第八話
「よぉ、遅かったな、ってどうした? 顔、青白いぞ」
薄暗い下駄箱で、一人寂しく中田が待ってくれていた。上がった息を整え、ぼんやりとする頭を振り、
「なんでここにいるんだ?」
声が震えていないだろうか、しっかりと口角は上がっているだろうか。不安に駆られ、顔を背けて床を見る。小さな白い埃が目に付いた。
「なんでって、たまには一緒に帰ろうかと思ったんだよ。もう少し遅かったら帰るところだったわ」
彼はいつものにやけ顔を浮かべる。そのむかつく笑顔が、今はとてもありがたかった。ようやく自分の中で色々なものが落ち着いてくる。
「今日はチャリ通? 俺、歩きなんだけど」と中田は傘で床を小突きながら言う。
「俺も歩き」
「こんなに長い時間、何の話だったんだ? まぁ、符浦栞さんのことなんだろうけど」
「まぁ、そんなところだよ」
下靴に履き替えつつ、懸命に言葉を選びながら答える。限界に来ていた脳が悲鳴を上げた。しかし、この大事な親友だけは巻き込みたくない。唾を飲み込み、自身が非日常へと巻き込まれていることを改めて自覚する。
「……嘘だな」
校門をくぐろうとしている時だった。彼の言葉を聞いて、途端に冷や汗が流れる。
「どうして?」
「勘だよ、勘。親友としてのな」
「……別に嘘じゃねぇよ」
実際、嘘ではなかったと思う。この放課後の短い間に、色々なことを知り経験した。その中には符浦栞のことも含まれている。
「だったら、今から俺の目を見て、嘘じゃないって言えるな?」
五秒間、目を見て話せ。そうすれば嘘かどうか分かる、と彼は言った。目を逸らせば、それは嘘をついているのだという。目は口以上に物を言う、そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
「別にいいけど――」
彼の目を見た。度の強い眼鏡の奥で、少しだけ充血した眼がこちらをまっすぐに見つめている。その目を見ながら、
「……おいおい、目を逸らすなよ」
目を見ていると、ペンの眼球に突き立てられた眼球が思い返された。背筋に虫唾が走り、頭がズキリと痛む。自分が思っている以上に、由香里先生に見せつけられた能力の証明は、トラウマとして脳裏に焼き付いているらしい。
彼の顔から目線を逸らし、空を見上げた。白い雲が流されていく。
「フフフ。ということは嘘なんだな。なんの話してたんだよぅ、教えてくれよなぁ」
彼は面白がって、肩をつかみ激しく揺らした。別に嘘はついてない、とかそんなことを考えている時、
「ドーーーーーン」
と背中に一撃。ぐぇという情けない声と共によろける。慌てて後ろを見てみれば、坂本杏が腰に手を当て、胸を張り、鼻息荒く立っている。
「私を置いて行くなんて、酷くない? ねぇねぇねぇ」
どうやら職員室前でそれとなく待っていてくれたらしい。しかしながら、本の少しトイレに行って帰ってきたら、もう走って帰ってしまったと教師達に聞かされ、急いで走って来たのだという。
「お前は幸せもんだなぁ」と中田は小声で言う。聞こえてるぞ。
「あ。そういえば、望先生が探してたよ」と坂本杏は、何やらニヤニヤしている中田に向けて告げる。どうやら待っている間に、少しばかり望先生と話をしたらしい。
「げ! 何でだよ」
「プリント忘れたからだよ。中田君は不真面目だなぁ」
「……明日じゃ駄目? 駄目かね?」チラチラとこちらの顔を伺ってくる。俺は知らん、と無視を決め込む。
「うぅーん、そうとう怒ってたしねぇ」と悩ましげな表情を浮かべる。そんな彼女を見て、しばし思案した後、
「はぁ、まだ間に合っちゃうよなぁ……しゃあねぇ。それじゃ、二人ともまた明日」
幸いと言うべきか、学校からはさほど離れていない。変なところで真面目な彼は、学校へ一度戻ることにしたらしい。今からならば、すぐに職員室に行って謝罪なりできるだろう。
「うん! じゃーねぇ!」
「おう、生きて帰って来いよ」
手を振りつつ、哀愁漂う背中をこちらに向けて学校へと駆けていく。
それにしても、望先生からの呼び出しとは珍しいこともあるものだ。基本的に面倒くさがりで、いつもあくびしているような人なのに。宿題を忘れた学生を呼び出して説教なんて、まるで教師みたいだ。いや、教師なんだけど。
もしかしたら俺の知らない所で、望先生の逆鱗に触れるようなことをしてしまったのかもしれない。まぁ、ここで考えすぎても仕方がないが。
「……それじゃあ、帰るか」
「うん!」
