20 Dive
そういやこれ、恋愛小説なんだったっけ。
失敗したかもな、と思いながら枦木は借りた本を読み進めていた。
ふたりの中学生が主役として登場する。どちらもごくごく普通の中学生で、男子と女子。
ふたりは週に二回を活動日にしている演劇部に入っている。監督や脚本演出、ましてや俳優として活動する気はなくて、一応どこかの部活には所属していなくちゃいけないから、顔を出して、人の指示に従って動くだけの下っ端。
しかしある日、女子の方が難病に罹ってしまい、男子の方がそれを知ってしまう。
ふたりは似た者同士だったのに、たったひとつ、寿命の長短によって決定的に運命を分かたれてしまう。
同情、共感、憧れ、嫉妬。複雑な感情を互いにぶつけ合う中で、ふたりは惹かれ合っていく。
そしてもうすぐ死ぬ彼女は言う。一度でいいから、舞台に立ちたい。主役になってみたい。
彼は言う。僕が君を、最高の物語の主人公にしてみせる。
そしてふたりは、
「枦木くん」
「お? おう」
ハッと目を上げると、小野崎が覗きこんできていた。ちょっとびっくりしたけれど、それを表に出さないように押し込めて、何でもないように枦木は振舞う。
「どした?」
「そろそろ暗くなってきたから帰ろうかな、って」
言われて四阿の外を見る。確かに、薄暗くなり始めていた。
携帯で時間を確認してみると、十七時。いつもならまだまだ明るい時間帯だが、今日は雨の日だから、日の弱まるのが早いらしい。
「わり、集中しちゃってた」
「よかったらその本、貸そうか?」
「え、マジ? いいん?」
「私それ、最近読んだばっかりでしばらくは大丈夫だと思うから」
そっか、と枦木は頷く。そういうことなら、と
「んじゃ、ちょっと貸してもらうわ。ありがとな」
「ううん、全然。よかったらあとで感想聞かせて」
人の聞くの好きなんだ、と小野崎は言った。おう、と答えると、楽しみにしてる、とまで言われた。となるとこれは、相当真剣に考えなきゃならないな、と身が入る。
傘を広げた小野崎に、俺はもう少し読み進んだら帰るわ、と声をかけて、見送る。
実際のところ、あんまり感情移入はできてなかった。できていたのは、最初の、特に何でもない日常を送る普通の高校生だったあたりまで。それ以降は、もうすぐ寿命が尽きると知った悲しみからして共感できなくて、死ぬ間際に何かを残しておきたいという気持ちすら理解できなかった。
「面白いのか、それ」
声のした方を見ると、あぐりが池から身を乗り出して、枦木の方を見ていた。そしてその視線がどこに注がれているかといえば、手にした本だった。
濡らすわけにはいかないな、と思って、本だけを四阿に置き去りにして、枦木は傘を取る。
ぼたぼたと、傘に雨の落ちる音が鳴り響く。重たい雨だった。
「……まあ、面白い」
「お前本とか理解できるのか」
「ぶん殴んぞ」
あぐりはけらけらと笑った。妖怪よりは読める、とよっぽど言い返してやろうかと思ったが、何かしらのコンプレックスが紛れてるとまずいな、と思ってあえて言わなかった。
「というかお前、本当に毎日来るなあ。ちゃんと寝たか?」
「結構寝た。昼過ぎくらいに起きて、んで、ちょっと用事済ませてそのまま来た」
「じゃあお前、私と別れてすぐ寝て、起きてすぐ私に会いに来たわけか」
「いやだから用事」
「何の用事だ」
「頭痛かったから、病院」
びっくりした。
あぐりが一瞬、露骨に悲しそうな顔を見せたから。
「お前、こんなところに来てる場合じゃないだろう、それ」
「出たよそれ。口癖かって」
「真面目に言ってるんだ。少しでも身体に気を遣え。こんな雨の日に外に出るな」
枦木はあぐりの近くに屈み込んで、呆れ顔で、
「あのさ、そういうの込みで出歩いてんだよ」
