第十八話
俺の体は勝手に動いていた。思考よりも、感情よりも先に、中田と符浦栞の間に割って入った。二人が息を飲む。踏みしめた床が軋んで小さな音を上げた。
「桜庭……お前」中田の呟き。表情は見えない。
「何のつもり」符浦栞の冷たい声。一瞬、驚きから目が見開かれるものの、すぐにいつもの無表情へと戻る。
見つめた先、符浦栞の目に宿る光が怒りを称える。黒い闇のように深い銃口の穴が、俺の心臓を指している。世界を守るためならば、彼女はきっと迷いなく引き金を引く。そんな確信があった。
だが、そこに穴がある。
「俺という救世主が死んだら不味いだろ」
声はきっと震えていた。はっきりと言えたかも怪しい。それでも必死に口を動かす。
「……」
彼女は何も答えない。
「良く考え直してくれ。それらの武器は犯罪だ。たしかに、中田は普通ではなかったかもしれない。でも――」
「今すぐどいて」
淡々とした声だ。いつ引き金が引かれても、おかしくない緊張感。背中が汗でじっとりと重くなる。「どいて」彼女の語気は少しずつ強くなっていく。「どいて!」
俺は歯をかみしめる。怖い。俺を撃たんと向けられた銃口が。彼女のそばにあるナイフが。これまで聞いたこともない彼女の怒声が。
しかし、引くわけにはいかない。例え、引き金を引かれようとも。
「あなたは何故、そこまでする?」銃をこちらに向けたまま、彼女は言う。
何故? 理由なんて考えていなかった。ただ自分の感情に従った。それでも、彼女の疑問に応えよう。口を開く。第一声は自然に出た。
「中田は……中田は俺の親友だ」
恥ずかしくて言えなくて、言わなくてもいいことだと思っていて。
「おちゃらけてることも多いけど、やるときはやる、そんな男で、これからも一緒に過ごしたいと思えて――」
俺は何を言っている? こんな場面で、こんな状況で。
握りしめた拳が震えている。それでも必死に言葉を繋げた。後ろにはまだ中田がいるのだろうか? もう逃げたのだろうか? 俺の意識は眼前の乙女に向いていた。
「明日も明後日も、学校で――」
「これは全て必要な犠牲、世界を守るために私はここに来た。あなたのそんな願望は何の問題にもならない」と彼女は俺の言葉を遮る。
彼女は唇を噛みしめる。彼女の肩は目に見えて震えているが、決して恐怖から来る震えではないだろう。何かを否定するように首が振られている。それでも銃口がぶれずに俺を狙っていた。
きっと俺の想像の百倍、彼女は強い。単純の技術だけでなく、守るための覚悟において、俺と彼女では違いすぎるのだ。まず同じ土俵にすら立てていないと言うべきだろうか。
「あなたは彼と世界、どちらを選ぶの?」
無理に浮かべた不格好な笑みと共に彼女は問いかけてくる。その笑みの意味が、俺には理解できなかった。
「中田は世界の敵とは関係ないだろ!」
「いえ、彼は無関係ではないわ」
彼女はそこではっきりと言い放つ。予想外の返答に言葉が詰まる。背後では「世界の敵?」と中田が疑問を口にした。
「なんで分かるんだよ! これまで何も分かってなかっただろうが!」
昨日だって一昨日だって、何も分かっていないという風に過ごしていたはずだ。俺は声を荒げた。とにかく必死だった。言葉を繋げろ、と感情が告げている。
「……あなたが知る必要はない」
引き金が引かれた。思わず目を瞑るも、頬に感じた痛みで目を見開く。手で触れると、血で汚れた。どこか虚構じみた現状が、痛みという形で突きつけられる。頬だけでなく、脳の奥が激しく痛む。
「次は足、その次は腕、その次は……そうね。頭を撃とうかしら。中田君、あなたはどう思う?」
彼女は拳銃を構えたまま、小首を傾げた。その動きに合わせて黒髪は揺れる。この状況にふさわしくない妖艶な笑みは、俺の感情を強く揺さぶった。
「中田君、あなたは彼が勇気を振り絞って前に出てきた時点で逃げるべきだった。ここまであなたのために体を張った彼を、見捨てるなんてしないと信じてるわ」
「逃げろ!」
最後の力を振り絞った俺の声は、かすれ、震えている。それでも、中田に届いていると信じた。銃口が足へと向かう。
そんな僅かな時間は、まるで引き延ばされたかのように冗長に感じられ、これまでの学生生活が走馬灯のように思い返されていく。
放課後の教室で回る時計の音から、揺れる髪の毛の一本一本。色々な音が入り交じったクラスの喧噪。雨雲が割れ、差し込んでくる光。
時間が経てば経つほどに美化されていく情景は、他人にとっては退屈で、どうしようもないほどに平凡だとしても、俺にとっては守りたいものが詰まっているのかもしれない。非日常に放り出されなければ気付けないものが、そこに見えた気がして、こんな感情は初めてで――。
そんな時、後ろに強い力で引っ張られていく。何が起きたのか理解できぬまま、呆然と開かれた口から変な声が出る。「ぐぇ」
そのまま引きずられるように教室を出て、誰もいない廊下を走っていく。息を切らしながら「お前も走れ!」と言う中田。そんな必死な訴えを、半ば呆然とした面持ちで聞いていた。
撃たれなかった。これは安心して良いのか?
