第五話

 転校生――しかも、夏休み前という中途半端な時期にやって来た符浦栞という存在は、クラスメイト達の興味を惹いたらしい。クラスの窓側、後ろの角、新しく置かれた机に、大人しく座っていた彼女の周りには、女子高生達が集う。昼休みになった今は、他クラスの学生も少なからず混じっているようだ。言わずもがな、好奇心の塊とも呼ぶべき坂本杏も混じっている。

 美しい転校生がやって来たという噂は、全校生徒の間にまで広まっていたようで、教室廊下側の窓には、無関心を装いながらチラチラと視線を向ける男子高校生がいる。いっそ入ってくれば良いのに、と俺は思う。そんな彼らを視界から無理矢理外すように、窓の外の空を眺めながら、隙間時間に売店で買った焼きそばパンに食らいつく。

 たしかに彼女は美しかった。薄幸の美少女という言葉が良く似合う。白い肌に細い腕、薄い唇、上品な笑顔。電波を飛ばしながら深夜にカレーをむさぼる無礼な女子高生には見えない。おそらく、昨晩の彼女の様子を話したところで、誰も信じてくれないのがオチだろう。

「なぁ、桜庭。符浦さん。美しいよな」と隣の席に座っている男は語る。彼の名前は中田裕一と言い、俺の入学当初の頃からの同級生だ。学業成績は普通、運動神経も普通。黒縁眼鏡と短く切りそろえられた髪が良く似合っている。彼は「特徴がないことが、俺の特徴だ」と自らを評価するが、やるべき時にはやる男だと、クラスメイトのみならず教師からの人望も厚い。

「昨日は何で、数学プリント忘れてきたんだ?」中田の言葉を無視して、俺は問いかける。数学プリントをまとめて提出するだけで、すぐにでも帰れたはずが、こいつのせいで無駄な時間待たされることとなったのだ。理由を聞く権利がある。

「……え、その話する? 今は転校生――あぁ、いや真面目に持っていくつもりだったんだがな。やったはずの宿題が見つからなかったんだわ」

「それ、宿題やってなかったやつの常套句だぞ」

「いやいや、マジだって。マジマジ」

 真相は闇の中。まぁ、困るのは数学の宿題を出していない奴である。数学教師である望先生はめったなことで怒らないが、怒ると怖いということで有名だった。今日は数学がないために顔を合わせていないが、明日の数学で雷が落ちるという可能性は決して否定できない。

「明日の数学始まる前に見つけて出せば問題ないでしょ」と中田は言う。しかし、もしプリントが見つからなければ、課題をすることができず詰みであることを、分かっているのだろうか。

「そんな暗い話よりもだな。転校生の話をしようぜ。男子高校生たるもの、可愛い女子の話をせずしてどうする?」

 改めて、符浦栞の席にちらりと目を向ける。あの一部だけ、女子高生の密度が上がっている。

「こんな時期に転校してくる謎の美しき転校生! ミステリアスさも相まって、これはモテるぞ! ……まぁ、お前は坂本杏一筋だから関係ないか」

「いや、それは――」

 違う。そう言葉を続けようとした矢先、背後から困惑が入り交じったような驚きの声が上がる。その声の中には当然、坂本杏が含まれている。俺は振り返らずとも、誰がその困惑の渦中にいるのか分かった。符浦栞が何かしら言ったのだろう。もしや電波的発言でもしてしまったのか。

 しかし、現実は違った。

「ねぇねぇ、桜庭君」

 いつの間に来ていたのか。坂本杏の顔がすぐ隣に来ていた。体が思わず跳ね、焼きそばパンを落としそうになる。「はっ、はいっ」声も裏返る。

「……ちょっと聞きたいんだけど」

 荒唐無稽、猪突猛進といった言葉が良く似合う彼女には似つかわしくなく、ためらいがちに、内股で頬を赤らめる彼女の姿は新鮮だった。俺に何かを言いたいのだろうか。彼女がつい先ほどまでいた場所、坂本杏の席の方を見れば、皆に慌てて視線を逸らされた。坂本杏は笑みを浮かべて首を傾げている。中心人物が一番落ち着いているようだ。

 坂本杏は深呼吸して、唾を飲み込む。何故だか俺も緊張して、同じく唾を飲み込んだ。騒がしかったクラスも静寂に包まれる。

「栞ちゃんと一緒に住んでるって本当?」

 クラスの空気が冷え込んだ気がした。もうすぐ夏だったと思うのだが。しかし、徐々にクラスの端々から声が上がり、疑問が飛び交い、熱気を帯びる。「え? どゆこと」「桜庭と栞さんって知り合い?」「おいおいマジかよ」

 坂本杏の目は潤い、握りしめた拳は震えている。そんな大層な質問だろうか、いや、そんな質問か。よく分からんが、そういうことにしておこう。符浦栞を見ると、「お世話になります」と小さなお辞儀をしている。クラスをさらなる困惑が襲う。廊下を行き交っていた学生も、何事かと立ち止まる。

 さて、答えねばなるまい。自分の置かれている状況を考えて、昨晩の記憶を思い返す。家に泊まる、といったことを言われた記憶はない。つまり俺の答えは、

「俺は知らん」

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