第十三話

「え? 何?」と由香里先生がこちらを見るのは、中田が舌打ちをするのと同時だった。それを見て、何かに気づいたのか、由香里先生は頷く。

「なるほど、相手の目を見て記憶をあれこれするわけか。全く、どんなルールに書き換えてんだろうね」

「そういう先生は細胞の再生のルールを変えてるんでしたか。ということは撃ち続ければいつかは再生するよりも先に死ぬんじゃないですか?」

 余裕があるように言うが、彼の動きには焦りが見えた。銃の撃たれる間隔が狭まり、掠るだけの弾の数が増える。

「……さぁ? 死んだことがないからなぁ」

 そんな会話の間に、銃がリロードされる。パシュと軽い音がするたびに、鮮やかな鮮血が飛び、コンクリの床が赤く染められていく。血で濡れた服が肌に張り付いている。もう何発撃ちこまれたのか。普通ならばとっくに死んでいるはずだ。

 しかし、彼女は動いている。

「死なないだけで強者面しないでくださいよ」

「そっちが勝手に怖がってるだけじゃないのか? 私は歩いているだけだぞ? 中田」

 普段通りといったように、彼女は余裕の表情である。その顔面を銃弾が横切った。対して瞬き一つしない。

「私も痛くないわけじゃないんだ。さっさと終わりにしよう」

 そう言い終えようという時に地面を蹴った。一息に距離を詰め、銃口がもう目の前というところまで迫る。当然、中田も銃弾を撃ち込むも、勢いが衰える様子はない。

 由香里先生は笑っている。

「チッ! バケモンが」

 弾が尽きた拳銃は足元に転がされ、代わりに鞄からナイフが取り出される。右手に握られたそれの刃渡りは、彼の手よりも大きく見える。夕日を受け、刃先が怪しく光った。左手には鞄が掴まれたままだ。

 ただ突っ込んでくる相手に対してナイフを突き出す。相手にそれを避ける理由はない。

 由香里先生の左腕に深々と突き刺さるのが見えた。それと同じく、彼女の右腕が中田の首を捉えた。息を殺したような声とともに、勢いよく金網へと突っ込んでいく。

 金網が大きな音を立て揺れる。彼は激しく抵抗する。突き立てられたナイフを上下に揺さぶる。引き抜こうと力を籠める。しかし、段々と力は衰えていき、ゆっくりとナイフを握りしめていた手の力が抜け、だらりとぶら下がった。目は苦悶に歪む。声にならない吐息が漏れる。

「……あぁ、目を見ちゃいけないんだっけか。危ない、危ない」

「――じゃあ潰してやるよ!」

 中田が伸ばした二本の指は、まっすぐに目へと向かっていく。由香里先生はそれに気が付き避けようとするも遅い。最後の力を振り絞った一撃は、彼女の両目を潰した。くぐもった悲鳴とともに、首を押さえつけていた拘束が緩み、中田は地面に倒れ込むように逃れる。激しく咳き込みながら、彼女を睨んだ。

 由香里先生は、目を抑えながらふらつく。倒れそうになって金網を掴んだ。瞑られた目の端から血が止めどなく溢れていた。

 彼女の左腕にはいまだナイフが突き立てられ、顔も服も血にまみれていた。乱れた呼吸は確実にダメージを受けていることを示している。肉体が再生するとはいえ、痛みと疲労は避けられないのだろう。

「へぇ……やるじゃない」

「いい加減死にやがれ」

 鞄から二本目のナイフが取り出される。目の見えていない由香里先生に、それを知る術はない。「先生! 避けて!」そんな俺の言葉は意味をなさない。

 ただがむしゃらに突っ込んでいくだけの単純な動き。中田が握りしめたナイフが、由香里先生の首を貫いた。

 目から口から血がどくどくと、一気に溢れた。金網を握っていた手が離れる。地面に倒れ込み、口や目の穴に血が溜まっていくのが見える。左腕から外れたナイフが地面に転がった。

