第六話

 そんな俺と電波女のすれ違いは、妹に「家に泊まる」と伝えて満足したことにより発生したようだ。「そういえば、あなたに話してなかったわね」と悪気もなく彼女は言ってのける。とにかく俺は昼休み、焼きそばパン片手に、坂本杏の冷たい視線に晒されながら、符浦栞が家に泊まることを知った。眠いだろう深夜に、そんな話を聞かされた妹には同情を禁じ得ない。

「良かったじゃねぇか。美しい同級生と可愛い妹に囲まれて……あ、今日泊まっても良いか?」

「駄目」これ以上の面倒事はごめんだった。中田はこういうことを、冗談ではなく本気でやってのける男なのだ。

「良いだろぅ? 俺とお前の仲じゃねぇか」

 今日もイケてる髪型ですねぇ、という適当なお世辞を聞きながら、深いため息をつく。クラスメイトは自分と符浦栞を見て、小声でボソボソと噂話をしている。尾びれ背びれが付いて広まっていく様が、たやすく想像できた。

「……え? もしかして、一緒に住むことは確定……?」

 かなり遅れて、坂本杏は理解する。いくらか目の光が失われている気がした。

「へ、へぇ……そう、ふーん。あぁ、そっかぁ」

「大丈夫? 坂本さん。おれと一緒に桜庭の家に泊まる?」

「え? そ、それはちょっと色々と……準備とかしないとだし」

「いや、だから泊めないって。大体、俺は符浦栞を泊めることも納得してない」

「は? いやいや、お前。あんな可愛い子を路頭に迷わせる気か? 正気か?」

「……そうは言ってもなぁ」

 色々なことが起こりすぎて、理解が追いついていないのが現状だ。授業中にも、最近のことが思い返される。それにより納得できることはなく、むしろ疑問が増えていくばかりだった。

 両親はどうしてしまったのか?

 世界の危機とは何なのか?

 超能力とは本当に存在するのか?

細かな疑問も上げていけば終わりが来ない。もっと慌ててもおかしくない、こうしてクラスメイトと普段通り会話できている自分が怖い。未だ夢の中にいるような感覚に溺れている。

「お泊まり……お泊まり……うん、大丈夫。私は行けるよ!」

 前の席に座り、体だけこちらに向けて話しかけてくる。おそらく彼女の脳内では、独自の思考が展開されているのだろう。

「坂本さんが大丈夫でも、俺の方は駄目だからね」

 むぅ、と不機嫌顔になる。栞ちゃんは泊めるのに? と言葉を続けられ、返答に詰まった。彼女の泊まりに関しては、俺も納得していない。

 そんな時、チャイムが鳴り、五限の始まりを告げた。確か、五限は国語の授業だったと思う。担当教師は由香里先生。普通の顔で授業を受けられるだろうか。

 気付けば中田の机には国語の教科書が置かれ、しっかりと準備が整えられている。準備が出来ていないのは、俺と坂本さんだけであって、自分の机には食べかけの焼きそばパンが置かれていた。急いで残りを飲み下す。教科書を取り出し、机上に置く。

 教師は少し遅れてやってきた。額に汗を光らせ、手に大量のプリントを抱えている。印刷で手間取ったらしい。

「では今日は前回の続きから……と、その前に。符浦栞と桜庭結城は放課後、職員室にくること」

 そんな連絡の後、授業はいつも通りに進み、刻一刻と放課後に近づいていく。窓の外には、雲一つない青空が広がっていた。


   〇


 放課後、校内の地図を未だ把握していないという符浦栞と共に、職員室へと向かった。教室を出る際、変な目で見つめられ、道中では羨望の視線を感じる。「あの子が噂の」「うわっ、可愛い」「隣の奴誰?」

 さながらアイドルのような扱いを受ける符浦栞、俺はマネージャーといったところだろうか。居心地の悪さを覚えながら辿り付いた職員室。いい大人の教師すら、謎多き転校生には目が向くらしい。

 由香里先生は、片手に小さなタオルを持ち、職員室前に疲れた面持ちで立っていた。「ここで話はなんだから」と、職員室奥の生徒指導室へ三人で入る。室内は小さな窓と机が一つずつ置かれ、明かりを付けたはずなのに薄暗かった。机上にはボールペンが一つ、置かれている。

