間延びした時間を断ち切ったのは、またしても深紫と白銀の嵐だった。
アルトと副首領の間に割り込んだリチャードが、突き出した右手を軸に槍を振るう。本来ならば槍をふるう余地のない接近した間合いで、風車のごとく槍を一閃。跳ね上げられた穂先側の柄が、副首領の腕を跳ね上げ、続けざまに強かに首筋を打ち据えた。さらに一瞬遅れて、石突き側の柄が足をすくう。
瞬く間に、抵抗らしき抵抗も許されぬまま、副首領は地面に打ち倒されていた。続けて、倒れた背中に石突きで一突き。短い
こうして、時間にすれば二百を数える間もなく、三十人を超える野盗たちはすべて地に横たわり、かすかな呻き声を上げるだけとなっていた。
「どうやら、片付いたようだな」
倒れ伏した野盗たちを見回した後、リチャードがアルトに声を掛けてきた。
「はっ、はい! ありがとうございました!」
「いや、こちらこそ援護に感謝する」
「いっ、いえ……お役に立てず……」
アルトの援護などなくとも、彼ならば一人ですべてを片付けることができただろう。思わぬリチャードの言葉に、アルトは恐縮しながらもかろうじて言葉を返した。
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