コロチニタ~今はまだ咲かないサクラ~

色無蕾

第1話 妄想のワケ

 思い出せない過去は当たり前のようにある。

 思い出したくない過去も当たり前のようにある。


幼い頃の記憶・・

私は、北海道の片田舎で狭い長屋の社宅に暮らしていた。一番古い記憶は6歳頃だろう。思い出したくもない、消し去りたい過去である。その頃が甦ってくるような写真は、今はもう二度と見る事は無い。見たいと思った事も無い!

親が平気で見守る兄弟の仲むつまじい光景。いや、決してそんな、にこやかな筈はなく、そこに映っているのは、幼い私が兄に弄ばれ虐められている光景である。

 泣きながら嫌がっているのに無理やり高い棚に乗せられたり

 風呂場に上半身だけを無理やり突っ込まれ溺れさせられたり

 号泣しているにも関わらず鯖折状態で背骨を痛めつけられたり、

ほんの一部だが数々の忌々しい信じ難い光景。いずれもアザや外傷はできないものばかりだが、幼心に肉体的にも精神的にも嫌な思いをした記憶しかない。

(後々、高所恐怖症・水恐怖症・暗闇恐怖症など様々な恐怖症を惹き起こす)

 ある日、幼い頃なので鮮明には覚えてはいないが

うっすらと目を明けるとベッドの上で横たわっている自分がいた。

「ここは病院かぁ・・・」

ぼーっとした状態で頭にズキズキと痛みだけが残っている。

「大丈夫か?」

母の声が聞こえた。

私は転んで頭を打ってタクシーで病院に運ばれたらしい・・・

転んで?いや兄に突き飛ばされて頭を打ったはず!?

『違う意味』で母は安心したのか(私の命より世間体)

「さぁ目が覚めたなら帰るよ!」

母は催促するように私に言ってきた。

覚えているのは一部だが、外傷は無かったためそのまま私は帰宅させられた。

こんな事は何度かあった。

そもそもなんで私がこのような被害を受けなきゃならないのだろうか!?それにはとてもとても『理不尽』な理由だ。

 母は幼い時の兄に誤って熱湯を浴びせてしまい全身大火傷を負わしてしまったという事故があり、その事が原因で小学校低学年くらいまで入退院が幾度かあって、何か気に入らない事がある毎に『お前は俺を殺そうとした!』と兄が母を脅すように言っていた。兄は他人に恐怖心を与える事が多く、そして被害妄想は相当なものである。母は事故を起こした事がかなり負い目になっていて、なるべく逆らわないようにしていた。兄はそれ以外にも、病気や怪我なども多く、風疹など流行りの病気に罹ることも頻繁でしたが、私は何一つ罹ったことがない。幼い頃から『健全者』である私を、自分と同じように辛い目に遭わない私のことを『気に入らず』相当憎かったらしく、嫌悪感を抱くようになっていった。ただの嫉みである。

とても『理不尽』なことだ。

私の素行が決して悪かったわけではないが、兄が嫌いなモノは母も一緒になって嫌いになっていき、私の事を邪魔者扱いするようになっていく。そして母は兄の言動や行動に多少目をつぶるようになり、兄が私に対する虐めは母も黙認して、たまに一緒になっていた。だが『度が過ぎる』虐めに関しては、異常なまでに世間体が気になる母は、当然のように近所にも父にも内緒にしていた。

父に関しては、普通のサラリーマンで一見やさしそうに見えるのだが、大柄で、自分が気に入らない事ですぐ怒鳴ったり、手を上げるような(たぶん兄は父親似)とても怖い印象がある。「親は偉い!」「兄は偉い!」と言われて育ってきた私は、兄や親に逆らうだとか家庭に起こった出来事を他人や父に言うだとか、そういう考えはほとんど無かった。仕事が忙しくほとんど家にいなかったので家庭の事は母にまかせっきりにしていたが、私が逆らったり告げ口をする事で、父からひどい仕打ちを受けるかもしれない恐怖感を感じていたので、私は虐めにひとりで耐えるしかなかった。

 傍から見聞きすれば絶対的に有り得ない事でも、その環境の中で生活している私にとって、いつも家庭内で起こる事は日常当たり前のような感覚で、これが家族、家庭というものなのか、と半ば思っていた。一般的に『普通』とよばれる家庭環境や、一般的な家族とは程遠い【虐待】の日々が続いていく中、私自身の考え方も『普通』でなくなっていった。

