美月と新月
誰かに突進されたようです。僕にタックルをかました誰かさんは、ハサミでロープを切ってしまいました。
バランスを崩してバケツから倒れると、僕に覆いかぶさるように誰かさんも倒れてきました。
月明かりに照らされた誰かさんは、長い髪をしていました。真っ直ぐに何かを見ているようで実は何も見ていないような、そんな瞳をしていました。
年は僕より少し上くらいの、儚げで美しい女性です。あるいは、月の光が彼女をそう見せているのかもしれません。いつの世も、月は幻想と美の象徴ですからね。
長い沈黙の後で、彼女は口を開きました。
「何をしてるの。そんな事したら死んじゃうよ?」
「いや、死ぬためにこんな事をしてるんですよ。とりあえず退いてくれませんか?」
僕の言葉を聞いた後、彼女は億劫そうに僕の上から体を退けました。立ち上がって改めて見てみると、やはり儚げな美人という言葉が彼女を表すのに適切だと感じました。
こんな時間に彼女はなぜこの場所にいるのでしょうか。なぜハサミなんて持っているのでしょうか。
疑問は色々ありましたが、そんな事はどうでもいいです。とにかく、ここから離れて早く死んでしまいたかったのです。
立ち去ろうとする僕の腕に細い指が絡んできました。
「助けてあげたのにお礼もないの?あなたからすれば邪魔だったのかもしれないけど」
「分かってるなら、これ以上邪魔しないでください。僕は今死にたくて仕方がないんです」
「そんなに焦ることないよ。あなたまだ高校生でしょ?人生を諦めるには早いんじゃない?」
なにも知らない人の、マニュアル通りの慰め方ですね。こういうのは、ただ人をイラつかせるだけだと分からないのでしょうか。
「人生を諦めるのに、早いも遅いもないですよ。そういう人は、生まれた時からろくな人生を送れないと決まっているんです」
「ろくな人生を送る努力もしてないくせに、よく言うね」
知ったような口を叩くな、と言おうとしましたが、ここで彼女と言い争っても仕方ありません。今日はもう帰って、明日仕切り直そうと思いました。
彼女の手を振り払い、歩いて立ち去る僕の後ろから、透き通った声が聞こえてきました。
「死なせないよ。絶対に。……」
最後の方はとても小さな声で言っていたので聞こえませんでした。
それから、彼女は毎日僕の邪魔をしてきました。僕が死のうとするたびに、彼女はどこからともなく現れるのです。
首を吊ろうすればロープを切られ、飛び降りようとすれば腕を引っ張られ、線路に入ろうとしたら頭を殴って止められます。
睡眠薬を大量に飲もうとした時なんて、家にまで入ってきて止められました。どうやって鍵を開けたのか。そもそも、なぜ僕の家を知っているのか、さっぱり分かりませんでした。流石に僕も声を荒げました。
「いい加減にしてください。なんでそこまで僕の邪魔をするんですか?善意のつもりなら間違ってますよ。僕は3人も殺した殺人犯です。善人になりたいなら、僕のことは放っておいてください」
彼女は僕の言葉など無視して、家の中を見回して言いました。
「両親は共働きなんだっけ?いつも一人で寂しいだろうね」
僕はもう気が狂いそうでした。僕に同情でもしているつもりなのか?だとしたら、見当違いもいいところです。別に僕は人に同情されるほど悲惨な状況にあるわけではありません。周りは正常なのに、僕が異常なだけです。
僕が睨みつけていると、彼女は肩を竦めて喋り始めました。
「そんな怒んないでよ。自殺なんかしたところで痛いだけで何にもならないよ。死んだからって君の罪が消えるわけじゃないし。私も何回かやろうとしたことだけど、本当に無意味で馬鹿げた行為だよ」
そう言って彼女は袖を捲り、手首を見せてきました。そこには切り傷がたくさんついていました。
「似た者同士、仲良くやろうよ」
彼女は微笑みながら言いました。その微笑みは、どこか陰があるような、暗い印象を受けました。
「私、みづきって言うの。美しい月と書いて美月。良い名前でしょ。あなたは?」
「……しんげつ。新しい月と書いて新月」
「それ本名?」
「さあ、どうでしょう?」
どうせこの女は僕の本名など知っているのでしょう。住所まで知っているのですから。白々しい態度が癪に障ります。
「言っておきますけど、僕は自殺を諦めた訳じゃないですから」
「分かってる。何度でも止めてあげるよ、新月くん」
「せいぜい頑張ってください。偽善者さん」
「美月だっていってるでしょ」
彼女は唇を尖らせて言いました。でも、どこか嬉しそうな感じがしました。
勘違いしないで欲しいのですが、僕が美月さんを嫌いなことに変わりはありません。似た者同士という言葉に少しだけ共感しただけです。
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