第十二話

 頬に当たる風の冷たさで目を覚ました。青い空と白い雲、そして金網が見える。ここはまだ屋上のようだった。

 体の節々が痛む。その痛みが、自分はまだ死んでいないことを教えてくれる。身震いしようとして、体が椅子に縛り付けられていることに気がつく。口も何かで塞がれているようだ。

「おっ、覚めたか。思ったより目覚めないもんだな」

 視界の端に中田が立っているのが映る。彼の足元には鞄が転がり、手には俺を気絶させたスタンガンが握られていた。

「記憶は覗かせてもらったし、はっきり言ってもう桜庭に用はない訳だが」

 コンクリの床を歩く音が嫌に響いてくる。眼前に立った彼の目は、俺をまっすぐに射貫く。抑えきれないといったように笑いが零れた。

「友人として話をしよう」

 鞄にスタンガンを突っ込み、彼は黒光りする物体――拳銃を取り出す。銃口には長い筒状の物体がつけられていた。中田は慣れた手つきでそれを操る。カランとマガジンが落下し、カチャリと心地よい音と共に充填される。

「うぅん、どこから話せばいいんかね……もう能力の存在は知っているみたいだし、俺の能力のことから言うべき? ……あぁ、口塞いでるんだったわ。まぁ、まだ剥がさないけど」

 深く、心底面倒くさそうに深いため息をつく。

「俺の能力は “記憶操作”。相手の目を見て記憶を覗き見ることができて、ついでに操作もできるっていう使い勝手のいい能力だ。個人的に結構気に入ってるんだが、どう思う? ……目覚めたのはつい最近だ。この能力が見込まれて、とある組織に拾われて、こうしてちょっと危ない世界に片足……いや、全身突っ込んでる」

 ちなみにこれはサイレンサーな、カッコイイだろ? と子供みたいに――いや、俺たちは子供な訳だが――銃口に付いた筒を指さす。

「そんなある日。転校生がやって来る。つい昨日の話だな。こんな中途半端な時期にどういうことだ? と気になって記憶を見ようとする。自己紹介の時だ。やけに目が合うなぁ……今思うとお前を見てたんだろうが――これは記憶を見るのは簡単だと思ったね。

 ……しかし、見れない! これは驚きだったさ。俺の驚き分かる? いや、分かんないだろうなぁ。これは能力者持ちにしか分からない驚きさ。どうしたもんかなぁ、と思い悩んでると、お前と一緒に暮らしているという驚きの事実まで飛び出す始末。何? この驚きの連続。

まぁ、あの女の記憶が見えないなら、お前の記憶を見れば万事解決。そう思ってお前の帰りを待って、記憶を見ようとしたけど失敗するし、教師に呼び出されるし、と散々さ」

 五秒間目を見れば嘘が分かる。あの言葉はある意味真実で、嘘でもあったのだろう。これまで符浦栞のことを気にする中田の言動も思い返される。

「望先生にプリントのことで残されるのも怠いからって、その部分の記憶を消そうとしたら、俺に関する記憶とかかなりの部分も一緒に消えちまったみたいだし……あれは悪いことしたな、と思ってるよ。記憶戻してやろうと思って保健室にも行ったけど、あの人結構人気なんだな。お見舞いの人ばっかでそれ所じゃなかったわ」

 やれやれと肩を落とす。

「さて、本題に入ろうか」

 俺の額に銃口が当てられる。

「お前の事情はよーく分かった。てっきり組織のメンバーに入ってるんだと思ったが、良く分からん予言に関して協力を持ち掛けられてるっていうわけだろ。組織のやっていることも何も知らんし、存在自体知ったのもつい昨日……物語としては面白いかもしれねぇが、役に立つ情報はなにもない記憶だったよ。しかし、しかしだよ。お前は全く油断されていない立場で、最も組織に近いということが分かった」

 そこまで喋って耳元に囁きかけてくる。

「俺たちに組織の情報を売ってくれないか?」

 拒否権はない、と銃口が語っている。さらに強く押し付けられた銃口の冷たさに体が震える。

「どうやら符浦栞は結構話をしてくれるみたいじゃないか。もっと組織の内部の情報を聞き出せ。それを俺の所属する組織が買い取る。悪くない話だろ。良い小遣い稼ぎにはなる。分かってるとは思うが、お前に拒否権はないぞ」

