Day6 夕焼けの空




 子供が言うには、団地の屋上から飛び降りると過去や未来に行けるらしい。

 そんな話を鵜呑みに出来るほど、優星も純粋ではないので、話を持ってきた黒前を睨み付けた。

「僕も完全に信じているわけじゃないよ。時間は一方向にしか進まないから、どう考えても過去になんて行けるわけないって思ってる。

 でも、この子自身が証拠なんだからどうしようもないよね」

 

 明日の夕方、団地の七号棟で待ち合わせしよう。

 そう約束して、黒前と子供と別れた。




 七号棟。

 五時をすぎて、すでに日は山へと沈みつつある。

 かつて、真白がノートに書いていたことがある。

 団地には、子供にわかりやすいようにそれぞれ数字の横に絵が描かれている。一号棟はイチゴ。二号棟はさくらんぼ。

 真白のコメントでは、七号棟の星の絵が好きだから、ここから飛び降りるのもアリと書かれていた。

 優星は団地に向かいながら、真白のことを思い出した。

 真白と死ぬことを選んだ日。

 四月の三十日。明日は真白の命日だ。

 七号棟の前、黒前と子供はすでに到着していて、優星のことを待っていた。



 団地の屋上は、元々人が出入りするための構造ではないため、四階の踊り場からよじ登るしかなかった。

 三人で助け合いながら屋上へ登る。吹き抜ける風が強くて、優星は思わず目を瞑った。

 昼間の暖かさとは打って変わって、春とは思えないほど冷たい風だ。

 風が落ち着くと、そっと下を覗き見た。地面まで十メートル以上ある。

 地に足が着いていないような浮遊感に襲われて、その場に尻餅をつきそうになった。

「びびってる?」

「……まさか」

「へー。僕はびびってるよ。この高さからじゃ、無事では済まないからね」

 意地を張った優星と反対に、黒前はあっさりと恐怖心を認めた。

 そして、落下防止用のフェンスもなにもない屋上の縁に立って、見下ろしている。

 びびってると言っておきながら、その姿から一片の恐怖心も感じさせない。

「残念だけど、本当に過去に遡れるっていう保証はできない。それに、彼女の自殺を止めれたところで、それは別の世界の話だ。

 それでも僕は、この非科学的な現象を信じてみたい。……七星 真白さんによろしく」

「……ああ」

 ゆっくりと、日が沈んでいく。

 優星は呼吸を整えると、真白が道路の縁石でしていたように、屋上の縁の上に両手を広げて立った。

 心の内で、カウントをする。

 五……四……三……二……一。


 そして、優星は思いっきりジャンプした。


 最初はただ落下していた。

 風を受けて、引き寄せられるように地面へと向かっていく。

 このまま、墜落する……と目を閉じた瞬間だった。

 今までの落ちていく感覚が、押し上げられるような浮遊感へと変わった。

 恐る恐る目を開けると、優星は青空の中に浮かんでいた。

 眼下には雲海が見える。

 ――これは、一体?

 夕陽が雲の向こうへ沈んでいく。

 その最後の煌きで、辺りを赤く染めている。

 夕陽の反対側は、もう夜が広がっていて、優星は昼と夜の境界を飛んでいた。

 眩さに手を翳していると、ぱちっと爆ぜる音がして、右頬に痛みが走った。

 ――静電気?

 体中に静電気が当たる。あちこちでぱちぱちと爆ぜて、その度に針で刺したかのような小さな痛みが襲ってくる。

 優星が痛みに顔を歪ませていると、風が下から押し上げるようにして、優星の体をさらに高く高く運んでいく。

 空へと吸い込まれていくようだった。

 ……そこから、優星の意識はなかった。








 七号棟の屋上。

 飛び降りた優星の姿は、瞬きをしている内にどこかへと消えてしまっていた。

 過去へと行けたのだろうか。

 黒前が振り返る。

「これで、よかった?







 七星 真白さん」




 一緒に居た子供が帽子を取ると、隠していた長い髪が揺れた。

 彼女は笑った。優星の愛したヘタクソな笑顔で。



「ええ」





 平成が終わるまで、あと二日。





 











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