第七話
「え」自然と声が漏れる。目元は血で濡れているが、その中には何度見ても綺麗な目があったのだ。先ほどまでペンが突き立てられていた眼球の面影はなく、普通の目がこちらをまっすぐに見据えている。
「私の能力は “肉体再生” 。細胞分裂のルールを変えている! とか色々言われてるけど、使ってる私も良く分かってないから、あまり気にしないで……」
目の収まりが悪いかのように、何度も瞬きを繰り返している。乾ききっていない血がまつげを濡らした。
「色々説明したけど、ようは理屈では説明できないってことだし。みんなが超能力と聞いて想像するものと大差ないよ。でもね、超能力を使う度、世界に歪みが生じていることが科学的に測定できてるの」
「……ユガミ?」
「そうそう、歪み。そうねぇ、震源地を中心に揺れが広がっていく……みたいなことを想像して」
その揺れこそが歪みであり、基本的には能力を使った者を中心に広がっていく。そんな揺れは科学的に観測が行えるらしい。その揺れの大小で、能力の影響や強さも測定できるのだという。「理解できましたか?」と教師っぽい口調で由香里先生は聞いてくる。ゆっくりと俺は頷いた。呼吸も徐々に落ち着いてきている。
「と、まぁ、能力についてはこんな感じかな。あんまり専門的な話しすぎても仕方ないからね。栞、入ってきて良いよ」
扉がギィと音を立てて開かれ、符浦栞が入ってくる。部屋の惨状を見て、「また、例の奴やったんですか?」と蔑んだような目で問いかける。
「そうよ。たまには、あなたも見る?」
「嫌です……今回は目ですか。えげつない物見せますね。一生物のトラウマですよ……脅しにも使われる能力って理解して下さい」
そんな言葉で目に突き立てられたペンを思い出す。もしかしたら、まだ自分は夢を見ているのかもしれない。頬をつねるも、やはり痛い。嗚咽が漏れ、吐き気が俺を襲う。
「大丈夫? なわけないか。もう少し詳しいことは、家で栞に聞いて。あぁ、そういえば今日から栞もあなたの家に泊まることになるから。食費は機関から出るし、そこんところは安心して」
そんな言葉も耳に入らず、この場から逃げ出したいとだけ考えていた。狭い室内には血のにおいが充満していた。それに気づき、符浦栞が窓を開ける。生暖かい風が入ってくる。
「栞とはちょっと打ち合わせがあるから。どう? 先帰ってる?」
その言葉に力なく頷き――、
「あ、ちょっと待って」
外に逃げだそうとした俺の腕を、栞の細い手が掴む。振り払おうとするも力が相当に強い。指が腕に食い込んでくる。
「超能力のことは口外しないで」
「口外したらどうなるんだよ!」
どうせ信じて貰えないだろ、と意識せずに語気が強まる。色々な感情が入り交じって、理性も限界に達していた。
「……話した時には、あなたの両親の命はないと思って」
その言葉が、理性のたがを外した。「てめぇ!」頭にカッと血が上る。思わず腕を伸ばし、彼女の襟元を掴もうとして、気付けば床に頭を押しつけられていた。その一瞬、何が起こったのか理解できずに押し黙る。直接的な痛みが肉体を襲った。
「これまで何人もの能力者と戦ってきた。舐めないで」
栞の冷たい声が耳元で囁かれる。立ち上がろうと力を込めるも、それ以上の力で押しつけられた。女子高生の細腕とは思えない力の強さだった。彼女の一体どこにそんな力があるというのか。
「栞、そのくらいにしとけ。……桜庭、これはお前を守るためでもあるんだ」
床に押しつけられたままの俺に対して、由香里先生は自らの所属していた組織について説明する。公表されるような名前はなく、国家主導で運営される秘密組織であり、超能力者という存在について研究する傍ら、反社会的――つまり犯罪行為を行った超能力者を見つけ出し、捕まえるといったことを行っている。そのため、自然と敵も多くなるらしい。
そんな組織に関わったとなれば、俺も攻撃の対象となりうる。それが由香里先生の見解だった。
「だったら、なんで俺を巻き込んだよ! 俺は関係ないだろ!」
「あまり大声ださないで」
これ以上声を出させないためか、さらに強く押し当てられた。
「それは……予言があったんだ」と躊躇いがちに由香里先生は答える。
「予言?」
「君が世界を救う鍵を握っている……簡単にまとめると、そんな予言だ」
「世界を救う? なんだよそれ。どういう意味だよ!」
返答に詰まり躊躇っていることが、押さえつけられ、表情を見ることができない俺にも伝わってくる。それでも俺は答えを待った。そして、
「世界の危機が近いって予言が出たんだ」
窓の外からは部活動生の声かけが聞こえる。鳥が鳴いている。窓ガラスに風が吹き付けカタカタと揺らしいている。
「世界の敵が現れるって。 “予知能力” 者が言ったのよ。その肝心の敵が、どこの誰なのか分かってないみたいだったけど、そんな危機を救えるのは桜庭君。あなたなだって結果が出た……でも、あなたは調べる限り、どこにでもいる高校生。不安に感じた上層部は “能力を無効化する” 符浦栞と、もう引退したはずの私も復帰させることにした」
由香里先生はその後も、淡々と話を続けた。私としても、あなたを巻き込みたくなかったと。今となっては意味のない励ましだった。符浦栞は “世界の敵” に狙われるかもしれない俺を守るために派遣された、という意味もあるらしい。自分の知らない場所で、自分の知らない物語が展開されている感覚が、どうにも気持ち悪く思えた。話を聞けば聞くほど、自分が何故ここにいるのか分からなくなっていく。
「世界の敵を倒すのは私。あなたじゃない」
符浦の声はひどく冷たく、そして怒りを帯びていた。
もう離して上げて、という言葉と共に俺の体は解放される。体の端々が痛み、鉄のように重い。何もかもがどうでもよくなって、殴りかかってやろうかと思ってやめた。きっと、俺は彼女より遙かに弱い。それに疲れた。「帰って良いよ」という言葉が言い終わるよりも先に、逃げるように扉を押し開けた。
勢いよく扉を開いたためか、教師達が何事かとこちらを見る。俺はきっと青ざめた顔をしていだのだろう、俺の怒鳴った声も聞こえたことだろう、何人か心配そうな表情をしている。
それらの全てを無視して駆けた。
廊下を走り、足がもつれた。フローリングが軋み、嫌な音を立てる。この世の全てから逃げ出したい、そんなことを考えながら足を懸命に動かした。
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