守りたいもの

とある少女の話5

 放課後となってすぐ、彼女は保健室へと急いだ。目的は望先生のお見舞いである。彼が妙に人気があるということを知っての行動だった。最初は桜庭結城を誘うつもりだったが、彼は符浦栞を待つらしいことを察し、二人の邪魔をしないために一人で行くことにした。

 保健室の前に立つ。しかし、彼女は扉を開けることもできぬまま、立ち尽くすこととなる。

「お前が宿題を忘れたんだろ!」

 望先生の怒鳴り声だ。普段の大人しい声とは打って変わった大声は、扉を震わせるほどの迫力である。自分に向けられたものではないと分かっていても、心臓がきゅっと締まるような緊張感を与えてくる。彼女以外にも望先生の見舞いに来ていた人はいたものの、誰もが互いに顔を見合わせ忍び足で帰って行く。

 そして、誰もいなくなる。

「……いえ、先生。私が引っ越して来たの昨日であって――」

「言い訳をするな!」

 声はどうやら符浦栞であるらしい。そこで彼女は違和感を覚える。

 ――何故、怒られているのだろうか?

 符浦栞が引っ越して来たのは、つい先日だ。しかし、昨日出されて今日提出の宿題なんてものは存在しない。怒られている内容と、状況が合致しないのだ。

 思い出されるのは、授業中に中田の顔と名前が思い出せなかったこと。もしや符浦栞と誰かの情報が混ざってしまっているのではないだろうか。そうだとすれば、この状況にも一応の説明がつく。

 彼女は扉の前で唾を飲み込む。引っ越して来て早々、こんなことに巻き込まれる符浦栞に同情する。そして、

「失礼します! 望先生」

「ん? あぁ……君か。どうしたんだ?」

 符浦栞を叱りつける望先生の眼孔は鋭かった。微かにだが、眉間に皺が寄っている。いつもは坂本さんと名字で呼んでくるのに、君と呼んできたのは、きっと名前が思い出せなかったのだろう。

「栞さんのプリントについてですが、私が集める際のミスでした」

 彼女は自分がプリントを集める際に集計をミスしたことにより、出したはずの符浦栞のプリントが出されていないことになってしまったと、簡単に説明する。

「……そうなのか?」という望先生の言葉に頷く。

「なので栞さんはプリントを忘れていません。全て私のせいです。申し訳ありませんでした」

 彼女は深々と頭を下げる。その話は嘘であるが、望先生は気付くことなく、符浦栞に謝罪する。「すまない、言い過ぎた。許してくれ」と気まずさを紛らわせるように言う。符浦栞は大して気にも留めていなかったという風に、小さく頭を下げる。

 その後、符浦栞と坂本杏は二人並んで保健室を後にする。しばらく歩いても会話がなかったことに気まずさを覚え、

「望先生、大丈夫かな? やっぱりおかしいよ」

「……望先生はあんな感じで怒ることはないの?」

「うん、初めてあんな怒鳴ってるの聞いたよ」

「そう……」

 符浦栞は顎に手を当て、しばし考えるような表情をする。そして、何かが分かったように頷く。

「急がないといけない用事ができた。それじゃあ、坂本杏さん。助けてくれてありがとう」

 駆けだして行こうとする符浦栞。そんな背中に声をかけて止める。

「……どうしたの? 私、急ぐのだけれど」

 符浦栞の声の端々に苛立ちを感じる。彼女は聞こうと思っていた言葉をぶつけようと色々なことを考えて、一言に全てをぶつける決意を決める。

「桜庭君とどういう関係なの?」

 符浦栞は首を傾げる。

「強いていうなら運命ね」とちょっと迷った後に答える。

「運命?」

「……私と彼は遅かれ早かれ出会う運命だった。何となく、そう思う」

 そこで符浦栞は彼女の耳元に「付き合ってはないわよ」と囁きかけ、優しげな笑みを浮かべて走って行く。

 そんな符浦栞の姿を黙って見送る彼女は、「……意味分かんない」と呟いた。

 彼女は自分に言い聞かせる。

 ――私と彼は付き合っちゃいけない。

 と。

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