19 一石二鳥じゃん

 医者に険しい顔をされていると自分の気分も連動して段々厳しくなってくる。

 そういうことを、枦木はこの年で知ってしまった。


「先生……、僕は助かるんでしょうか」

「茶化すな」


 茶化したら怒られた。そりゃそうだ、と思った。


 薬だけ貰ってさっさと病院を出ようか、と思っていたが、よくよく考えたら頭が痛いのも見てもらえれば一石二鳥じゃん、と気が付いた。


 というわけで、北川にその旨伝えたわけなのだが、深刻な顔で診察が開始されてしまってびっくりした。そりゃそうか、とも思ったが。死にかけの人間の「頭痛い」には、通常の人との比にならない重みがある。


「お前、最近ほかに体調不良の傾向はないのか」


 難しい顔で北川は言った。


 一応考えてみたが、何も浮かばなかった。普通に雨の日だからとか、昨日徹夜したからとか、そういうのが理由なんだと思っていた。なんで俺は重病人なのに徹夜してんだ、という疑問が湧いたが、重病人だから徹夜してんだ、と自己解決してしまった。

 ありのまま、


「ないけど」

「そうか」


 何よりだ、と北川は言った。

 言っただけだった。


「え、何。なんかあんの」

「いや、特にはない。自覚症状がないなら何よりだ、というだけの話だ」

「いやさっきめっちゃ顔険しかったじゃん。何? 何隠されてる?」

「それは単に進行状況を見ていただけだ」

「何、自覚症状が出てなきゃおかしいほど進行してるとかそういうやつ?」

「い……」


 そのまま北川は黙った。

 明らかに、何か言おうとして、そのまま黙った。

 普段ズバズバ容赦のないことを言い放つ北川が、黙った。


「いっそ一思いに言ってくれよ」

「いや……、ここまでズタズタになっても自覚症状なく過ごせるのかと感心した」

「おい」

「珍しいケースなんだ」


 いや言い方、と枦木は呆れ顔で北川を見つめる。しかし一度ひっこめた言葉を引き出したのは自分なので、口には出せないでいる。


「これなら下手をすると、病院に来なければ死ぬまで気付かなかったかもしれんな。いや、腐臭がしてくればわかるか」


 言われて、枦木は服の襟を引っ張って自分の腹のあたりを見てみる。前よりも、変色の度合いは濃くなってきた。そろそろ日焼けした肌とは言い張れなくなってきそうな、そんな濁った色に変わり始めている。


「何にせよ、長生きしたければ養生することだ」


 あとは特に、何も聞かれなかった。

 親に伝えたかとか、最近どう過ごしてるんだとか、そういうことは。


 かえって楽かもな、なんて思いながら、枦木は病院を後にする。



*



 雨の日までここに来てしまうあたりがなんとも。

 というか、よっぽどだよな。


 林道はいつにも増して歩きづらい。土の部分は当然ぬかるんでいるし、舗装されている部分も溝やらへこみやらをそのまま放置しているものだから、どこを歩いても水たまりを踏みながら行かなければならない。


 まあ仕方ない、雨っていうのはそんなもんだ、なんて悟ったようなことを考えつつ池まで辿り着けば、想定していなかった先客がそこにいた。


「よ」

「うきゃあっ!?」


 昨日のリプレイ再生かと思った。


 よほど本の内容に集中していたのか、気遣ってわざわざ真正面に回ってから近づいてきた枦木に、小野崎はめちゃくちゃ驚いた。持っていた本すら取り落としかけて、


「わ、わ、わ、」

「よっ」


 すかさず枦木がそれをキャッチする。はいよ、と手渡すときに見ればそれは図書館のバーコードが張りついた本で、キャッチするときページに折り目をつけずに済んでよかった、まして完全に取り落として水浸しにしないで済んでよかった、と小野崎と一緒に胸を撫で下ろす。


「あ、ありがと……。今日もお散歩?」

「そんなとこ。小野崎は……、願い事じゃなさそうだな」

「うん、今日はね。雨の日になるとここ、いつも以上に静かになって気持ちいいから」

「へー」

「褒めろ!」


 うるせえ野次が飛んできた。


 ちら、と横目で池の方を見る。予想通りそこにはあぐりがいる。

 褒めろって何をだよ、と考えて、というか観察して、小野崎が今日は髪を下ろして、眼鏡も外していることがすぐ目につく。

 そういうこと、と納得して、


「やっぱ小野崎、そっちのが似合うな」

「……ありがと」


 言って、はにかんだ。


 とりあえず、それで会話は一段落。さてどうするか、と枦木は考える。


 小野崎がここにいる以上、あぐりと会話することはできない。だったらここは普通に通り過ぎていって、後からもう一度、小野崎がいなくなったころを見計らってもう一度ここに来るという流れが考えられるのだが、この雨だと、一度帰ってもう一度、というのは億劫になる。


 それに、家を出てくるときに、友達と勉強してくるなんてことを言ってしまったのだ。あまりに早く帰宅しすぎると怪しい。そしてここのほかに行く場所といえば、図書館くらいしかない。


 だったら、ここに居座ってみようか。しかし居座るだけの理由もないと、向こうから助け舟がやってくる。


「あの、枦木くん」


 よければ、と小野崎がバッグの中から本を一冊、取って差し出してきた。受け取って表紙を見てみれば、知っている本だった。


「前に言ってた、あの、」

「難病の中学生のやつ?」


 うん、と小野崎は頷く。本を裏返して見ると、図書館のバーコードが貼っていなかったので、


「買ったん?」

「あはは……、何回も借りちゃってるから、そっちの方がいいかなと思って。よかったらその、どうかなと思って」

「いいん? じゃあちょっと借りるわ」


 ちょうどいい口実ができた。枦木は小野崎の隣に座る。普段はあまり本など読まないから、小野崎がここを立ち去るまでの時間くらいは、この一冊で稼げるに違いない。


 それに、実際ちょっと気になっていたのだ。自分と同じような境遇に陥った人間がどういう風に振舞うのか。もちろん、これは実話じゃないから、どういう風に振舞うと思われているのか、なんだけれど。


 ページをめくり始める。

 それからしばらく、時間を忘れた。

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