言うと今度は、悲しそうな顔を隠そうともせず、
「……死ぬのが嫌じゃないのか」
「嫌とかそういう問題じゃねーし。死ぬもんは死ぬんだから仕方ねーだろ」
「仕方ないで済むのか」
「済ませるしか、」
「そんなわけないだろ!」
枦木は目を丸くしたが、同時にあぐりも目を丸くしていた。自分の口から出てきた言葉に、自分自身で驚いているように。
「どうしたお前。なんか最近そんなんばっかだな」
言いながら、どうしたもこうしたもないだろ、と気付く。
妖怪だから、と思って甘えていたが、これまで話をしてきた中で、あぐりの価値観が人間のそれと変わりないことはわかっている。
ということは、
「…………ああ、なんか、悪かったな」
負担に思っているということだ。
もうすぐ死ぬやつの相手なんかしているから。死ぬ間際の人間にしか見えないというから、そういう人間の扱いに慣れているものだと思っていた。期待していた。でも別にそんなことはなくて、普通に困っていたのだ。僕、もうすぐ死ぬんです、なんて言われて、どう扱っていいかわからずに戸惑っていたのだ。
その上さっきの本の登場人物みたいに、生きるとか死ぬとか、そういうことに真剣に向き合ってない俺みたいなのが相手だから、余計に。
気付けてよかったと。素直にそう思った。
一方的に期待をぶつけることほどつらいことはないから。
残りの六週間の、うち三週間くらい。
動けるのは、残り一週間くらい。
「今まで付き合ってくれて、ありがとな」
大丈夫、と自分に言い聞かせた。
ちょっと悲しいだけだ。
「ま、」
声。に、振り向かなかったら、足のあたりを、腿のあたりを引っ張られる感触があった。
あ、と思ったときにはもう遅い。引っ張る力は強くて、最近日に日に色の変わっていく自分の身体のイメージが踏み止まる力を弱めて、
ぐらり、と。
もう止まらなかった。
「あ、」
ばっしゃん。
水に飛び込む、というより打ち付けられるようにして、枦木は池に引きずり込まれた。
そんな状況でも、この池って足つくんかな、とか、そんなことを冷静に考えている自分が最初に現れてくるものだから、少しだけ、嫌になった。
もがくでもなく、全身の力を抜いてとりあえず浮こうとしてみると、その効果が出る前に強い力で引っ張られた。そして、ごえっ、と肺から空気が潰れて出てくるような勢いで、岸に叩きつけられる。
淵に手をかけて、身体を支えて、自分の状態を確認すると、あぐりが寄り添っていた。
「ち、違うっ。そうじゃなくて、こんな、こんな……」
いきなり池に叩きこまれた自分よりも向こうの方が動揺しているのは明らかで、かえって枦木は、もっと冷静になっていく。
そのまま池から上がる。水を吸った服があまりにも重たい。淵に立っていくらか服を絞っても、それは変わらない。
なんて言い訳をしよう、と考える。傘を盗まれてずぶ濡れた。いや、そうしたら鞄も濡れていなくちゃおかしいし、小野崎から借りた本まで濡らしてしまう。それはいけない。
厳しいよな、と思う。視線を下げると、あぐりが自分を見上げている。瞳に水を溜めて、唇を震わせて、枦木を見ていた。
「違う、違う……」
「いいよ、別に」
向こうが悲しそうな顔をしているから、反射的に枦木は明るい表情を作って、
「雨なんだからそりゃ濡れるだろ」
へーきだよ、と見せつけるように軽く言う。
それで、どんな風に言えばいいかな、と迷った挙句、
「わり、やっぱ寒いから俺、帰るな」
心配してくれてありがとな。
言い残して、背を向ける。
雨はますます強くなる。
何も聞こえなかった。
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