第3話 幼馴染の面影
「……!! ご、ごめんなさい、つい……」
傭兵隊本部の受付の前。予想外の『再会』に呆然となっていたアルトは、肩を揺さぶられてようやく我に返った。慌てて上着の袖で涙を拭い、しどろもどろに謝罪の言葉を口にする。
そして、ここで初めて、声を掛けてくれた受付の女性をまともに見ることになった。
色白で長い黒髪を持つ美人。しかし、アルトの第一印象は、誰かに似ている、だった。
アルトと同年代か、少しだけ年上だろうか。腰のあたりまで真っ直ぐに伸びた髪は、透き通るような白い肌とは対照的な、夜空のような深い黒。それでありながら、豊かな艶を湛えている。光を浴びて輝く様子はまるで、宗教画に描かれた天使が頭上に持つ光の輪のようだ。
やや垂れ気味の目は、おっとりとした優しげな印象を与え、髪と同じ漆黒の瞳は、儚げな光を湛えている。
その身に纏うのは法衣。この世界を守護する十二柱の神々に仕える神官たちが身に着ける衣装だ。瑠璃色の法衣の左胸には、十二芒星の上に波と錨が描かれた紋章。それは、海の神マールを主に信仰していることを示していた。
「シエラ……?」
その姿に、幼くしてこの世を去った幼馴染の面影を見た気がして、アルトは気付かぬうちに彼女の名を口にしていた。
◆
「改めまして……コーデリア・ミルズです」
再び混乱状態に陥りかけたアルトをメインホールのテーブルまで連れて行くと、受付の女性は儚げな光を帯びた瞳でアルトを見つめながらそう名乗った。
「まず、貴方のお名前を聞かせていただけませんか?」
「ええと、アルト……アルトといいます」
「では、アルトさん。こちらに来たご用件を……いえ、まず、今何かお悩みがあるなら、お聞きします」
さて、どう話したものか。アルトは目を伏せ、考えを巡らせる。
傭兵隊の総隊長、それに幹部の何人かには、祖父の葬儀の時に会ったことがある。だから、いずれ自分の素性は知られるかもしれない。
それでも、隊本部に肖像画が
「いや……なんていうか……ここには仕事の依頼に来たんですけど……」
頭の中で言い訳を考えつつ、何とか言葉をひねり出す。
「あの絵の中に、懐かしい顔を見たもので……」
「ああ……」
コーデリアは、納得がいったという顔でうなずいた。リチャードともう一人を除いた七人は、かつての内乱における最後の戦いでこの世を去っている。
「それでは、あなたも、誰か……」
そう言いかけたコーデリアの声は、途中で消え入るように小さくなり、そしてそのまま途切れた。
「えっ?」
「あ、いえ、ごめんなさい。こちらの話です。ところで、さっきおっしゃっていたシエラさんという方は?」
亡くなった人物を思い出させることをはばかったのか、コーデリアは話題を切り替えてきた。
「それは……僕の幼馴染で、なんとなくあなたに似ている気がしたから……あ、いえ、深い意味はないですよ。ただ、長い黒髪とか、はかなげな印象とか、優しそうな感じとかが似ているというだけで……」
アルトの方も、祖父のことをごまかそうとするあまり、思いつくままに余計なことまで口にしてしまった。ふと我に返り、一旦言葉を切る。
そうして少し落ち着くと、自分がものすごく恥ずかしいことを口にしている気がしてきた。側から見ていると、まるで彼女を口説いているように見えるかもしれない。
いや、実際にそう見た人もいたようだ。
「こらあっ、そこ、何してんの!?」
若い女性の怒鳴り声が、二人の間に割り込んできた。そちらに目を向けると、一人の給仕の少女が厳しい表情でこちらに真っ直ぐ向かってくるのが見える。どうやら目的は自分たちのようだ。
そしてその少女は、コーデリアをかばうようにその席の横に立つ。
「怪しい奴の言うことなんか、聞かなくてもいいんだよ! きれいだとか、誰かに似ているとか、そんなのただの口説き文句なんだから」
厳しい言葉だが、コーデリアのことを心から心配していることは分かった。
しかし、アルトを睨みつけてくるその顔に、次の瞬間わずかに怪訝な色が宿る。