7~8歳くらいの頃、友達とある時の会話で

「昨日の志村けんサイコーにおもしろかったなー!」

「・・・」

「ハラ抱えて涙出すほど笑ったよー!」

「へぇ~・・」

「見てないの?」

「・・っていうか笑って泣いたの?」

「えっ!?だって泣くほど面白かったよー!」

「泣く時って痛かったりくやしかったときじゃないの?楽しかったときに泣くことなんてあるんだぁ・・じゃあ泣くときって面白いときのほうが多いの?」

「?・・・えっ・・・?そりゃあ痛いときにも泣くけど、笑ってるときのほうが多いよ・・変な奴!?」

当然のように見たいTVなど見たことはほとんど無い。このような友達との会話などから、普通の考え方ではない自分に、他の家庭とは生活環境が違う事には、少しずつ気づいていくようになり、周りの楽しそうにしている友達を見てなんとなく違和感を抱いていた。私は特別暗くはなかったので、傍から見れば普通にみえたいた。

近所の同年代の友達とよく『外』で遊んだり、近所の野球チームに参加したりもしたが、本当にいつもだった。まるで家に居る事を拒むかのように、、、

ほぼ毎日、外で門限ぎりぎりまで遊ぶようになっていた。兄はほとんど外で遊ぶことは無く、兄と仲のいい近所の子はいなかったので、私は外に居るほうが気分的に楽であった。

でも結局、外で遊ぶより家に居る時間の方がやはり長いので、現実から逃げる事などできるはずがない。母が作るクソ不味いごはんを無言で家族と食べていたが、普段は私の居場所が無いので、狭い部屋の二段ベッドの上でカーテンを閉めて、イヤホンを使い音楽やラヂオを聴いたり、なぜか興味があって百科事典や辞書などを読んでいたり、家の中ではひっそりと、怯えながらひとりで過ごすことがほとんどだった。

だが、中学に進学した頃には部屋からも追い出され、ベッドで寝ることもなくなり、共同部屋が高校受験のため兄専用部屋となり、私の机も居間に移され、自由は奪われていった。そんな生活の中で、さらに追い討ちを掛けるような状況に追い込まれていく。

中学2年に進級する時に、父の転勤で、仲のいい友達とも別れ、田舎から都会である札幌に引っ越すことになる。田舎から出てきたために、転校したばかりの時は都会の子達と不慣れなせいか、なかなか仲良くなれずに、学校でも虐めを受ける事になってしまう。(兄は喜んでいたが)これも『理不尽』な事である。でも学校での虐めに関しては、周りの環境が変わっただけで、家庭での環境に比べれば、学校では時間もやるべき事も限られているので、あまり苦痛ではなかった。が、

外でも家でも本当にひとりぼっちになってしまった・・・

精神的にはかなり病んでいたかもしれない。だが不思議と損得勘定は持っていて自殺だとか、復讐だとか、何の『メリットも無い事』に関しての考え方は無かった。

ただ一人でいる時がほとんどだってので、そんな中段々と他人とは違う『一人だけで喜びや楽しみを味わう手段』を覚えるようになっていく。そして、なぜ辛い日々を乗り切る事ができたかというと

 ーーーそれは【妄想】であるーーー

元々幼い頃から夢見がちではあったが、成長するにつれて一人の時間が多くなり、だんだん妄想は膨らんでいき、私の場合は普通と違い長い時は3時間くらい妄想の中で時を過ごす事ができた。ほとんど何もせずベッドの上や勉強机の椅子に座って、寝ているわけでもなく、傍から見ればボーっとしているように見えるが、いろんな妄想を長時間繰り返していた。兄の被害妄想とは違い、自他共に苦しめるようなものではなく、また『前向き思考』などと格好良いものではなく、

完全なる【現実逃避】である。

小学生くらいの時には将来『大人になった時の楽しい事』を考えることが多く、好きなものを食べたり、好きな音楽を聴きに行ったり、好きな女の子とデートしたり、好きな場所に自由に出かけてみたり『楽しい事』ばかり妄想していた。中学生くらいの時は、ちょっと現実的で文武両道になり学校で人気者になったり、独り立ちして将来『社長』になり優雅に自由に生きているような、とにかくひたすら妄想しては、一人でほくそ笑んでいた。私にとっては妄想が【生き甲斐】であり【至福のひと時】であった。

