Day5 タイムトラベラー
「平成もあと二日を残すのみになりましたね」
相変わらずたどたどしい新人アナの声を聞きながら、今日も冷めたトーストを齧る。
口に残るざらりとしたパンのくずを、牛乳で押し流した。
「……ごちそーさま」
あれから、何も無かったかのようにゴールデンウィークに突入し、両親と一緒に食事を取っていた。
弟は友達とキャンプに行っているらしい。
優星は先に食べ終わって、シンクに使い終わった食器を置くと、いつものように支度を始めた。
大学は授業が休みだ。特に用はないのだけれど、とりあえず外に出る。
そして、当てもなくふらつくはずが、気付けば歩いていたのは真白との思い出のある地だった。
踏み切り。コンビニ。中学校。
真白の細くて冷たい手を繋いで、歩いた道。
手を繋いでいないとき、真白は、縁石の上を歩くのが好きだった。
両手を広げてバランスを取りながら歩く、真白の背が、近くにあるはずなのに遠く感じた。
――もし、七星 真白に会えるとしたら、君は何を差し出す?
もし、真白に会えたら。
――生きている彼女に会いたいかって聞いてるんだ。
――どう? 真白ちゃんに生きていてほしいと思わない?
歩き続けていた、優星の足が止まった。
あれから、黒前の言葉が脳内をループする。
――平成がもう間もなく終わるわけですが、なにか後悔していません?
今日は、タイムリミットの四月二十九日だ。
顔を上げる。
振り返ると、優星は今まで歩いてきた道を駆け出した。
練炭自殺をしようと真白とホームセンターに買いに行って、レジのおばさんに問われた。
「これで何するの?」
真白は用意していたかのように、毅然とした態度で「親に頼まれました」と言った。
しかし、レジのおばさんは引いてくれなかった。
「それなら、親御さんと来てちょうだいね」
優星と真白は練炭を買うのを諦めて、ドラッグストアへ向かった。
死ぬ方法は、世の中に有り余っていた。
真白の家は、オシャレな一軒家だった。
門から玄関まで続くたくさんの鉢に、バラやパンジーなんかが植えられていて、花の香りが満ちていた。
ステンドグラスの嵌め込まれたドアを抜けて、二階にある真白の部屋にお邪魔する。
家族はいないらしい。
白を基調としたレースのあしらわれた部屋は、優星と弟が一緒に使っている部屋とは大違いだ。
ドラッグストアで買ってきた二種類の洗剤と、真白がどこかから持ってきた睡眠導入剤を、勉強机の上に広げる。
「なんだか、緊張するね」
「うん」
真白がヘタクソに笑うのが、愛しかった。
あちこちの窓の端にガムテープを貼った。
それから、二人で睡眠導入剤を飲んで……眠りについて……目覚めたとき、優星は病院のベッドにいた。
失敗してしまったんだと思った。
「あの、ここに七星 真白は入院していませんか」
声を出す度に喉がヒリヒリする。
点滴を換えに来た看護師に尋ねると、「入院されていませんよ」と笑顔を返された。
真白が亡くなったのを知ったのは、退院して暫くしてからだった。
真白から、一言だけの遺書が届いた。
「優星くん、巻き込んでごめんね」
――俺はただ巻き込まれただけなのだろうか。
不思議と悲しくなかった。
ただ、この数日間ずっと隣にいた、冷たい手をした少女がもうどこにもいなかった。
学校に行くと、腫れ物のように扱われた。
ちょっとしたことで、「大丈夫?」とか「なにかあったら言ってね」とか、常に顔色を窺われて、優しさに息が苦しくなった。
俺は、死にたかったんじゃない。真白と死にたかっただけだ。だから普通にしていてくれ。
そう言ってやりたかったけれど、声になることはなかった。
次第に学校に行くことが嫌になって、二年間不登校を経験した。
親に勧められて、定時制の高校へ行って、今の大学へ入って……少しずつ、真白の面影が薄らいでいった。
このまま、あの甘くて溶けてしまいそうな日々を、忘れていくのかと思った。
大学の門の前、黒前は子供と一緒に猫と戯れていた。
「お。来たね」
「……本当に、真白に会えるのか?」
「会えるんだってさ。この子が言うには」
黒前の隣にいた子供が頷く。
帽子を目深に被っていて、表情は窺えない。
小学生か中学生か、性別もよくわからない。
子供は立ち上がると、優星に向かって、宣言するかのように言った。
「ぼくは、過去から来たんだ」
平成が終わるまで、あと三日。
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