13 虫歯とかになんねえの

 ぽかん、と人魚が呆気に取られている。


 普通に生きていてそんな場面に出くわすことがあるとは、まったくもって枦木は予想していなかった。


 黒いTシャツを着たまま池に浸かったあぐりは、枦木を見上げながら、こう言った。


「ほんとにまた来たのか」


 ほんとにまた来たのである。




 言ってしまうと、本当に暇だった。

 だってやることがないのだ。


 部屋に居ても「死ぬのか……」という気分で天井を見上げるばかりで、ゲームをしていてもやたらに焦るし、勉強なんかとてもする気が起きないし、友達誘って遊びに行くにしても、「実はあと一ヶ月で死にま~す!」なんて親にすら言ってないことを気軽に打ち明けられるわけもないから、隠し事を抱えたままで触れ合うことになって、何かしらの罪悪感で落ち着かなくなるだろうし。


 だから、もうすぐ自分が死ぬことをきっちり知っている人魚相手に現実逃避を試みるのも、仕方のないことなのだと。

 とりあえずのところ、枦木は自分自身に言い聞かせている。


「一応言っとくと、」


 なんだこいつ、という表情であぐりは枦木を見上げながら、


「池の水くらいしか出んぞ」

「いや飲まねーよ」

「何しに来たんだお前は」

「お前がまた来いっつったんだろ」

「言ったが……」


 一瞬、あぐりは口元をもんにょりと、言いづらそうにして、


「お前、死ぬ前にこんなしょうもないとこに来てていいのか」


 至極もっともなことを言った。妖怪に正論を吐かれてしまった。


 いいのか、と聞かれるとたぶんよくはない。よくはないが、いま思いついている選択肢の中でこれよりいいものもないように感じていた。

 ので、


「うっせ」


 とだけ言って、枦木は池の淵に腰を下ろす。土が湿っていて、尻のあたりが気持ち悪かったが、そのまま落ち着けてしまう。お前がいいならそれでいいが、というあぐりの言葉に、うむ、と偉そうに頷いてみる。


「ただ、何もないぞ。見てのとおり」

「だと思って持ってきたよ」


 枦木は用意周到にも、また袋を片手にぶら下げてきていた。

 ビニールをがさつかせては、中身を取り出していく。コンビニで買ったお菓子、お菓子、お菓子、アイス、アイス。他にも押し入れを漁ったら出てきたオセロとトランプなんかを持ってきていたが、とりあえずのところこれは出さないでおく。アイスだけはさっさと食べにゃならん、と思い、包装を開けて、


「飯とか食えんの」

「え? ああ、まあ食べようと思えば食べられんこともないが……」

「んじゃはい」


 枦木は片一方をあぐりに渡す。そして自分はもう片方の包装を開ける。


 あぐりは棒のついたアイスを、どうしたらいいのかわからない、と言いたげにしばらく見つめていたが、枦木がモナカのアイスをもっそもっそ食べているのを見て、意を決したようにぱくっと食いついた。


 そしてものすごい驚きの表情をした。


「なんかこれ、あれだな」

「どれだよ」

「すごいな」


 幼稚園児みてえな語彙力だな、と枦木は思った。

 そして続けて、こいつ普段飯とか食ってんのかな、と疑問に思った。妖怪といえば人でも食ってるようなイメージだが、こんな場所に毎日毎日食われる用の人間が訪れるとは思えない。人食ってますか?とも聞けないので想像だけする。池の中にいる生き物も限られてるだろうから、ずっとここで生きているということは、たぶん食事が要らないんだろう。さっきの、食べようと思えば、という発言は、食べようとしなければ食べなくても平気、というかそれが普通、ということだと予想した。


 予想している間に、あぐりは棒アイスをものすごい速度で食べ終えてしまう。それから枦木のモナカをじっと見つめてきたので、半分に折って残りを渡してやると、これもまたものすごい勢いで平らげてしまう。そして次はほかの菓子袋を爛々と見つめる。きゅうりを欲しがる河童ってこんな感じかな、と思い、なんでこんなんにビビってたんだ、とアホらしくなる。


 チョコ菓子とスナック菓子をパーティ開けして池の淵に置く。それも恐る恐るつまみ始める姿を見ながら、


「お前、虫歯とかになんねえの」


 と、心配すると、


「なるわけないだろ、不老不死だぞ」


 と返ってくる。

 実際にはもっと口の中に詰め込んだもののせいでふにゃふにゃした発音だったが、確かにそんな意味のことを言い、枦木はへえ、と頷く。やっぱり妖怪ってそんなもんなんだ、と思いつつ、