『普通』ではない自分と生活環境の中で、他人には真似できないような【境地】を味わう事が、結果的に自分の人生を救うような事になるが、あくまでも理不尽な事が原因で、特別に強い意志があった訳でもなく、ただ現実から逃げて、【空想の世界】で生きる選択は不思議な事ではなかった。生きている事には代わりは無いので、たとえ現実が楽しくなくても、他人から変人扱いされても、『楽しい事』を考える事を習慣化してしまえば、生きる世界を自分の中で変えてしまえば、もしかしたら、現実が空想に近づくかもしれない。そうすれば『夢が実現する』事になるかもしれない!そう思って生きていたのには間違いない。

 理不尽な家庭のDVと学校での虐めは中2の終わりくらいまで続いていくが、私が徐々に成長する過程でいろいろと『変化』が起き始める。

兄は大柄だったが、私は中2でようやく母を超え、中3で兄に追い着いていて、クラスでも大きいほうになり体格では勝るようになった。そして、学業の面でも常に学校で上位の成績で勝るようになり、成長と共にかなり知恵や知識も付くようになっていき、当然今までにない理不尽な事に対して逆らう感情も表に出すようになっていて、学校での虐めは無くなった。しかし、性格が真逆ともいえる兄弟はますます不仲になり、すでに会話が無い上に、顔も合わせないようになっていた。肉体的虐待は無くなっていたが、精神的な、くだらない陰湿な嫌がらせが、だんだんと狂ったようにエスカレートしていく。

私の部屋のドアに<音を出すな!><階段は静かに上れ!>など、気に入らない事があると貼り紙をするようになったり、ある時は部屋にいる私に聞こえるように「あのバカ野郎(私の事)にちゃんと教育しろっ!」と父が居ない時に母に大声で怒鳴り散らしたりしていた。

止めさせる事も、母を味方に付ける事もできたかもしれないが、お互いに落ち着いて話し合うなど、妄想の中ではおこなってきたが、現実的にキチガイの兄と顔を合わせて話すなど有り得ない事で、喧嘩に、下手すれば殺し合いになるかもしれないと思い避けた。兄のキチガイじみた態度は、母にも向けられていたので、母に兄の事を

「精神科の病院に連れて行ったら?」と話した事はあったが、自分の育て方で兄が壊れてしまった負い目は拭い切る事はできないみたいで、

「あんたが言う事じゃない!」と一蹴されてしまった。

別に母の味方気取りをするつもりなど無かったが、言いたい事は多少言うようになっていた。父は相変わらず家の事は母にまかせっきりで、家の事はほとんど知らず、父にも相談しようと考えたが、この頃は一戸建てを買うため、そして出世のために仕事が益々忙しくなり、顔も合わない日々が多く、家にも寝るだけに帰ってきていた感じで、話しする余地がない。

私はただ平穏が欲しい・・・

もう無視するしかない・・・

現実を変えることなどできやしない・・・

ならば、

15歳になった頃の私は現実的に独り立ちすることしか考えなくなり、母も疲れている感じで、自分の身の周りのことは家事でも自分でするようになっていた。友達も増え門限もほとんどなくなり、自由に外出する事が多く、料理は友達の家でたくさん学び、現実でも『楽しい事』ができるようになってきた。友達にDVの話は一切した事が無かったが、自分の将来の事など夢物語はよく話すようになっていた。

 思い出したくもない過去の記憶だが、私の人生の遠回りの原因と纏わり付く運命との戦いの始まりでもある。

 虐待がきっかけで現実離れしていき、妄想癖がついてしまった私はそのまま大人へと成長していくわけだが、妄想でカバーできなくなるような、現実と向き合って生きていかなければならない事を学んでいく。やがて人生の大きな『転機』が訪れて、一気に大人の世界に飛び込んで行き、周りの環境や付き合う人間模様も変わっていく。様々なタイプの人間と出会い、自分の考えを口にすることで周りの人間の反応が、自分という人間を構成していくのだが、沈黙を保つのは子供の頃だけで、大人になると話がわかるかどうかの分別はつくようになる。その結果仕事をする上で、人と付き合う上で、失敗という人生経験を繰り返すようになり、妄想の中では笑ってごまかせても、現実では自分の責任問題が発生してくる事に気づいていく。

だが、現実だけを直視して諦めた嘆いてばかりいたのなら、私の人生は早くに終わっていた可能性がある。

子供の頃に思い浮かべていた【楽しい事】はいつまでも忘れる事も無いし、やがて儚い夢と『諦める事』も未だに無い。

『夢を見る』と【夢を持つ】は違う。

私は、こうして【いつか人生の希望通りの春が来る】と思い続け、紆余曲折の人生を歩み続けていく。




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