そしてそれは、アルトの方も同じだった。その少女にも、どこかで会ったような気がしたのだ。
「でも、カリナちゃんも前に同じようなことを言ったでしょ? 昔の友達に似てるって」
わずかに首をかしげながら、コーデリアは少女の方に目を向ける。
「カ、カッ……カリ……!!」
カリナというのが、その給仕の少女の名前なのだろう。
アルトはその名に、これまでにない激しい反応を示した。その顔は急激に紅潮し、明らかに驚きの色を隠せない。
「ん……?」
そこでさらに何かを感じ取ったのか、カリナと呼ばれた少女が顔を近づけ、アルトの顔をのぞき込んできた。
少し癖のある栗色のショートヘア。わずかにつり上った目と強い光を帯びた
その姿に記憶を激しく揺さぶられ、アルトは慌ててカリナと呼ばれた少女から目をそらした。その名、髪や瞳の色。確かに彼女は、もう一人の幼馴染を思い出させる。だが、その少女は、いつも男の子と間違えられるような恰好をしていたはず。
落ち着け落ち着け落ち着け――。
アルトは、平穏を保つための言葉を、心の奥で何度も繰り返した。自分の容姿は平々凡々なものと自覚している。美形でもなければ、目立った特徴もない。寂れた故郷の村では、比較になる同世代の人間もいないのだが。だから、覚えていなくても何もおかしくはないのだ。こんな、どこにでもいるような男の事など。
「あ、ああーーっ!!」
だが、アルトの戸惑いを打ち消すかのように、カリナと呼ばれた少女が叫び声をあげた。
「アルト! アルトじゃない!!」
まさか、こんなところで再会するとは思っていなかった。いや、本心ではきっともう二度と会うことはないだろうと思っていた。
故郷の村を離れて行った、アルトの数少ない幼馴染であり、異性の友人。家にこもって本を読んでいることの多かったアルトを引っ張り出し、野山を連れ回し、振り回した悪友。
そして……アルトの人生を大きく変えた人物の一人。
それがこの、カリナ・ピアースという少女だった。
最後に会った時から六年。ボサボサだった髪は、多少の癖は残っているもののきれいに整えられ、本来持っていたであろう艶を取り戻している。
目を逸らしながら、次にかける言葉を必死で考えるアルト。
しかし、混乱した頭ではろくな言葉が頭に浮かばない。もともと苦手としていた相手が、急に美しく変貌した姿で現れ、アルトはどう接していいかわからなくなっていた。
ふと妙な気配を感じ、そちらに顔を向けた瞬間、カリナが飛び掛かってきた。
いや、飛び掛かられたというのはアルトの主観であり、実際には再会に感極まったカリナが抱き付いてきたというのが正確なところである。
反射的に身をかわそうとするアルトだったが、その時にはもうカリナの両腕に完全に捕らえられてしまっていた。そのまま彼女を支えきれず、椅子を巻き添えに二人して重なり合いながら床まで転がり落ちる。腕に、背中に痛みが走り、さらにカリナが上から落ちてきた。床に倒れこんだまま一瞬息が詰まる。
「ちょ、ちょっとアルト、大丈夫!?」
文字通り目と鼻の先にいるはずのカリナの声が、ずいぶんと遠くから聞こえた気がした。
◇
「我,海神の使徒.ここに生命の母たる大地の神,レディアに祈り奉る.我らに癒しを.かの傷を塞ぎ,この苦しみより解き放ちたまえ……『
コーデリアが紡ぐ力を秘めた言葉が響き、傷口に添えられた手のひらから柔らかな光がこぼれる。それがアルトの体に染み渡ると、痛みが嘘のように引いていった。ただの擦り傷とはいえ、快癒まで少なくとも数日はかかるであろう腕の傷も、まるで時が早送りされたかのように塞がってゆく。
これが神授魔法と呼ばれる、神官のみに許された力だ。回復や援護など、主として人々を救い、力を与える魔法から構成されている。
「はい、もう大丈夫ですよ」
コーデリアの手から光が消えた時には、傷も痛みもまるで最初からなかったかのように消え失せていた。
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