「俺もならねえよ、もうすぐ死ぬから」


 あぐりはものすごく微妙な顔で枦木を見た。一方で枦木はしたり顔をしていた。


 言ってやった、と思った。


 言いたくて仕方がなかったのだ。

 自分がもうすぐ死ぬということにかこつけて、相手が反応に困るようなことを言ってみたかったのだ。いや、実際には相手が困らなくてもいい。とにかく、せっかくこんな状況になったのだから、それにまつわるしょうもない発言をしまくりたかったのだ。


 あぐりはもにょもにょと、


「……まあ、そうだな。悪いことばかりでもないかもな」

「おう」


 上機嫌になった枦木は残ったもうひとつの袋も開ける。露骨にあぐりの食事速度は下がっていたが、枦木は特にそれを気にするでもなく、かえって楽しそうに貪り食い始めた。


「ほかになんか食いたいものあったら、また買ってくるけど」


 上機嫌のままそんなことを言う。やや遠慮がちになったあぐりは、しかしそれでもその言葉に食いついて、


「甘いのがいい」


 と、即答する。枦木はポケットから携帯を取り出して、かちかちと操作して、


「どんなんがいい?」


 とあぐりに聞いた。

 画面にはコンビニ菓子の紹介ページが映っている。


 あぐりはそれを食い入るように、真剣勝負みたいな顔をして覗き込む。枦木が適当に上やら下やら画面を動かしてやれば、「もうちょい下」「ちょっと止めろ」等と言い、それからこれが欲しいだのあれが欲しいだの言い募る。そしてひとしきり欲望を吐露した後になって、あぐりは急に、


「お前、こんなに買えるのか」


 と不安そうに聞いた。


 枦木は深く考えるでもなく、別に、と頷く。これがその手の専門の店の物ならともかく、所詮はコンビニ菓子だ。予算は中学生の懐程度だが、どうせもうすぐ使い道もなくなるし、貯金大放出キャンペーン開催だ。


 するとあぐりは、どこか遠い目をして、そうか、と、


「時代は変わったな」

「へえ」

「……お前、もう少し興味ありげに聞け」


 んなこと言われても、と枦木は思う。大人の言う昔はああだったこうだった今の子どもは恵まれてる、みたいな話が面白かったことなんて記憶にある限り一度もないのだ。


 案の定あぐりの話は昔は甘いものひとつ食べるにも大変な苦労が必要だったのだ、という方向に移りゆき、枦木は「でも俺死ぬけど」「庶民の生活が上向いてようがなんだろうが俺は死ぬけど」と返すことで封殺した。


 あぐりは苦々しい顔で、


「……お前、性格悪いって言われるだろ」

「生まれて初めて言われたわ」


 そんでたぶん人生最後、と付け足そうとして、さすがにしつこいかと思ってやめた。


 そして、それにしてもどうしてこいつは昔の庶民の食生活に対する理解があるのだろう、と不思議になる。本人(魚)は食べ物を必要としないらしいのに。昔はこのあたりにも人が住んでいて、生活の様子を見ていたとかなのだろうか。それとも、飢え死にしかけている人間の話を聞いたことがあるとか、そういうことなのだろうか。こうして話していて妖怪なのに随分人間に慣れたやつだな、と感じるし、案外ない話でもないかもな、と枦木は思う。


 何かしら深刻な過去があったりしたらと想像したら急に罪悪感が湧いてきたので、悪かったよ、と呟くように謝る。あぐりは急に殊勝になった枦木に、きょとん、と目を丸くした。


 それからは、残りの菓子を貪ったり、どうでもいいような会話ばかりをして過ごした。


 何度か枦木は、あぐりに対して、というより人魚に対して聞きたいことを思いついたりしたが、相手が嫌に思うかもしれない、という理由でその大半を心の中で疑問に思うだけに留めた。

 反対に、あぐりが枦木に対して聞きたいことがあったかどうかというのは定かではないが、少なくとも枦木が嫌がるような質問は、ほとんどしてこなかった。


 踏み込んだ会話こそなかったが、どうもお互いがお互いにその時間を気に入ったらしく。


 晩飯の時間だから帰るわ、という言葉と。

 暇ならまた来い、という言葉が。


 それから二週間くらい、毎日交わされた。

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