「ここなら誰にも聞かれないし、桜庭も気になってる話ができる。でも、どこから話したら……それに、あまり語りすぎるのもなぁ」

「由香里おばさん。まずは超能力の話からすべき」

「おばさんじゃないって何度言えば……まぁ、良いわ。桜庭は超能力と聞いてどんなものを思い浮かべる?」

 俺は考える。思い浮かぶのはアニメやドラマの世界だった。中でも物を自由に浮かせたりする不思議な力。それが俺の一番最初に思い浮かべる超能力だった。

「サイコキネシス……とかですかね」

 物に手を触れず動かす能力だっただろうか。スプーン曲げも、この能力に含まれた気がする。

「あぁ、定番だね。では、その能力はどのように使われる?」

 質問の意図が分からず、考え込む。そんな俺を見て、由香里先生は微笑み、

「サイコキネシスってのは、ようは手を触れずに物を動かす……でしょ? でも、それは普通の人達にはできない。何故なら物は何かしら力が加わらないと動かないとルールが決まっているから。違う?」

「……先生、いまいち意味が――」

「この世界には神様が作ったとしか思えないルールが存在するのよ」

 物理学、数学、天文学……この世界を支配し、作り上げた絶対のルール。それがあるからこそ、生物は生きることができている。それらのルールは完璧とも言えるバランスで組み上がられ、人はその全てを解明しようとしてできていないのが現状だ、と彼女は語る。

「そのルールを書き換えられる存在がいるとしたら?」

 彼女はさらに言葉を続けた。

「自身の周りの重力を無くしたら空を飛べるかもしれない、エネルギー保存則を書き換えたら無限大のエネルギーを生み出せるかもしれない。科学で解き明かすことのできていない生死のルールを書き換えれば、不老不死の存在が生まれるかもしれない。物理法則に則って動く電気や電波のルールを書き換えれば、自在に操れるようになるかもしれない……そんな世界を動かすルールを、自分の思うまま書き換えることこそが、超能力者の本質なんだよ」

 彼女は饒舌に語る。自分は身震いした。そんなことができるなら、正しくそれは――

「 “カミサマ” そう呼ぶべき存在が、この世界には確かにいるのよ」

 脳裏に今朝の電話のこと――どこにかけても由香里先生が出てきたこと――が思い浮かぶ。電波を飛ばすことで通信を行う携帯電話。その電波や回路が誰かの手によって操られていたということなのだろうか。そんなことが可能なのか? いや、何かトリックを使ってという可能性も否定できない。今の自分では理屈としてかみ砕くことができても、実感できないことだった。

「といっても、君にはまだ信じられないと思うんだよね。ということで……栞はちょっと外に出てて。彼に私の能力を見せてあげようと思うから」

 分かった、と素直に栞は外に出た。薄暗く狭い室内に二人きりで取り残される。外から微かな話し声が聞こえる。

「……私の能力ってちょっと厄介でね。でも、見た目のインパクトだけは誰にも負けないから。朝の電話はトリックを使ったらできるかもしれないし。能力の存在を証明するにはぴったりなんだよね」と手に握られたタオルを捻り、細長い紐状にしながら言う。

「声を出さないでね」と俺の口にタオルを無理矢理噛ませてくる。抵抗する間も与えないほどに鮮やかな動きだった。その後、机上のペンを手に取り、重さや質感を確認するかのように握りしめ、ゆっくりと息を吐き、そして。

 彼女はペンを自らの左目に突き立てた。

 赤い血が頬を汚し、手が血で染まる。血が数滴、床に垂れた。声にならない悲鳴が、タオルによって籠もった声が、小さく漏れる。

 息が苦しい。心臓が痛いほどに高鳴って、脳内に響いている。身の毛のよだつ恐怖が押し寄せ、体が硬直する。

 口に噛まされたタオルを、血で濡れた両手が解いていく。肌に付いた少しの血を、タオルの汚れていない部分で拭う。その間に、眼球に突き立てられたペンが揺れる。確かに、彼女の目にはペンが刺さっていた。疑いようもなく、目の前で揺れている。

 噛まされたタオルが外されてもなお、呼吸の仕方を忘れたかのように息は乱れ、視界が揺らぐ。体が無意識に震える。

 由香里先生は悲鳴一つあげず、ペンを眼球から引き抜く。ペンに付いた血をタオルで拭き取り、机上に置いた。言葉が出てこなかった。悲鳴を上げることすら忘れていたことに、遅れて気付く。

「……どう?」

 穴が空き、黒目が潰れた眼球がある。思い出したかのように目を逸らす。彼女は瞼を閉じた。それでも溢れ出す血は止まらず、彼女はタオルを目に押しつけたが、あまり意味をなしていないように思う。

 窓の外がほんのり赤くなった。太陽が少しずつ地平線の彼方へと消えようとしているのだろうか。

 それなりの長い時間が経過して、

「うん、そろそろ大丈夫かな。桜庭、こっち見て」

 見たくない。しかし、そんな俺のことを見越していたのだろう。逸らした視線の先に彼女の顔があって、左目があるべき場所に元の綺麗な眼球があった。

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