月が綺麗ですね

美月さんはとても疲れている様子でした。汗だくで、息が上がっていて、顔も赤くなっていました。かなり焦っていたのでしょう。前回はピッキングの跡なんて残していませんでしたから。


「なんで私がここにいるか、聞かないの?」


「聞きたいことは沢山有りますけど、とりあえずシャワーを浴びてきたらどうです?話をするのはそれからでも遅くないでしょう」


「……ありがとう。じゃあシャワー借りるね」


美月さんがシャワーに入った後、タオルと着替えを脱衣所に置きました。シャワーの音に混じってすすり泣くような声が聞こえてきましたが、おそらく気のせいでしょう。


シャワーから上がり、髪を乾かした美月さんは僕の隣のソファに腰掛けました。ゆっくりと深呼吸した美月さんは、静かに口を開きました。


「私がこれから話す事に嘘偽りはない。信じてもらえる?」


「どうでしょうね。聞いてみないと分かりませんけど、多分僕は美月さんの言う事なら信じると思いますよ。この数日で随分と毒されましたから」


嬉しそうに微笑んだ美月さんはゆっくりと喋り始めました。


「あなたが殺した3人のうちの1人は私の弟なの。中学生の頃、両親が死んでから私達はお互いが唯一の家族だった。一応、祖父母の家で暮らしていたけど、祖父母は世間体を気にして私たちを引き取っただけで、まともな扱いは受けなかったね。


ロクな食事も与えられない私たちは、自分で稼ぐしかなかった。弟はまだ小学生だったから、私が働かないといけなかった。でも、私は真面目に働くよりも稼げる方法を見つけてしまった。


はじめは体を売ろうと思ったけど、客を前にすると怖くなって、なんとか誤魔化してお金だけ取って逃げちゃったんだ。そこで、気づいたの。私には人を騙す才能がある。その日から、私は詐欺師になった。


それは私にとって天職だった。男を誘惑してお金を取れるだけ取って逃げたり、電話一本で老人を操ってお金を振り込ませたり、とにかく大勢の人を騙してきた。罪悪感で押し潰されそうになる事もたくさんあったけど、弟のためと思って必死で人を騙した。


5年も経つ頃には、私は自分の腕に絶対の自信を持つ詐欺師になっていた。だから、油断してたんだ。いつものように男を誘惑して、お金だけ取って姿を消そうと思ってた。でも失敗しちゃった。私の目的が男にバレて、しかもその男はちょっとやばい組織の幹部だったみたいで…いわゆる暴力団ってやつ?それで私は追われる身になった。捕まったらヤバイだろうね。殺されるか、死んだ方がマシだと思う事になるか。今も死に物狂いで逃げてきたんだ。


私が失敗したのは、油断してたのと、もう一つ理由がある。それが弟。こんなどうしようもない私を見て育ったんだもの。変わってしまうのも仕方ない。全部私のせいなんだ。そんな後悔が頭の中に渦巻いてたら、人を騙すなんてできないよね。


弟が何をしていたかは知ってる。殺されても文句は言えないと思う。だから、別に新月くんのことを恨んでるわけじゃないの。でも、何をすればいいのか分からなくなった。弟のために今まで人を騙してきたのに、弟がいなくなったら、私はただの犯罪者だ。……弟がいても、私が犯罪者なことに変わりはないけど。とにかく、弟のためっていう大義名分が無かったら、私は何もする事が出来ない臆病者だった。


それでも、ひとつだけ私がやるべき事があった。それは弟を殺した人を殺す事。無意味な事かもしれないけど、そうしないと私は自分自身にけりをつけられない。弟の仇を殺した後、私も死ぬ。どうせこのままじゃ、暴力団の奴らに捕まって終わりだしね。


弟を殺した犯人はすぐに見つかった。弟の通っていた高校を調べたら、弟がいじめてた女の子を助けようとした人がいたって分かったからね。それから、新月くんのことを徹底的に調べた。名前も、住所も、家族構成も、性格も、お気に入りの場所も。


でもあの神社公園で新月くんを見つけたのは偶然だったんだ。君を殺すために家に向かっている最中だったんだけどね。どうやら、弟の仇は自殺するみたいだった。好都合だと思ったね。君の自殺を見守った後、私も死のうと思った。


君はとても清々しい顔をしていた。まるでこの日を待っていたように。気に入らなかった。弟の命を奪った人があんなに満足そうな顔で死ぬのが。そこで私は計画変更して、君を助けた。詐欺師として、君を最後の標的にしようと思ったの。


私が生きる意味を与えて、私がいないと生きられないようにして、それから私の正体をバラす。そしたら君は絶望した顔で死んでくれると思った。


ずっと君を騙してたんだ。私は美月なんて名前じゃないし、手首の傷も偽物だし、優しくしてたのも、君に絶望して欲しかっただけ。失望したでしょ?」


美月さんは悲しげな微笑みを浮かべて聞いてきました。


ずっと不思議に思っていました。日本の警察は優秀な筈なのに、なぜ僕はまだ捕まっていないのか。美月さんが警察の目を誤魔化していたのかもしれません。


もしそうなら、彼女の人を騙す才能というのは本物でしょう。でも、僕は美月さんが嘘を吐いていることは、何となく気づいていまし

た。


何故かは分かりませんが、美月というのが本名じゃないのも、手首の傷が偽物なのも、優しさが本物じゃないのも、僕には分かっていました。そのうえで、僕は……


「そうですね。失望しました。……嘘です。僕には失望する権利なんて無いんですよ。そもそも僕が弟さんを殺したのが悪いんですから」


僕は一旦言葉を区切り、軽く深呼吸してから、話を続けます。


「でも、今はそんなに悪い気分じゃないんです。嘘だと分かっていても、あなたと過ごした日々は楽しかった。こんなに楽しいなら、騙されたままでもいいかな、と思っちゃうんです」


