第十七話
カーテンの隙間から差し込む朝日で目を覚ます。少し遅れて鳴り響く目覚まし時計。あくびをしながら、それを止めた。
「……はぁ」
じっくりと寝たはずが、頭痛が酷い。少し疲れが溜まっているのだろうか。ここ最近色々ありすぎたから、それも仕方がないか。足を伸ばしつつ、ベットを降りて部屋を出る。階段を下ると、焼かれたパンとバターの香りが食欲を刺激する。いってきます、と雑に書かれた紙がテーベル上に置かれている。そして、
「おはよう、寧音ちゃんはもう学校に行った」
「……おはよう」
ついでに電波女もいる。制服をしっかりと着込み、朝食に舌鼓を打っていた。俺も彼女に習って食事を取る。まだ眠っていた脳が、ゆっくりと醒めてくる。
「もう大丈夫なの」
「何がだよ」
「……そう、大丈夫そうね」
こちらの顔色を伺うように、符浦栞が顔をのぞき込んでくる。どうやら、この秘密兵器とやらにも体調を気遣うことはできるようだ。何事にも冷淡に徹する彼女に、感情なんてないと勝手に思っていたが、その判断は変えざるを得ない。
「世界の敵が分からない以上、あらゆる周囲の状況に目を配るのが私の勤め」
「そうかい」
本当に世界の敵なんているんだろうかと、そんなこと一般人たる俺が考えても仕方がない。変なことを考えていては、旨い食事も不味くなる。
さっさと食事を済ませ、少し早いが二人で家を出る。自転車で風を切って通学したい所だが、符浦栞に却下され二人並んでの徒歩通学となる。強い日差しに晒されて、頭が熱くなっている。隣に誰もが振り返る同級生を連れての通学は、きっといつまでも慣れないのだろう。
学校に着くと、周囲の視線がまとわりついてくる。転校して一週間も経っていないのだから、好奇の視線に晒されることは覚悟してるつもりだ。しかし、少し異常すぎやしないか?
「何、キョロキョロと周囲を見回しているの? 不審者みたいよ」
元凶が何か言ってる。あなたのこれまでの発言の方が不審者ですよ、と言ってやりたい。
きっと彼女はこれまでも世界がアレコレ言ってきたのだろう。もしかすると彼女と真面な関係を築けた人間はいないのかもしれない。彼女とお近づきになりたいという男がいたら、喜んで俺が橋渡ししてあげよう。残念なことにそんな勇者は今の所現れていない。
彼女はどこか高嶺の花のような高貴さがあった。俺だってファーストコンタクトが変なものでなかったら、きっと遠くから眺めるだけで学生生活が終わったことだろう。そんな彼女とこうして言葉を交わすことができているのは役得……とは全く思っていない。
下駄箱では多くの学生が我先にと教室へと向かっている。外は些か涼しげな風が吹いていたにも関わらず、校舎内は蒸し暑い。窓は開いているので、通学で汗をかいた学生達がごった返しているせいだろう。
「あ」珍しいことに階段へ向かう道中に望先生が立っていた。
ぴっちりとアイロンのかけられたスーツを着こなしている。額には汗が光り、通り過ぎていく学生に「おはよう」の声かけをしていた。俺と同じように疑問に思ったのだろう、「どうして立ってるんですか?」という学生達の疑問に、「何となく」とぼそりと呟き返している。
「望先生も元気になったみたいね」
「ん? あぁ、そうだな。顔色は断然よくなってる」
そんな望先生と挨拶を交わし、階段を上っていく。教室に二人並んで入ると、クラスメイト達の痛い視線が突き刺さった。二日目なんだし、もう慣れて欲しい。
「え?」
符浦栞の声だ。彼女の手に握られた鞄が落ちる。
「どした。寝不足か?」
「え? いや……え?」
「おぉ、桜庭。今日も符浦栞と一緒に登校かよ。見せつけてくれるねぇ」
中田がいつものように、にやけた笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。そんな男の小言は無視して着席。「つれないねぇ」と面倒くさい言葉が続いていた。
「……どうした? 席はあっちだぞ」何やら呆然と立ち尽くす符浦栞に声をかける。引っ越して来たばかりと言え、自分の席を忘れたという訳ではないだろうが。
「……そ、そうね」
彼女はチラチラと中田に目を向けながら、自分の席へと向かう。
「なぁ、もしかして。栞さんって俺に気があるのか?」
「いや、ないだろ。お前、何かしたんじゃないのか?」
必死に首を横に振る中田。言葉を交わしてすらいないのだという。おそらく、いやらしい視線を感じたとかだろう、と勝手に思っておいた。
そんな中、かなり時間ギリギリになって教室に入ってくる坂本杏。元気の良い挨拶をクラウスメイトと交わす。そんな彼女が席に着こうとしている最中に、我らが担任である由香里先生も教室に入って来た。
こうして今日という一日が始まる。いつも通りの朝、何の変哲もないクラスメイト達。
