第九話

 けたたましく鳴り響くアラームで目を覚ます。窓から覗く朝日が目に沁みる。目をこすりつつベットから降りて、思い切り伸びをした。身体中の関節が小気味良い音を立て、凝り固まった筋肉がほぐれていく。

 一階に降りると、黒髪の女子高生がいた。そういえばそうだった。つい先日、コンビニで青髪の電波女を拾ってきたのだと思い出す。しかも彼女は世界を救おうとしているらしく、その鍵を握っているのは自分らしい。荒唐無稽な話だ。しかし、俺は信じることにした。

 ――目に突き刺さり揺れるボールペン。回復した眼球。世界のルールが書き換わるという ”カミサマ” の話。

 様々な記憶が脳内を駆け巡り、ここ最近の日常の濃さにめまいがした。そうだ、彼女と出会ったのはつい昨日のことなのだ。今日は普通に終わることを願おう。

 ダイニングテーブルには「行ってきます」と妹の字で書かれた紙が置かれている。中学生である彼女は、早すぎるだろと思うほど早く毎日登校していた。特段、止めることでもないと思っていたが、もしや朝から兄の顔を見たくないからという理由なのではないか? と最近思い始めている。それが本当だったら泣くかもしれない。「おはよう」「……あぁ、おはよう」電波女と挨拶を交わす。

 今日も髪は黒く染め上げられていた。青髪ではやはり目立つということなのだろう。校則的にもダメだった気もする。

「朝食はきちんと食べないと駄目」という符浦栞の言葉に従い、俺も朝食を食べる。ご飯が余っていればお茶漬けにでもするのだが、誰かが一人増えたことにより、ご飯が余るということは当分なさそうだ。なにせ彼女は結構な早食いであり、同時に大食いでもあった。パンにバターを塗って、ホットミルクと一緒にいただく。二人は美味しいも不味いも言うことなく黙々と食事を進めた。

 登校も当然だが二人一緒になる。通行人の目を惹く美人と一緒に歩く道は、少しばかり緊張した。彼女はそんな素振り微塵も見せないので、自分もそうするよう努めたが、上手くできているかは知らない。

 彼女の話すことはかなり現実離れして電波的なので、もし誰かが自分たちの会話を小耳に挟めば首を傾げることだろう。そんな彼女の電波トークを、俺は真面目に聞いている。

「あなたは普通に生活をしていればいい。私たちは “世界の敵” を調査しながら、世界を救うとされている桜庭結城……あなたの護衛を行う」

 自転車の持ち合わせがないという符浦栞と共に、徒歩で学校へと向かっている最中、彼女は今後の話を続けている。

「行き帰りは徒歩、私と一緒に帰ること。相手が分からないから、決して油断はできない」

 どうやら護衛をするには自転車ではなく歩きの方が良いらしい。理由はよく分からないが、あまり説明をしたがらないようだったので追求は止めた。個人的には「速度を出して逃げやすい自転車の方がいいのでは?」と思うが、それは素人考えなのだろう。

「あなたは暴れないから話しやすくて助かる。大声で怒鳴ってくる人も珍しくないから」

 俺だって、強い言葉を投げかけようとしたこともあったのだ。しかし、どうしても両親のことが頭をよぎり、何が起きたのか分からぬまま地面に押さえつけられたことが思い返される。彼女と出会った最初の夜、自身のことを「秘密兵器」だと語った彼女の言葉が、妙に現実身を帯びていた。

「両親は私たちが預かっている。仕事づけで体がボロボロだったから、むしろ感謝すべきかもしれない」

 一番聞きたかったことが、彼女の口から語られる。怒りを覚えるかと思ったが、心の中は平穏そのもので、そんな自分が嫌いになりそうだった。しかし、妹も俺と大差ないのだろう。いつも通りの時間を過ごそうとしていた様子を見れば、何となく分かる。

 元々、仕事の虫だったため帰ってくることは少ないし、帰ってきたとしても深夜であることが大半だったからだろうか。最後、太陽が出ている頃に顔を合わせたのは一ヶ月以上も遡ることになる。

 昔はこれほどまでに忙しくはなかったはずだ。しかし、妹が大きくなっていくに連れて、両親の仕事の忙しさは加速度的に増していくこととなる。両親は多くを語ってはくれないが、おそらく学費その他諸々にお金がかかるようになったのだろう。大学進学を考えている自分のことも考えれば、お金はさらに必要となる。だから俺たち兄妹は、文句の一つも言わないことにしていた。

「本当の作戦では、あなたを拉致して監禁する予定だった」

「は?」

「それを由香里先生が拒んだ。代替案として、『私の派遣』と『両親の軟禁』を進言した。『私の派遣』は “世界の敵” にすぐにでも対応できるようにするため。『両親の軟禁』は、あなたという存在にも少なからず疑いがあったから、あなたに脅しをかけるため」