 それを拾い上げ、中田は握りしめる。

「ははは……あんたはひどい傷だが、俺は無傷だぞ」

 それに答える声はない。由香里先生の口が動くも、血だまりがゴボゴボと泡立っただけだった。「喉が潰されたから喋れねぇのか。全く……さっさととどめは刺してやるよ」

 ナイフを構え、由香里先生の胸元にしゃがみ、

「ぐっ! まだ動けるのかっ!」

 気配を察したのだろうか。先生の拳が中田の顎を捉えた。殴られ後ろに倒れ込みながらも、慌てて距離を取る。先生はふらつきながらも立ち上がり、首に突き刺さったナイフを引き抜く。栓となっていたナイフがなくなったことで、血が勢いよく飛び出す。距離を取ったはずの中田の制服が、赤く汚れた。

 自身の血で真っ赤に染まったナイフを、由香里先生は振り回す。まだ目の治癒は完全に終っていないのだろう。

 彼女からしてみれば、目が修復されるまで耐えればいいのだ。確実に殺せる武器を手に入れた彼女が、先ほどと同様の突撃をすれば、中田に逃れる手段は今度こそない。

 一撃喰らえば死ぬ者と、何発喰らおうが立ちあがってくる者。今、どちらが有利なのかを判断できずにいた。

 中田はジリジリと距離を詰める。ただ適当に振るわれたナイフに法則はない。目を潰した今、記憶を消し去ることもできないはずだ。

 では、どうする。声を上げることも忘れ、俺はただ縛られた状態のまま戦いを見ているだけだった。

 そんな二人の戦いの決着は、意外にもあっさりとつくこととなる。

 由香里先生の足元には大きな血だまりができている。その血だまりは、彼女がナイフを振り回すたびに広がっている。それを見て、中田は鞄からスタンガンを取り出す。何かをいじり、側部のスイッチを押すと、先端に電撃が走っているのが見えた。中田はほくそ笑む。

 そして、足が血だまりに触れそうなほどに近づいた。目の前ではナイフが振り回されている。足元の血だまりが波立つ。そんな血だまりにスタンガンの先端を付け、スイッチを押した。

 先生の動きは一瞬で止まる。体が勢いよく跳ね、ナイフは血だまりに落ちた。

 電撃による攻撃。それは初めて、由香里先生の動きを止める。電撃が何度も走り、肉体はそれに呼応し跳ねる。手足が激しく痙攣した。

「最大出力が出るように調整した」

 目から垂れ出る血が、赤黒く変質した血だまりの上に落ちる。肉が焼けたような匂いが鼻につく。

「普通だったら死ぬが、あんたはどうかな?」

 言葉が言い終わるよりも先に、由香里先生は後頭部から直立のまま地面に倒れ込んだ。体の節々が痙攣し、かすかにだが動いている。

「……まだ死んではないのかね。まったく、再生能力が強すぎるってのも考えものだな」

 こんな能力じゃなくて良かった、そう中田は呟いた。彼は体の横に立ち、スタンガンは鞄に戻し、改めてナイフを強く握りしめる。しゃがみ込むと、心臓部に勢いよくナイフが突き立てられる。由香里先生の体が勢いよく跳ねるも、今度こそ体の動きは完全に停止した。

 目を潰され、首をえぐられ、心臓にナイフが突き立てられた死体……それが今、目の前にあるものだ。

「……さて、あとは符浦栞か。まぁ、能力が利かないっていう能力らしいから、銃で撃てば死ぬだろ」

 殴られた顎をさすりながら、彼はこちらに歩み寄ってくる。

「頼みの綱は死んだぞ。しかし、状況は変わっちまった。作戦を変える」

 銃口ではなく、今度はナイフの切っ先が首筋に突き付けられる。

「救世主ってやつは、取引の材料にはぴったりだろう?」

 口元にガムテープが張り付けられた。心臓が痛い程に鼓動していることに今さら気がついた。唾を飲み込む。

「……おっ、もしかして来たか? 対能力者、秘密兵器さん」

 耳を澄ませば、風の音に交じって階段を上ってくる音がかすかに聞こえた。そして、扉が開かれる。

 そこには符浦栞が立っていた。

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