「桜庭! 俺たちはどこに行けば良い? なぁ!」
符浦栞は何故か追ってこない。聞こえるのは俺と中田の走る音だけ。このまま走って行けば逃げられるのだろうか。いや、そんな簡単なはずはない。由香里先生だってきっと追ってくる。組織と言うからにはもっと欺くべき敵もいるのだろう。後悔している余裕すらないはずだ。
「あの女は、最初っからお前を撃つ気なんてないみたいだったぞ」
ようやく走れるようになった俺は、中田と並んで階段を下る。
「何が起きてるか、さっさと教えてくれ。世界の敵ってのは何だ? 俺の拳銃はどうしてバレた? お前の立場って――」
「頼むから一気に聞かないでくれ……」息が上がって、呼吸が苦しい。考えるべきことが多すぎて、彼の質問にまで意識が回らなくなっている。息を大きく吸い込むも、すぐに吐き出されていく。
「あぁ、めんどい! 桜庭! 五秒だけ俺の目を見ろ!」
「こんな時に何を」
「良いから!」
立ち止まり、強い力で肩を掴まれる。そして、中田が俺の目をまっすぐに見つめてくる。充血して赤くなっている目は、真剣そのものだ。とっさに眼球に突き立てられたボールペンが脳裏をよぎる。……いや、もっと恐ろしいものを俺は見たような気が――、
「なるほどな。世界の敵、符浦栞、由香里先生……厄介だなぁ」
「……何が、なるほど何だ?」
「あぁ、俺は相手の記憶を見て操作できるんだ。どうだ、すごいだろ」
こんな状況でも、中田は笑っていた。
「なぁに、不安そうな顔してやがる」
彼は俺の背中をバンッと叩いた。けっこう痛い。きっと手形に赤くなっている。
「お前の勇気と、俺の経験。きっと道はある」
そんな言葉に、俺はやっと笑えた気がした。
あぁ、そうだ。結局のところ、中田は中田だ。例えどんな裏の顔があろうとも、これまで共に過ごして来た日々の思い出は消えない。嘘にはならない。
二人で階段を一段飛ばしで下っていく。古びた階段は激しく軋む。耳をすますも追ってくる足音はない。
「とりあえず、校舎をでるぞ!」
そんな時だった。二人の前に、一人の男が現れる。中田が警戒して周囲に目配せをする中、ただ目を見開き、現実を受け入れられない俺がいた。
「面倒なことになってしまった」と言いながら、階段の中央に立っている。胸ポケットからタバコを一本取りだし、ゆっくりと火を付けて、美味しそうに吸い始めた。白い煙が天井に向かって昇っていく。そして、深いため息をついた。
家で何度も見た服装に、見慣れた顔に、聞き馴染んだ声。それはもう、幼い頃から知っていて、忘れようがないもので。だからこそ、否定しようとしている自分がいた。
それでも問わずにはいられない。
「……父さん?」
「……あぁ、久しぶりだな、結城。こうなってしまったからには、私にも時間が残っていないんだ。さっさと本題に入ろう」
それは紛れもない、父の姿だった。
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