錯覚

美月さんは、それからも飽きることなく僕の邪魔をしてきました。ある時、いつものように僕の自殺を止めた後に美月さんは言いました。


「ねえ、新月くん。映画観に行かない?殺人犯が酷い目にあうやつ」


「……邪魔するだけでなく、嫌がらせまでするつもりですか?」


「冗談だよ。もっと良い映画を見に行こう。幸せな人がずっと幸せなままでいる映画」


「そんな映画を見たら僕は舌を噛み切って死にますよ」


「じゃあ口にハンカチでも詰めていこうか」


美月さんはポケットからハンカチを取り出しました。僕は慌てて「冗談ですよ」と言い、不承不承彼女について行きました。あまり逆らうと何をされるか分かりません。


映画は実に退屈でした。容姿の整った男性と同じように美しい女性が様々な困難を乗り越えて結ばれる、という内容です。


美月さんの言う通り、幸せな人がずっと幸せなままでいる映画でした。困難は乗り越えられる前提で物語は進んでいきますからね。現実はそうはいかないから、物語の中でくらいそれで良いとは思いますけど、今の僕には鼻で笑うことしかできません。


美月さんは映画に満足したようです。映画館を出た後、「面白かったね」と僕に言ってきました。僕はあくびをしながら答えます。


「そうですか。僕には面白さが分かりませんでしたよ」


「そう言うと思ったよ。でも分かってないな〜新月くんは。ああいう映画は、人は誰でも幸せになれるっていう錯覚を楽しむ為のものなの」


「僕はその錯覚はもらえませんでした。もらう権利もありませんけど」


「そんな暗いこと言うもんじゃないよ。楽しもうよ、人生を」


「最高の皮肉をありがとうございます」


そんな事を話しながら、その日は帰りました。家に帰ってからはカップラーメンを食べ、風呂に入ってすぐに布団に潜り込みました。明日こそ死んでやろうと意気込んで僕は眠りにつきます。


しかし、何度自殺しようとしても美月さんによって阻まれてしまいます。さらに、映画を観に行った日から、僕は美月さんに色々なところに連れ回されるようになりました。


カフェに連れて行かれたり、遊園地に連れて行かれたり、花火大会なんてのも一緒に行きました。


今日も自殺を阻まれた僕は、美月さんに無理やりイヤフォンを片耳に突っ込まれました。そして美月さんは、もう片方を自分の耳にいれ、音楽を流し始めました。まったく、どこまでも勝手な人だ。


知らない曲を聴かされながらぼーっとしていると、美月さんが口を開きました。


「アーティストとか作家の人って、自殺とか、麻薬とかそういうの多いよね。何でだろう」


「……これは僕の個人的な意見ですが、音楽でも本でも絵でも、美しいものを作れるのは本物の絶望を持っている人だけだからだと思います」


一旦言葉を切って美月さんの方を見ると、真剣に僕の話を聞いていました。目で続きを促してきます。


「そういう人が作ったものを観たり聴いたりして、絶望を持っていると勘違いしている人が、救われた気になるんです。救われるほど落ちてもいないのに。希望っていうのは、そうやって作られるんだと思います」


「希望の本質は錯覚だっていうことか。ひねくれた考え方だけど、私は嫌いじゃないな」


「そうですか」


それからは無言で2人で音楽を聴いていました。ふと、客観的に自分を見た僕はとても驚きました。


女の子と公園のベンチに座って、一緒に音楽を聴いている。さらに、ここ最近は映画を観たり遊園地に行ったりしている。女の子と2人で。


周りから見れば、僕らは付き合っていると思うでしょう。


おいおい、何をしているんだ僕は。美月さんとは似た者同士だとは思うけど、恋人同士になりたいわけではなずだ。しかも、この状況を僕は楽しんでいるのか?犯罪者の僕が、幸福を感じるなんて許されると思っているのか?


そんな自問で頭の中が一杯になりました。明日こそ、絶対に死ぬんだ。そう強く誓いました。


次の日の夜、僕は神社公園の一番大きな木の枝に、ロープを結びつけました。そして、輪を作ります。ハングマンズノットというやつです。丈夫なポリバケツを逆さに置き、そこに乗って輪の中に頭を入れれば準備完了。


心のどこかでは、どうせまた美月さんに止められるんだ、と思っていました。


しかし、今日はなかなか来ません。輪の中から頭を出して周りを見てみますが、美月さんの気配はまったくありません。ようやく諦めたようです。


これでやっと死ねる。バケツを蹴れば、それで終わりだ。さあ、あの子のところに行こう。



……どれくらいの時間が経ったでしょうか。僕の足は一向に動きません。頭の中にはここ数日の景色が浮かんできます。


退屈な映画。苦いだけのコーヒー。観覧車から見下ろした街。空に広がる打ち上げ花火。

初めて聴く音楽。


月に照らされた美しい女性。


僕はロープを片付けてバケツの中に入れ、それを持ってゆっくりと歩き出しました。まったく、あの人は本当に嫌な人だ。実際に手を下さなくても僕の自殺を止めてしまうのだから。


家に着いた時、玄関の鍵が開いているのが、ドアを開けようとしなくても分かりました。鍵穴に乱暴に引っ掻いた跡があったからです。ピッキングされた事が一目で分かります。


両親は2人とも出張で不在です。そうでなくとも滅多に帰ってくることはないですけど。僕はもう父と母の顔さえ上手く思い出せない程です。


では、空き巣に入られたのでしょうか。それは違うでしょう。僕には家の中にいる人が誰か分かっていました。


玄関を開けると、美月さんが笑顔で「おかえり、新月くん」と言ってきました。僕は「ただいま、美月さん」と言いました。

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