24 a Little Light
え、何。
枦木が思ったのはまずそれで、次に、
え、何が起こったの。
と思った。
目の前の小野崎が、クラスの優等生ではなく得体の知れない変な女に見える。
じっと見つめてみた。じーっと見つめてみた。いきなり目の前で傘を放り出して、雨に濡れ始めて、なんだか知らないがやたらご満悦の表情で自分を見つめてきている人物のことを。
そして、結論を出す。
小野崎は、得体の知れない変な女だ。
小野崎が深夜のコンビニに現れたときは、まず第一に驚いた。知り合いに会うとは思っていなかったのだ。深夜だし、駅周りと違ってこのあたりは人もあまり住んでいないし。
そして次に、小野崎が自分に話しかけてきていたことにも驚いた。正確に言うなら、肩を叩いてきたことに、だが、いずれにせよ自分に近付いてきたことに驚いた。だって深夜で、ひとりで、傘も差さずにずぶ濡れなのだ。自分が逆の立場だったら、頭のおかしいやつだと思って絶対に話しかけない。
第三には小野崎みたいな真面目なやつが夜中に出歩いていることに驚いたのだが、第四の驚きの前には簡単にかき消されてしまった。
なんで今、傘捨てた?
そしてなぜそんなやり切った顔を?
すべてがわからなかった。小野崎、一体こいつは何者なんだ。何を考えて生きているんだ。
とりあえず、と。
目の前でTシャツ姿のまま無防備にずぶ濡れていく様を見守っているのは忍びない。というか以前の二の舞になるやつだ。
たった今投げ捨てられた傘を拾って、軽く水を切って、
「風邪引くぞ」
どの口で言うんだよ、と自分で呆れてしまうようなことを言いながら、小野崎に差し出す。
小野崎は、
「…………!」
感動のあまり言葉も出ない、みたいな顔をしていた。枦木はそんな顔をしている人間を生まれてこの方初めて見た。そして怖いと思った。何を考えているのかさっぱりわからない。
小野崎が持つようにと差し出した傘だったのに、小野崎は何を考えているのか受け取ろうとしない。かえって枦木の方にも傘の面積が行き渡るように、と柄を押してくるくらいだったので、仕方なく、枦木は小野崎に一歩近寄って、ふたりで傘に入れるようにする。
そして、止まった。状況が。
なんだこの状況は、と枦木は思う。動けなくなってしまった。どうすればいいんだ。ここから何をすればいいんだ。困惑していると、小野崎が、
「枦木くんは、」
と口火を切ったので、いいぞ、と心の中で応援してみると、
「座右の銘とか……あるのかな」
小野崎が何を考えてるのかわからない。
怖い。
素直にそう思った。理解できない。何が見えてるんだ。
「…………ごめん、なんて?」
「いや、座右の銘って何かなと思って」
一応の可能性を考慮して聞き返してみたが、やっぱり座右の銘を聞かれていた。どうしてこの状況下で座右の銘を聞かれるんだろう。何もわからない。
なにもわからないなりに、質問に答えようとする。座右の銘、座右の銘……。
「特にはねーかな……」
何も思いつかなかった。探せばあったかもしれないが、常に覚えてないのに座右の銘なんていうのも変だろうと思って、ありのままを伝える。
ちら、と反応を見た。
嬉しそうだった。
わからない、何も。
「小野崎はそういうのあんの」
「今日からなくすことにしたよ」
意味がわからない。
そのへんに捨てたんだったら拾っておいた方がいいと思う。というか自分の回答に影響されたんじゃないかと思うと気が気ではない。
「……あの、小野崎さ」
「うん」
「熱ある?」
「あると思う」
あるのか、と驚けばいいのか、やっぱりな、と納得すればいいのかさっぱりわからなかった。
何にせよ熱があるというならこんなところでアホなことをやっている場合じゃない。夜中に雨に打たれてたりしたら治るもんも治らないし。
それならこんなとこいないで帰って寝ろ、と言おうとして、口から出ようとした言葉があって、
――こんなところに来てる場合じゃないだろう。
「……枦木くん?」
「え、ああ。何?」
「何ってわけじゃないけど、今、なんかね」
不思議そうに小野崎が覗きこんでくる。
「すごくうれしそうな顔したように見えたから」
顔を触る。冷え切った指先はほとんど感触を伝えてくれなくて、それが本当なのかどうなのかわからない。
「……小野崎、あのさ」
変な考えなんじゃないか、と思う。いやでも、と縋りつくような気持ちがある。
自分はおかしい、と。そう思う。だってさっきまで何もかも失ったような気分になっていたじゃないか。何もかもどうでもいいと思っていたじゃないか。それがなんだ。こんな、わずかな可能性に飛びついて、情けなくはないのか。
情けないに決まってる。
その情けなさが欲しかった。
「変なこと聞くみたいだけど、」
情けなくていい。
全部嘘でできているなんてこととっくに知ってる。
本当は嘘だけじゃなくて、本当と噓が混じり合って存在してるなんてことも、わかってる。
本当のことだけで生きていけないのは知ってる。嘘を嫌いながら、嘘ばかり使って生きていることもわかってる。
だけど、
「人魚って、どんな生き物か知ってるか?」
嘘の先に、自分の望む真実があってほしいという気持ちも。
当然、ここにあるものだった。
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