 中田の目は本気だった。いつでも撃てるといったように、引き金には指がかけられている。少し動かせば弾丸が放たれ、頭蓋骨を打ち抜き、脳漿が当たりに散らばる。誰も上がってこない屋上の死体が見つかるのは、一体いつになるだろうか。本来入ることはできないとされている学生に、疑いの目が向くことはあるのだろうか。俺にはよく分からない。

「人殺しは簡単なんだ」

 中田の口角が上がる。喉の奥から押し殺したような笑い。

「銃一発で人はもがき苦しんで死ぬ。銃すらもいらないさ。ボールペン一本でも人は殺せるだろう。そして、俺の場合はペンすらもいらない!

 想像してくれ。……もしも、お前の記憶が全て消えたら、それはお前といえるのか? 言えるわけがない! その時点でお前という存在は消え失せる! 人の存在ってのは想像以上に脆い!」

 そこで口を塞いでいたガムテープが剥がされる。勢いがよかったためか、口元が痛む。

「返事を聞こうじゃないか。友人として」

 風が吹いている。その風はあまりに冷たい。

 俺は考えた。自分のすべきことを。真っ先に浮かんだのは符浦栞の顔だった。この二日間の、あまりにも濃い出来事の数々が脳内を駆け巡っていく。

「ちなみにまだ符浦栞は来ないぞ。望先生の記憶を戻すことはできなかったが、呼び出して長々と説教するだけの用事は植え付けた。今頃、符浦栞は身に覚えのないことで説教を受けてるだろうさ」

 世界の敵という言葉が思い出される。もしや、中田が世界の敵なのだろうか。だったらどうする? 俺は何をするのが正しい? 突きつけられた銃口の存在を忘れている。ただ冷静に現状を鑑みる。

 そんな時、屋上の扉が開かれる。まさか、符浦栞か。中田はチッと舌打ちをした。銃を音のした方に向ける。

「……あら、これは予想外」

 そこには由香里先生が立っていた。


   〇


「歪みを検知できたから、マスターキー使ってあちこち見て回ってたんだけど。あんたたち、そういう趣味?」

 ハハハ、と乾いた笑いと引きつった笑み。

「なんて、そんな訳ないわよね。この現状、さすがに教師として看過できないわ」

 拳銃は目に入っているだろうに、彼女は臆していない。かなりの自信というものを感じる。

「……由香里先生。あんたの正体も分かってんだわ。肉体再生。面白い能力ですね」

「ふぅーん……まぁ、望先生の状況からして、記憶関連の能力だとは思ってたけど……桜庭の記憶をどうにかしたのかな?」

「察しがよろしいようで」

 一人は銃を構え、一人はただ笑みをたたえて立っている。

「記憶を見たなら分かってるんじゃない? 私は銃で撃たれた程度じゃ死なないよ」

「それはどうかな」

 パシュと乾いた銃声とともに、一発の弾丸が由香里先生の頭蓋を貫いた。血が飛び散り、足元が少しふらつく。ふつうは致命傷のその一撃を受けても、由香里先生は変わらない笑みを浮かべながら、一歩、一歩とこちらに歩みを進めてくる。顔面に血が滴り、まつげを濡らす。顎からポタリ……ポタリと滴っている。

 中田はさらに、二発三発と銃弾を撃ち込む。頭蓋に胸に、足元に――そのたびに血が垂れ服を赤く汚し、体勢をふらつかせる。

 それでも由香里先生は歩みを止めない。いくらかの痛みと衝撃はあるはずだが、そんなものは微塵も感じさせない。

 よく見れば、撃ち込まれた弾丸の数とは裏腹に、服を汚す血の量は少ないように思われる。穴が穿たれたとたんに回復し、塞がっているということなのだろうか。

「もう一度言うけど、それじゃあ私は殺せないよ」

「……みたいだな。確かに、銃じゃあんたを殺せない」

 そこで中田はにやりと笑う。

「ッ! 先生! 中田の目を見るなっ!」

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