とある少女の話9

 どんなに声を張り上げても、彼の腹部の傷が癒えようとはせず、ただ彼の目の光だけが弱っていく。彼女は目の前で、好きな人が死のうとする瞬間を見た。そして、声を張り上げて符浦栞に向かって言うのだ。

「あなたこそが……あなたこそが世界の敵よ!」

 と。こうして世界の敵である二人が集い、相対することとなる。

 一人は神に等しき力を持った少女で。

 もう一人は、人であるこを捨て神に挑むことを選んだ少女だ。

「そう」

 符浦栞は退屈そうに銃口を向けて引き金を引いた。そこに躊躇いというものはない。しかし、放たれた弾丸は狙いを大きく逸れて、地面に当たった。

 そんな一瞬の隙を見逃さぬように、坂本杏は桜庭結城の体を抱えて空を飛んだ。一瞬対応が遅れたものの、符浦栞は宙に浮かぶ二人に向かって銃弾を撃ち込む。しかし、そのどれも当たること無く、二人は屋上へと消えていった。

 そんなことも可能なのか、と符浦栞は眉をひそめた。あらゆる願望を実現するとは言っても、ここまでとは思えなかった。強い能力であれば、扱うのが難しいなどデメリットがあるものだが、彼女にはそういうものはないように思う。

 しかし、符浦栞もカミサマ殺しに関してはプロだ。それに、人であることを辞めている最終兵器だ。その言葉に、それ以上の意味はない。彼女は地面を蹴って、屋上まで飛び上がる。その際の衝撃で地面にヒビが入った。

 屋上では坂本杏が、桜庭結城を助けようと声をかけていた。しかし、予想よりも遙かに早く符浦栞がやって来たことに動揺が隠せずにいた。

「どっ、どうやって来たのよ! ここ、屋上よ!」

「ジャンプしたの」

 銃声が数発、空に轟く。しかし、そのどれもが命中することなく地面に跳ねた。

「あはは、あなたじゃ私を殺せない見たいね!」

「……それはどうかしら?」

 彼女は新たにナイフを取り出した。そして、手首を切りつける。

「……あなた……それって――」

「あら、青い血を見るのは初めてかしら?」

 彼女の手首から青い血が滴っていく。人とは思えぬ、絵画のような光景に、坂本杏は目を奪われる。風に靡いた青髪と、ナイフを濡らした青い血が目に鮮やかに写っている。

 彼女はそんな青い血で拳銃を汚した。黒に混じった青色が拳銃を彩る。そして、標的を見定めて引き金を引く。

 そんな彼女の行動に危機感を覚え、杏は目の前に岩を生成させる。しかし、弾丸が当たった瞬間、その岩は跡形もなく消えた。さらに数発、遅れて撃ち込まれた弾は、急速に逸れることなくまっすぐに彼女の頬をかすめた。赤い血が滴り、制服を汚した。

 しかし、そんな頬の傷は瞬時に癒え、何もなかったように綺麗な肌に戻っている。

「……やはり、直接手を下さないと駄目みたいね」

 あの時、由香里先生を殺したかのように。遠距離からの攻撃では直接の死因にはなりえないと判断した。

 一方、坂本杏も逃げるのではなく、相手に立ち向かわなければいけないと考えていた。遠くに逃げても、きっとあの青い血を滴らせた最終兵器は追ってくる。能力で殺すことができないならば、どうすればいい? 考えに考え抜いて、桜庭結城が固く握りしめていたナイフを手に取った。

 そのナイフは彼女にとって重すぎた。しかし、生き残るにはこれしかない。幸い、符浦栞は拳銃を地面に転がし、青い血で独特な光沢を見せているナイフを握りしめて、まっすぐこちらに歩みを進めていた。

 坂本杏は怖いと思った。それでも彼女がナイフを握りしめ、震える肩を勇気で押さえつけられるのは、戦うことを選んだ彼のお陰だ。

 心臓が痛い。頭が逃げようと訴えている。それでも耐えた。

 癒えたはずの頬がズキズキと痛む。符浦栞が無意味だと投げ捨てた拳銃も、少なからずダメージを蓄積させていたらしい。呼吸の仕方を思い出すように、ゆっくりと息を吸い込み吐いた。

 先に仕掛けたのは符浦栞だった。地面を蹴ったことによる衝撃が、坂本杏にまで伝わった。限界を超えた初速による攻撃を、何とかギリギリで回避する。どうやら坂本杏は自身の動体視力や身体能力を、願うことで限界まで上げていたらしい。それは科学の力によって神を越えようとした符浦栞に匹敵した。

 しかし、人殺しに慣れていたのは符浦栞の方だった。

 その上、符浦栞には痛みに対する耐性と、人並み外れた覚悟があった。

 青い血滴るナイフは坂本杏の肩を貫き、赤い血で濡れたナイフは符浦栞の左腕を貫く。それは同時の出来事だった。悲鳴を上げたのは、坂本杏ただ一人。誰もいない校舎に、一人の女子高生の悲鳴が響き渡り、痛みに涙を零し、恐怖と怒りに声も震えた。

 そんな声に世界は応えた。

 彼女の悲鳴に合わせて、地面が揺れた。空を飛ぶ飛行機が、彼女達のいる街へと突っ込んだ。宇宙を回る人工衛星が引き寄せられるように地球に落ちてくる。街が、日本が火の海へと変わるのは一瞬のことだった。

 力を入れることの叶わなくなった左腕をぶらぶらと揺らしながら、屋上から見下ろした。町並みは地獄へと化していた。建物という建物は壊れ、火の手が上がり、遠くで飛行機が落下して巨大な爆発が起きた。遠く離れているはずの校舎にまで、その衝撃波が届き、窓ガラスという窓ガラスが割れた。

 世界が悲鳴を上げている。符浦栞はそんなことを思った。

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