その後の授業も特段、変なこともなく進んでいく。世界の敵なんて存在も少し忘れていた程だ。この二日間、何一つ動きという動きもなかったのだから、仕方がない。どうやら俺は本当に、ただ日々を適当に過ごしていれば良いようであるし、問題はないはずだ。由香里先生も符浦栞も、昨日は何も言ってこなかった。事態は何一つ動いていない。
昼休みになると、少し話しておきたいことがあるという符浦栞に付いて行き屋上へ。売店へと向かって階段を下っていく学生と逆行して進む。埃臭い階段を上りきった場所にある扉を開くと、強い風が顔に当たった。符浦栞の長い黒髪がたなびく。高く登った太陽が照りつけていた。
そんな屋上へ上がったと同時に、符浦栞は妙に怖い顔で詰め寄って来た。彼女の長いまつげの一本一本が見える距離まで近づいてくる。思わず白い肌の眩しさに目を細めた。校則通り膝下のスカートの裾が揺れ、視界の端でちらつく。一歩下がるも、彼女もそれに合わせて距離を詰めてきた。そして、
「……記憶にないの?」と小首を傾げて訊ねてくる。
「何の話だよ」
しばし考えたが、思い当たることがない。何か大事な約束でもしていただろうか。彼女と出会ってからの三日間、今日も含めれば四日間のこれまでを思い返す。出会った夜のコンビニのこと、由香里先生の能力のこと……あれ、もっと色々あったはずだが……。
「……中田の能力は覚えてる?」
唐突に中田の話が出てくる理由が良く分からないが、
「能力? って言われても、あいつは一般人だろ」
この電波女は何を言っているのだろうか。俺一人のみならず中田まで巻き込むつもりなのか。少しばかり語調を強めるも、秘密兵器様には意味をなさない。何かを考え込んでいるようだ。
「……一昨日の放課後、ここで何があった?」とさらに問いかけてくる。
一昨日。記憶を呼び起こす。ここ、つまりは屋上で何かがあったことはない。元々鍵が閉じられ入ることのできない場所なのだ。
「何がって言われてもな。俺はまず昨日の放課後、屋上に来てな――」
「あなたはここで縛られた覚えはある?」
「……え? いや、そういう趣味はな――」
「そう、分かった」
そんな俺の返答を聞き、彼女は頭を抱える。小声で「何が起きてるの?」と呟くのが聞こえた。何が起きているか聞きたいのは、こちらの方である。そんな俺の疑問は彼女に黙殺された。
「はぁ……何なんだよ」ため息が出る。彼女との会話のペースはどうにも慣れない。
できれば話は手短に終わらせて、食事をしたいのだ。無視して帰ろうとする俺の袖を彼女は摘まんでくる。無理に振り払うこともできず、ただ静かに時間だけが過ぎていく。そんな空気に絶えきれず、どうしようかと考えていると、
「分かったわ。証拠を見せる」
先ほどの不安げな表情は消え去り、目に力が戻っている。
「何の証拠だよ」
「中田……彼が普通じゃないという証拠よ」
そんな話の後、二人して戻ってくると再び中田に絡まれる。いつも通りの笑顔に、明るい声色。そんな彼をじぃっと見つめながら、席に戻っていく符浦栞。そんな彼女を不思議そうに見つめる俺と中田と坂本杏。
「……なぁ、俺の顔、何か変?」
心配そうな彼の顔を見るに、どうやら本気で心配しているらしい。自分の顔をペタペタと触った。
「……いつも通り変だぞ」
「おい」
「変だねぇ」
「坂本さんも乗らなくて良いから」
そんな二人はいつも通り変わらない。互いに飯に食らいつきながら、明日になれば忘れているだろう中身のない会話を繰り広げる。テレビがどうだ、先生がどうだ、他クラスの奴がどうした、オチもない話に笑う。坂本杏の白い歯が覗く笑みに、中田の得意げな顔。時折思い出したかのようにクラスの喧噪に気付く。時計の針が回っている。
俺の脳内では符浦栞の普通じゃないという言葉が、ぐるぐると回っていた。きっと体調が悪いとか、勘違いだとか、そういうことで口走ったんだろう。彼女が間違いでしたと謝っても、俺は笑って許してやるつもりだ。
残りの授業も、間の移動時間も終わる。特に語るまでもない、そうだろう? いつも通りなのだから。
迎えた放課後。皆が帰って静まっている校内。窓枠が風でカタカタとなって、時計の針が回ってカチカチと音を立てた。俺は唾を飲み込む。
「これは中田君の鞄で間違いないかしら?」
明かりの消された薄暗い室内で、符浦栞は確かに中田の鞄を持っている。意識している訳ではないが、毎日のように見ている鞄なので見間違いようがない。学校指定の鞄には刺繍された名前も中田となっている。
「……中田はどうしたんだ」
「由香里先生に呼び出されてるわよ。……お返しね」
と意味の分からないことを言いながら、彼女は鞄を叩く。中身を確かめるように触れながら、彼女はニヤリと笑った。
「やっぱり入ってるわ」
「何が?」
そこから取り出されたのは、鞘に入ったナイフが二つ。鞘を外せば、腕ほどはあろうかと思われる刃が現れた。薄くらい教室の中央で、鈍く光っている。切っ先を机に振り下ろすと、突き刺さった。それはレプリカではなく、間違いなく本物だった。