「疑いって何だよ」

「何者でもない高校生が世界を救う鍵になるとは考えにくい。だから、あなたが世界の敵に対抗しうる存在に変わるという可能性を考慮していた」

「……どういうことだ?」

「能力者は大抵の場合、能力を生まれながらに持ち合わせている。でも唐突に能力に目覚めるという可能性も、かなり低いけれどないわけではない」

「……あぁ、それで?」

「世界を救うほどの能力の持ち主ならば、組織が欲しがるのは無理もない。つまりはあなたという存在を手元に置いておきたかった」

 自分が能力に目覚める。その可能性。

 創作の世界でしか見ることのなかった存在と、自分自身が重なる感覚――それに身震いする。彼女は「その可能性は宝くじに当たるよりも遙かに低い」と語る。前例は一つしかなく、何か特殊な条件が重ならなければならない、と結論づけられたらしい。

「それにしても予言が適当すぎないか」

「どういう意味?」

「そのままの意味だ。俺が話を聞いて分かってるのは、 “世界の敵” が現れるらしいことと、俺が解決の鍵を握っているらしいことだけだ。 “世界の敵” ってのは何なんだ? 一体何をしようってんだ? 漠然としすぎているだろ。俺の名前は分かっているみたいだし――」

「それは私にも分からない。でも、予言をした老いぼれは相当に怯えていた、と聞いている」

 未来がみえるという老人は、これまでも度々予言をして、事前に大きな事件――それも歴史や世界が変わってもおかしくないようなものも解決してきたらしい。そのどの時も、一切恐れていなかった。ただ淡々と、ヒントとなるような言葉を投げかけることで、確実に世界を救ってきた。

 今回見えたという未来は、そのどれよりも恐ろしい未来だったということか。

「そんな恐ろしい未来を変えるため、組織がどれほどあなたに期待しているか。分かって欲しい」

 俺は何も答えられない。なにせ結局の所、俺は何もせず普通に過ごすだけなのだ。符浦栞という電波女が生活に加わった以外、日常に大した変化はない。予言という奴も、結局のところ何も分かっていないということじゃないか。

 色々なことを考えていると、気付けばかなりの距離を歩いていて、もうすぐ学校に着くというところまで来ていた。制服を来た高校生が学校へ向かって、大きな列をなしている。朝練を終えようとしている練習着の学生が急ぎ足で駆けていく。人混みの間を縫って、湿気を帯びた風が吹いていた。

 校門では学生がごった返していた。友人同士の挨拶の声が飛び交い、靴を履き替え擦れる音が幾重にも重なっている。

「あ」望先生が階段へ向かおうした道中に立っていた。

 いつも通り眠たげな目で、虚空を見つめている。ボサボサとした寝癖のついたままの長髪も顕在だった。しかし、いつもはきっちりとアイロンが掛けられているスーツが、今日はどこかクタッとしていた。

 大きなあくびを一つしつつ、力なく壁にもたれかかっている。大きく長いため息をつく。見るからに疲れが溜まっているようだった。いつも通りに見えた目も、改めて見るとかなり弱っているように思われる。

「どうしたんですか、望先生。こんなところで」

「……あぁ、えぇっと……」

 半開きの口から戸惑いの声が漏れている。目はこちらを見ていない。しばし時間が経ってから、ようやく望先生は意味のある言葉を話した。

「……あぁ、桜庭か。おはよう。えぇっと君は――」

「符浦栞です。昨日転校してきました」

「昨日……昨日か」

「先生、本当に大丈夫ですか?」

「すまない、体は元気なんだ。でもな、どうも……違和感というか」

 先生の言葉は要領を得ず、ただ漠然としている。

「とりあえず授業は大丈夫だ。今、ここにいるのは、ちょっと学生達の顔が見たかっただけだから……」

 やはり色々な意味で先生らしくない。先生は「面倒くさい」とぶつくさ呟きながら、テキパキと仕事をこなし、さっさと帰る方が先生らしい。そう言うと、「それは……褒めているのか?」と躊躇いがちに、首を傾げた。

「とにかく先生は先生らしくして下さい」

「はぁ、分かったよ。俺らしくね……」

 やはり力ない口調で、おぼつかない足取りのまま職員室の方へと歩いて行く。ときおり学生達とぶつかり、謝る彼に対して、「大丈夫ですか?」と声をかける学生の姿が見て取れた。

 面倒くさがりだが、授業の分かりやすさと無駄を嫌う性格は大勢の学生に好かれている。誰から見ても体調が悪そうな望先生に、心配し駆け寄ってくる学生達の数は多く、申し訳なさそうに「大丈夫! 大丈夫だから!」と気丈に振る舞う教師の様は見ていて少し辛かった。どう見ても大丈夫ではないからだ。

 そうしている間に、朝のホームルームの始まりは近づく。他の教師達が、「早く教室へ行け」と急かす声が下駄箱を飛び交う。俺と符浦栞もそれに従った。

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