僕は笑顔で言いました。思えば、美月さんの前で笑うのは、はじめてだったような気がします。


「……新月くんは騙されやすいね。悪い人に引っかかりそう」


「今まさに引っかかってますから、大丈夫です」


「そっか」


震えた声でそう呟やいた後、美月さんは僕に倒れこむように抱きついてきました。そして、僕の腕の中で静かに泣きました。


この涙に、嘘はなさそうです。


僕は美月さんの頭を優しく撫でました。彼女から大切なものを奪った僕が、彼女にしてあげられるのは、何も気にせずに泣ける場所を提供することくらいでしょう。


泣き疲れた美月さんは眠ってしまいました。僕は美月さんを起こさないように布団に寝かせて、少しだけ寝顔を眺めた後、家を出ました。


随分前に廃墟になったホテルの屋上が、僕のお気に入りの場所です。なぜ僕がこの場所を好きなのか、自分でも分かりませんでしたが、今分かりました。


月がとても綺麗に見えるからです。


携帯で110番に電話をして、僕の家の住所と、中に犯罪者がいることだけ伝えて電話を切り、携帯を屋上から放り投げました。


美月さんは、暴力団に追われる身です。奴らに捕まる前に、警察に捕まるのが一番安全なのです。


これは僕の自己満足かもしれません。彼女はこんなことを望んでないかもしれません。それでもいいのです。美月さんには、まだ死んで欲しくないんです。


美月さんは僕のことを恨むでしょか。美月さんなら、僕の考えを分かってくれるでしょか。どちらにしても、もう僕には関係のないことです。


ポケットからタバコとライターを取り出し、慣れない手つきで火をつけます。僕の前では吸っていませんでしたが、美月さんが喫煙者であることは、彼女の体に残る微かな匂いから分かっていました。このタバコはさっき美月さんの荷物から拝借してきたものです。


煙を吸った僕は大きく咳き込みました。やっぱり僕にはタバコの良さは分からないようです。


屋上の柵に手を乗せて、ぼーっと月を眺めていた時、後ろから柔らかい衝撃を感じました。


前にもこんな事があった気がしますが、今回は突進ではなく、僕の背中を包み込むように抱きついてきました。


僕に抱きついてきた誰かさんは、聞き慣れた声で言いました。


「人のものを盗むのは良くないな。新月くん」


僕は薄々気づいていたのかもしれません。僕が美月さんを欺く事など、できるわけないと。


「ずっと人を騙していたくせに、よく言いますね」


そう言って振り返り、彼女を正面から抱きしめました。美月さんは少し驚いた様子でしたが、すぐに僕の背中に手をまわしてくれました。


「君だって私を騙そうとしたでしょ。まあ、私を騙そうなんて、100年早いけどね」


「そうですね。僕は騙される才能はあっても、騙す才能はないみたいです」


「そういう人を一般的に良い人というんだよ」


そんな他愛ない話をしている間も、僕らはずっと抱き合っていました。


「さっき言いそびれちゃったけど、最後の方は詐欺師としての私は死んじゃってたんだよ?」


「どういう事ですか?」


「一緒に音楽を聴いた時とかは、もう君を騙す事なんて忘れてた」


「……そんなの分かってましたよ」


嘘をつきました。本当はまったく気づいていませんでした。嘘は分かっていたのに、本物は分からなかったなんて、実に僕らしいです。


美月さんは「へえーそうなんだ」とわざとらしく感心しました。やっぱり僕は嘘をつくのは向いていないようです。


ようやく互いを抱きしめる手を緩め、美月さんと僕は正面から向き合いました。


「ねえ。新月くん。結婚しようか」


「……今度は結婚詐欺ですか。全然懲りてませんね」


僕がわざとらしくため息をつくと、美月さんはムッとして言い返します。


「今の私は詐欺師じゃないって言ってるでしょ。そもそも新月くんは、私になら騙されてもいいんでしょ?」


「それもそうですね。嘘か本当かなんてどうでもいいです。結婚しましょうか」


「やったー」


美月さんは嬉しそうに両手を上げました。


「じゃあ誓いのキスをしないとね」


「はいはい、分かりましたよ」


真夜中の廃墟の屋上で、月に照らされながら僕たちはキスをしました。なんともロマンチックですね。


この時の僕らには、響き渡るパトカーのサイレンの音など、まったく聞こえませんでした。


さて、このあたりで僕の話はおしまいです。

僕が美しい月に恋をしたというだけの話です。

つまらない話に付き合って頂き、ありがとうございました。

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月が見える日 湯上信也 @ugami

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