手に持ってみるとずっしりと重く、触れた刃は冷たい。俺の顔が薄らと写って見える。
「これは――」
「まだ色々入ってるわよ」
次に出てきたのは黒光りする物体。符浦栞が慣れた手つきで握りしめると、バチバチと音を立てながら先端部が光った。体が思わず強ばる。
「もしかして……スタンガン?」
彼女は黙って頷く。これで終わりかと思いきや、彼女はさらに鞄を漁っていく。そして、
「……嘘だろ」
「いえ、これは間違いなく本物よ」
彼女の手には拳銃が握られている。漫画や映画でしか見たことのない拳銃の形は、こんな形だったような気がする。それでも、目の前にあるそれが本物かどうかは分からない。
「……信じていないようね。まぁ、今はそれでも良いわ」
彼女は拳銃を弄り、小気味の良い音と共にマガジンを装填する。銃口に筒状の物体を取り付ける。そして、近くでただ呆然と眺めるだけだった俺に対して、安全装置の位置を説明してくるが、全く頭に入ってこない。
机の上にナイフが二つと、スタンガン、拳銃が並べられる。教室には似つかわしくない光景に目眩がする。これらが出てきたのは中田の鞄であるという事実を受け入れられない。拳銃は何とも言えないとはいえ、ナイフとスタンガンは紛れもない本物だった。これらを一介の学生が手に入れられるとは思えない。いや、手に入れようとも思わない。しかも学校に持ってくる理由も、何もかもに説明がつかない。
「こんなの持ってきて、もし見つかったらどうするんだよ」と、ふとした疑問を口にする。
「鞄自体に能力がかけられていた節がある。私が無効にしてしまったけれど」
そういえば、そんな設定もあったなと思い返す。
「詳しいことは本人に聞けば良いわ」
おんぼろの校舎の床は歩けば軋んで音を立てる。誰もいない校舎に、その音が響く。最初は小さかったけれど、徐々に大きくなってくる。そして、
「……おぉ、待ってくれた――」
机に広げられた物を見て、中田の顔色は変わった。
「符浦栞……お前はやはり組織の奴か」
「そういうあなたは何なのかしら。是非とも教えて欲しいのだけど」
「へっ、言う訳ねぇだろ」
二人は互いに目で牽制し合う。一瞬も目を離せない緊張した空気が張り詰める。
「お前が俺を見ていたのは、疑っていた訳だ。その鞄は俺以外の人間が中を見ても拳銃なんかは見つからないように仕掛けを施してた訳だが――」
「私は能力を無効化させる能力を持っている」
「なるほどね。やっぱりお前は噂の秘密兵器さんか」
頭を押さえ笑う中田。ハハハと空気が抜けていくような笑い声だった。しかし、目は笑っていない。
「由香里先生もグルか?」
「えぇ、そうね」
彼女は淡々と冷たく答える。そうだったのかぁ、と中田は天井を見上げた。
「次はあなたが答える番よ」
「答えられる質問なら構いませんよ、秘密兵器様」
「あなたには仲間がいるわね。この鞄の細工は、その仲間の人にやらせたのかしら」
「……あぁ。そうだな」
互いに探りを入れるように目線は交錯し、交わされる声は落ち着いている。
「あなたには私たちの組織に来て貰うわ」
「へぇ、お誘いですか? 嬉しいねぇ。さぞ、大層なおもてなしをご用意してくれるンでしょうねぇ」
「……えぇ、勿論」
彼女は銃口を中田へ向けた。その動きはあまりに自然で、彼女が引き金を引けば、放たれた弾丸は人一人の命を奪うことになるという事実が、遅れて脳裏に浮かんでくる。
「こんなところで誰かが銃に撃たれて死んだら不味くないですか?」と中田は余裕を見せる。しかし、その額には汗が見える。
「安心して、慣れてるから」
「それに、そんな細い腕で――」
彼の言葉を遮るようにパシュッと軽い音。同時に中田の背後の窓ガラスが割れ、首には一筋の赤い線が走る。そこから垂れていく血が制服の襟元を汚す。何が起きたのかを確かめるように、触れた中田の掌も血が付いた。
「へぇ、大した腕前で」
強がりから出た言葉だとすぐに分かった。上がった口角は、どこかぎこちない。
「あなたには選択権がある。ここで死ぬか。組織に付いてくるか」
二人を見る俺は、符浦栞の髪の一本一本が見えるほどに近くにいるはずなのに、どこか遠くにいるように思われた。まるで劇場で観客席から現場を見ているような、現実身がないような違和感。ついさっきまで普通に過ごしていた日常が、あっさりと終わりを告げたよう感覚。
いや、きっと俺は非日常とやらに来てしまったのだ。もし、このまま日常に戻されたとしても、中田と普通の会話をすることはできない。脳裏によぎるのは鞄に入った拳銃やスタンガン。
もう駄目だ。戻れない。
覚悟を決めろ。俺がすべきことは何だ。
俺が守りたいものは何だ。自分の感情に従え。
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