陸上部員がグラウンドを駆けている。野球部のボールがグローブに入る音も遠くに小さく聞こえた。やはり、二人で帰るときは会話が少なかった。クラスメイト達に紛れている時とは、いくらか勝手が違うように思う。
「……二人はいつもそんな感じなの?」
「ひゃっ……って栞ちゃんかぁ。驚かさないでよ」
二人きりで進んでいたつもりが、気付けば背後に符浦栞が立っていた。「いつからいた?」という俺の問いに、「ずっと」と怖いことを言ってくる。
改めて見る彼女の外観は、普通の女子高生であって、俺を押さえつけるような力があるようには思えない。彼女の顔を見ると、押さえつけらた際の体の痛みが思い出され、妙な気まずさが俺を襲う。
「それにしても、なんでここに?」と坂本杏は首を傾げて言う。
「なんで? なんでも言われても困る。私は彼と一緒の家に住んでいるのだから、道も一緒なのは自然」
「う、うん! そうなんだけどね!」
こうして女子高生二人に挟まれて帰ることとなる。
「今日の夕飯は私が作る」
「いや、多分妹がもう作ってるぞ」
「……あぁ、本当に二人は同棲してるんだね……」
「別に同棲じゃないぞ」
「そう、これは同棲じゃない。ただの運命」
「おい、変なこと言うな」
「えぇっと、仲いいね?」
……。そんな当たり障りのない会話は、分かれ道で終わりとなる。
「最後に二人に聞いておきたいことがある」
妙に真剣な顔で、符浦栞は切り出す。俺と坂本杏は顔を見合わせた。そして、
「二人は付き合ってるの?」
……。
「ち、違うし! そんな関係じゃないし!」
頬を真っ赤に染め上げて、震えた声で彼女は言い放ち、逃げるように去って行く坂本杏。
「悪いこと聞いたかしら?」
「……」
俺は何も答えられず、黙りこくって帰路につく。いつもより少し遅い。早く帰らなければ、夕飯が冷めてしまう。
〇
「お帰り、兄貴。……と栞さん」
「寧音ちゃん。私のことはお姉ちゃんと読んでも良い。許可する」
「それじゃあ、栞さんはお茶碗にご飯をよそって下さい」
帰宅した二人を出迎えたのは、肉の焼ける音だった。どうやら今晩の食事はハンバーグであるらしい。皿に適当に美味しそうな盛り付けをしつつ、キッチンで仲良く、本当の姉妹のようにしている二人を眺めた。
いただきますの声が今日は一人多い。いつも妹と二人だった食卓に、符浦栞という電波女が加わっている。箸を入れれば閉じ込められた肉汁が溢れ出すハンバーグに舌鼓を打ちつつ、妹が話す学校での話を聞く。符浦栞が会話に入ってくることはなかった。
食事が終われば、後片付けが待っている。慣れた手つきで食器を洗う俺を見て、「へぇ」と驚きに目を見張る符浦栞。少しばかり大げさすぎやしないだろうか。
「てっきり何もできないと思ったわ」
「俺に対する印象どうなってんだ。何か皿を拭くなりしてくれ」
妹は風呂に浸かっている。今日は疲れが溜まっているようで、あくびしている様がかなり目立った。それもそうだろう、今日はほとんど寝ていないはずだ。
「なぁ、符浦さん」
「栞で良いわ」
「……栞さん。俺はまだ信じられない」
「何が?」
「能力者とか、今日聞かされた話全部だよ」
そう、俺はまだ信じていなかった。しかし、信じないといけないような事態が目の間で何度も起こっている。電話の件も、両親の件も、由香里先生の能力の話も。
それでもやはり、実感が沸かないのだ。
「それは私たち組織の活動のお陰。能力者の存在は徹底的に隠されているから。それに能力者自体、もともと数はあまり多くない。隠すこと自体は、さほど大変ではなかったようね」
「そういうものか」
「でも、最近はそういう訳にもいかなくなってる」
能力者の数は、確実に増えてきているらしい。検知される歪みの数や大きさが強くなっているようだ。
「人類が進化しようとしている、そんなことを言ってる学者もいた」
「進化ねぇ。とすると、お前は何なんだろうな」
「え?」
「よく分からんが、栞さんの能力は、能力を無効化するんだろ。進化した人達を叩くための能力としか思えない。そうじゃないか? よし、食器洗い終了」
食器洗いを終え、会話は一旦終了。その後、妹に「夜出歩かないように」と釘を刺されたり、危うく符浦栞の着替えを覗きそうになったが、幸いまだ生きている。
日常は、まだそこにあった。そう、世界の敵なんて世迷い言で、何かの間違いで、誰かのつまらない嘘で――世界は自分とは関係のない場所で廻っていると思ってたんだ。
カミサマは、すぐそこにいたんだ。
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