第三話

 どうやら彼女の名前は秘密兵器というわけではなく、彼女自身が勝手に名乗っている脳内設定であるようで、実際の名前は符浦栞であると聞き出すまで、かなり長い時間を要した。

「この街に……いえ、世界に危機が迫っているの」

 こんな感じで彼女からは電波が放出されている。電波による影響か、酷い頭痛がする。そうつぶやくと、

「こんな時間まで起きてるからよ」と電波女から的確な突っ込みをされて、さらに頭が痛くなる。

「老いぼれじじぃの未来予知より、私はあなたに会いに来た。これより、あなたは私とともに世界を救う」

「……へぇ」

「あなたに拒否権はない。これは定められた運命」

「……兄貴、警察呼ぶ?」と妹。

「そうだな、そろそろ呼ぶか」

 妹が据え置きの電話に手を伸ばす。しかし、受話器に触れるよりも先に電波女が妹の手を掴んで止める。妹は小さな悲鳴を上げた。

「だめ、それだと世界が救えない」

 これは本格的にやばい奴ではないだろうか。最悪俺が本気を出せば、取り押さえられるだろう、と彼女の細い腕を見ながら考える。警察が来れば親元にこの女を送り届けて、この一連の騒動は終わりだ。俺は少し身構える。そんな時、外の砂利を車が踏み越えてくる音がした。

「父さんも母さんも戻ってきてなかったのか」と妹に尋ねるも、妹も知らなかったようだ。首を傾げる。帰ってきた時にも両親の車がなかったことが、ふと思い返された。

「……てっきり眠ってると思ってたんだけど、じゃ兄貴その人任せたよ」

 俺と妹は顔を見合わせて、こくりと頷いた。そんな俺たちに割って入って電波さんは、相変わらず電波を全力で放出していた。妹は電波に顔をゆがめつつ、玄関へと向かって行く。

「あれは、救世主の助っ人よ」と電波女。

「へぇ、俺の両親が助っ人ねぇ」

「彼女がこの街にいると聞いたときから確実に来てくれると信じていた」

「はぁ」

「彼女は私に恩義を感じているはず」

「ほぉ」

 両親に聞けばこの電波が解消されるかも知れない。そんな心持ちで待っていたわけであるが、車が止まってから妹が玄関に駆けてからいくら待っても開閉の音一つしない。おかしい、何かトラブルだろうか。もしかすると、この電波女の仲間がやってきて、親にまで電波を照射して攻撃を仕掛けているのかも知れない。

 なんてことあるわけないか。

 電波が電波たる理由はその希少性もあるだろう。一晩に電波人が何人もあらわれてたまるか。半年に一度、いや一年に一度出会えれば十分だろうと思う。可能ならば一生で会わなくていい。

 しかしだ。やはり現実は甘くなかった。

 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン

「あぁ、うっせぇえ!」

 何度も鳴り響くインターホンの音。

「お兄ちゃん、あれお母さんでもお父さんでもない! 何か変なおばさんだった!」

 兄貴呼びが変わっている、今にも泣き出しそうな妹。

「この冷蔵庫に入ってる余り物のカレー。私食べてもいいかしら」

 遠慮の一つもしない電波女。

 これは確実に俺の知っている日常ではなかった。

 しばらく電波と妹とインターホンに挟まれて、何もできずに立ち尽くす。そして、インターホンが鳴り止んだ頃合いに、箒を構えた俺が扉を開ける。入ってきたのは驚くことに担任の由香里先生だった。

「……へ?」

「おぉ、期待通りの反応だ。栞が来てると思うのだけど」

 担任教師が笑顔を浮かべながら、「失礼します」と取って付けたように言いながら家に入ってくる。

「由香里おばさん、お久しぶりです」と冷たいカレーライスに舌鼓を打ちながら、青髪女は先生に挨拶する。

「……栞。私はおばさんじゃないよ。まぁ、今はいいわ。ちゃんと状況は説明した?」

「世界の危機であることを説明した」

「いや、何それ。当たらず遠からずのその説明は……。来て正解だったわね。全く、私は辞めた身だってのに。連絡よこしやがって」

 ぶつくさと頭をかきながら先生は言う。そして、深くため息をついた。俺はそうですかと適当な相づちをうって、面倒くさいことになったなとか、明日というか今日これから眠ってちゃんと起きれるかな、とか考えていた。

何でこう周りの人間は、俺の心配とか気持ちを一切無視して行動するのだろうか。少しくらいはこんな夜分遅くだと失礼だよな、とか、電波まき散らせてたら迷惑だよね、とか考えてもらいたい。けれども栞と元気よく挨拶を交わして、カタカナ言葉いっぱいの電波トークを開始している。「この街のログは確かにおかしいです」「そう? 別段普通でしょ?」「濃度も高い」「濃度……? あぁ、それは――」

「兄貴」

 妹が心配そうな目でこちらを見ている。ここは兄らしく、この場を治めなければなるまい。そう固く拳を握りしめ、

「んじゃ、おやすみ」

 妹の絶句して何も言えなくなっている顔を尻目に、俺は階段を駆け上がり、自室に駆け込み、ベットに飛び込み丸くなった。「もう知らん」睡眠が全てを解決してくれることを願う。



 昨日の騒動が夢だった――何てことはまるでなく。現実であることを最悪な形で知らされることとなる。

「おう、おはよう」

 ベットから降りてリビングに向かうと、担任教師が食卓にいて、朝から重たいカレーを美味しそうに食べている。妹の文字で『くたばれ』と書かれた書き置きがテーブルの中央に目立つように置かれている。昨晩何があったのか、よく分からないが、あまり知りたくもない。

「何だ? 朝の挨拶もできないのか?」

 お前の妹料理旨いな、と舌鼓を打ちながらニヤニヤした笑みを浮かべている。

「……おはようございます」

「うん、良くできました」

「……あの青髪の女はどうしたんですか」

「ん? あぁ、ただのお手洗いだ」

 噂をすればなんとやら。長い青髪を颯爽と靡かせて、我が物顔で洗面台の方からやって来て、「おはよう」と彼女は無表情で言った。「……おはよう」

 昨晩も思ったことではあるが、彼女の髪は、人の手で染めたようなムラの一切がなく、生え際から長い髪の先まで透き通るような青だった。頬はほんのり濡れていて、まだ起きたばかりで開ききっていない眼は虚ろだ。足取りもどこかおぼつかない。

「ごちそうさま」

 いつの間にか食事を終えていた由香里先生は、俺に向き直り言葉を続けた。

「とりあえず、今後のことを君には話さないといけない」

 いつも適当でおおらかな先生の表情は真剣そのもので、俺は思わず唾を飲み、背筋を伸ばした。

「とりあえず、どこから話すべきかな……。うーん……」

 腕を組み、悩んだ表情をしつつ、時折カレーを口に運び、

「彼女は超能力者だ」

「……へ?」

 教師は青髪の女を指さして、そう告げた。青い髪をチラリとみやり、こくりと頷く女を無視して、カレーを美味しそうに頬張る教師を再び見て、ドッキリの看板が出てこないかどうかをしばし待った。

「……あっ、はい。どうも超能力者です」

 気まずい沈黙を破るかのように、青髪女は言った。

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