第四話

 この場に味方はいない。いるのはただ現実離れした女二人である。「あなた女運がないね」と遠い昔、占い師に言われた文言が何故だか思い浮かんだ。照れくさそうに、青髪の女は頬を赤らめている。

「……ちなみに符浦栞という名前は偽名。これ以上は機密事項で、彼女については話せないし、知るべきことは何もない。ただやるべきことは彼女と一緒に学生生活を送るだけだ。いいか? ……って、おーい? 聞こえてる?」と教師は教師らしからぬ乱暴な言葉で言った。

「……は?」

 待て待て。落ち着け。理解しろ、この状況を。

 超能力。定義自体は漠然とではあるが知っている。ライトノベルなど創作の世界ではお馴染みの存在であり、科学では説明できない人知を越えた力。つまりは空想の存在である。フィクションであり、ノンフィクションではない。

「冗談も行き過ぎるとつまらないですよ」

「ふむ、どうやら信じてないみたいだな」

「当たり前ですよ。ちなみに彼女の能力は何なんですか?」

 と適当に話に乗ってみる。

「私の能力は『相手の能力を無効化する能力』。対能力者相手には最強」

 どうやら設定はかなり細部まで作り込まれているようだ。青髪女は間髪空けずに答える。

「だから、ここで能力見せてくださいぃ……何て言われても困るから言うなよ少年」と由香里先生。どうやら突っ込みすらも許してくれないらしい。なんと便利な設定だろう。

「栞、流石に青髪は目立つから黒く染めてらっしゃい」

「了解した」

 こくりと小さく頷いて彼女は洗面所へと戻って行った。

「そういえば妹ちゃんはまるで逃げるように学校へ行ったわよ」

 俺も逃げ出したい気分だった。ズキズキと痛む頭を抱えつつ、朝食を無理矢理胃に流し込む。そうしている間に――と言っても時間はさほど経っていないと思うが、黒髪に染め終えた符浦栞がやって来る。腰まで伸びた青髪はすっかり黒に染め上げられている。一人で染めるのは相当に大変だろうと思うが、見たところ染め残しはないように思う。どこからどう見ても綺麗な黒髪であった。

「よし、栞。転校の手続きとか色々あるからもうでるよ。結城は普通に学校に来てくれれば良い」

「ちょっと待って下さい。もう少し説明を――」

「それはまた後でもいいだろ?」

 二人は迷いなく外に出て、車のエンジンをかけ、颯爽とどこかへ行ってしまった。声をかけ、説明を求めようと伸ばした手は空を切った。ため息をつき、頬を抓ってみる。

 痛い。

 もっと強く抓ってみる。もっと痛い。やはり疑いようもなく、これは現実であり、俺は何かしら意味の分からないものに巻き込まれているようだ。

 そして、両親に電話をかけようと思い立つ。昨日は何故帰ってこなかったのか? 今どこにいるのか? 俺はどうすればいいのか? 言いたいことはたくさんあって、助けがどうしても欲しくて、最初に思い浮かんだのは両親の顔だった。

 携帯電話を取り出す。連絡帳にある父親へ電話を掛ける。

 長く続く発信音。そして電話に出る音。

「もしもし! お父さん? 今どこ――」

『ハロー』

 一瞬、記憶が飛んだ。電話に出たのは女性で、しかもつい最近聞いたはずの声であって、どうしても理解することを脳が拒んでいて、それでも確かめないわけにはいかなくて、

「……どうして由香里先生が電話にでるんですか」

『どうして? 何でそんなこと聞くの?』

「これは父の電話のはずです! 先生が出てくるわけ――」

『決まってるじゃん。私が君の父親の携帯を持ってるからだよ』

「……」

『あれ? 鳩が豆鉄砲喰らった見たいな顔してどうしたの? ……あはは、慌てて周りを見回しても無駄だよ』

 ぞくりとした。俺は確かに辺りを見回していた。

『結城君、君はもうこっちの世界に片足を突っ込んでるんだよ』

 俺は携帯を切った。寒くないはずなのに体は震え、歯がカタカタとなった。手にした携帯から思わず手を離す。床に落ちた携帯が大きな音を立てた。嫌な汗が全身から噴き出す。

 朝の鳥が鳴いている。時計が一秒を刻み、歯車の回転する音がする。

 おかしくなった呼吸をゆっくりと時間をかけて整え、落ちた携帯を拾い上げ、次は母親に電話を掛けた。次はすぐに出た。

『ハロー』

 すぐに電話を切った。由香里先生の無駄に明るい声だった。

 理解が追いつかない。両親は何処に行った? 次に電話を掛けたのは警察だった。110番。十分に事件性があると判断しての行動だった。しかし、

『ねぇ、いい加減悟りなよ』

 出てきたのはやはり由香里先生だった。電話を思い切り投げ捨て、自宅の固定電話から110番を掛ける。

『君はもう逃げられないよ』

「……何がどうなってるんですか」

『だから言ってるじゃん。君はもうこっちの世界に片足突っ込んでるんだよ』


   〇


 夢見心地のまま、気がつけば学校に着いていた。学校へ向かう途中の記憶は酷く曖昧で、今いる場所が分からなくなる感覚に襲われた。

「おい、桜庭。昨日はすまんな。宿題取りに帰ったんだけど見つからなかったわ」

 と、俺と坂本杏が居残りをする羽目になった犯人、中田は証言する。十中八九嘘であろうことは、彼の隠し切れていないにやけ顔から判断できる。しかし、追求する気にはなれなかった。

 俺の脳裏はどうも靄がかかったかのように漠然としている。これは絶対寝不足のせいだけではない。父親、母親に電話をかけるも繋がらず、出てくるのは由香里先生であって、ついでに警察と消防署にも電話をかけるも由香里先生に繋がった。最期の手段と坂を下りきったコンビニで頼み込んで電話を借りるも、

『これで五度目だよ?』

 意味が分からなかった。自分の頭がおかしくなったような気がしてならない。

「おぉーい、大丈夫か? 起きてるかぁ?」

「あぁ、すまん」と友人にまで諭される始末。

「桜庭君。おはよう」と言いながら前の席に坂本杏が座った。「おはよう」

 坂本杏はいつも通り時間ギリギリにやって来る。決して不真面目な性格という訳ではなく、以前理由を尋ねた際には「ギリギリを攻めたい」と意味が分からないことを言い、胸を張っていた。彼女なりのポリシーという奴なのかもしれない。

「おはよう」と、朝のホームルームの始まりを告げるチャイムと同時に、由香里先生も教室に入ってくる。こちらには目を向けず、声色もいつも通りのようだった。しかし、

「今日はまず、転校生の紹介だ」

 クラスが喧噪に包まれる。「転校生?」「聞いてない」「この時期に?」

 坂本杏もこちらに目を向けて、「どんな子だろう?」と目を輝かせている。「女の子かな? あっ、桜庭君、変なこと考えたでしょ?」「……」「……え、もしかして本当に……?」

 事実、俺は変なことを考えていた。これ以上、変なことが起きて欲しくないと願っていた。朝の教師と青髪の女の会話が思い出された。いや、それ以前の昨晩の会話の全てが、脳裏を駆け巡り、嫌な予感が身を震わせた。

 黒髪の乙女が教室に入ってくる。颯爽とした身のこなしは、緊張感を微塵とも感じさせない。青い髪を靡かせていた記憶と重なる。

「はじめまして、符浦栞です。よろしくお願いします」

 黒板に『符浦栞』と書かれる。彼女の短い自己紹介の最中、ずっと自分を見ていた気がするのは、気のせいだと信じている。

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