11 でも怖かった

 でも怖かった。

 ので、午前中は図書館に行って、枦木は調べ物をした。

 わからないことがあったらとりあえず調べてから取り組んでみる。義務教育での調べ物学習の成果である。


 それなりの結果は出るだろうな、と見込んでいた。

 小野崎はあの池の名前、人魚池を当然のように知っていた。知っているということは何かに書いてありそうだということで、インターネットで調べても出てこないのだったら本で調べてみればいい。


 図書館に備え付けてあるパソコンで「人魚池」と検索してみる。完全一致の結果はゼロ件。「人魚」で調べてみると、三八八と数字づけられたあたりに複数冊あるのがわかる。実際に足を運んでちょっと中身をめくってみると、それはこの町の人魚に関するものではなく、日本や世界の人魚に関する伝説をまとめた本だった。

 あまり深くは読み込まなかったが、そのあたりにある本のタイトルにやたらと「妖怪」という言葉が入っているのが面白く感じた。妖怪。人魚と聞けば枦木の頭の中に浮かんでくるのは王子様と声と足と泡、といったものばかりだったけれど、なるほど妖怪。確かに昨日のあの怪しい雰囲気は、そういうお伽噺なんかよりも妖怪として見た方がしっくりくる。


 ここじゃないらしいな、とその通路を出たら、すぐに見つかった。

 郷土史のコーナー。


 そういやこんなのあったな、と枦木は思い出す。確か小学校でも郷土史の時間があった気がする。そして校外学習で図書館に来た気がする。何の授業でやったのかはもうすっかり記憶の靄の向こうに隠れてしまったが、とりあえず、なんとなく覚えてはいる。


 一冊二冊、歴史、昔話、そういうものを手に取ってみたら、すぐに見つかった。


 人魚池。

 シンプルにそう題されていた。

 そして、こんな風に語られてる。


 ある旅の僧侶が村に訪れたときのこと。

 一日中歩いているうちに夜もすっかり更けてしまった。


 このあたりで今日は休むとしようか。林の中で腰を落ち着けたところで、不意に、傍にあった池のあたりでちかりと何かが光ったのが見えた。


 はて、一体なんだろう。僧侶は池に近付いて確かめてみた。

 すると、そこに美しい女がひとり、ぼうっと青白く水の中に立っているのがわかった。


 怪しい気配に僧侶は、さてはここに身を投げて死んだ女の霊かしらん、と考えた。

 哀れな魂であるなら弔ってやらねばならん、と僧侶はありがたい経文を親身になって唱えてやった。


 ところが、その女の一向に成仏する気配がない。

 怪訝に思った僧侶が近づいてみれば、女の下半身はまるっきり魚のものだった。


 僧侶があっけにとられていると、その魚の女が「なんぞ望みはないか」と言う。

 「あったとしたらなんだと言うのだ」と僧侶が聞くと、女は「あるなら叶えてやろう」と言う。


 僧侶はこの誘惑をきっぱりと跳ねのけて「お前のような怪しいものに叶えてもらう願いなどあるものか」と答えた。

 するとその女は大人しく池の底へと帰っていった。


 僧侶はその池の近くで眠るのも気味悪く思って、近くの家を探して泊めてもらうことにした。

 そこからいちばん近くにあったのは、村の長者の屋敷だった。食事をしながら僧侶は、つい先ほどの出来事を長者に話した。


 すると長者は「願いを叶えてくれるというなら、自分も叶えてもらいたいものだ」と言い、夜更けにもかかわらず、その池に向かった。

 しかし、いくら呼びかけても女は姿を見せなかった。


 「どうもからかわれたらしい。とんでもない僧侶もいたものだなあ」と呆れて家に戻ると、僧侶が倒れて死んでいて、長者はすっかり仰天してしまったという。


 枦木は本を閉じた。

 そして棚に戻した。


 しばらくじっと、その背表紙のあたりをぼんやりと見つめ。

 ふーっ、と清々しい溜息を吐いて、こう言った。


「こっちでも死ぬのか……」


 いっそ笑いたいくらいの気持ちになって、実際に笑った。



*



 死ぬより悪いことはないが、死ぬとわかればあとはどうとでもよくなる。そういう側面も間違いなくあった。

 だから、もういっそ吹っ切れた気持ちで枦木は例の池に足を運んでいた。コンビニのレジ袋を片手に。


 ええいままよ、と突っ込みたい気持ちもあったが、二度敗走した記憶は生々しく残っている。三度目の正直になるか仏の顔も三度までになるか、ここが正念場だと思い、慎重な気持ちで周辺を探ってみる。


 林道。

 携帯のマップで確認してみたが、小野崎に連れられてきた以外の道があるらしいことがわかった。反対側からも林の中に通じる道がある。試しにその道を試してみると、そっちの方が道路の舗装がしっかりしていて通りやすかった。少なくとも砂利やら何やらを気にして途中で自転車を置いていかなくちゃならないようなことはない。


 ひょっとしてこっちが正面の道なのかもな、と自転車をゆっくり漕いでいく。四阿の姿がちらと見えれば、そろそろ危ないな、と林道の脇に逸れて自転車を止める。降りて、木々の影に隠れるようにして近付いていくことにした。


 視力は悪い方ではない。

 近づいていくうちに、どうも女の姿は池にないらしいことがわかった。


 いない方がかえって警戒の度合いは増す。

 いっそ間抜け面で日向ぼっこでもしていてくれればよかったのだ。そうすればこっちだってもうちょっと気が抜けただろうに。モンスターパニックはモンスターの姿が見えるまでが一番怖いのだ。


 どうしようか、悩む。

 このまま相手が姿を見せるまでここで張ってみようか。それともいきなり、やいやいやいやい、と突っ込んでみようか。陽の当らない林道は、風が抜けて相当に涼しくて、粘り続けるという選択を普通に取れてしまうので悩みものだった。


 悩んでいると、ふと視界の端に何かを捉えた。

 びくり、と身体が反応したのが馬鹿らしくなる。なんのことはない。それは単なる古びた看板だった。


 いつごろ立てられたのだろう。

 朽ちかけた木製のそれはどう見たって古いようにも見えるし、実際には大した材料を使っていないだけでそれほど年月自体は経ていないようにも見える。


 近寄ってみると、表面に書かれている文字はかすれ気味であるものの、何とか読めた。


『 人魚池

 

 萬物御利益アリ 目出度シ 』


 なんて怪しさだ。


 さっき図書館で読んだ人が死ぬ話よりも、こっちのポジティブな話の方が一層恐怖心を煽ってくるのは、作成された年月が近そうな分、かえってリアルに感じてしまうからなのだろうか。

 万物ご利益ありってなんだよ、と枦木は困惑する。温泉の効能だってこんなに投げやりじゃない。何でも叶えてくれるって漫画とかだったら絶対裏があるやつだろそれ、と怯える。めでたし、とかいうメモ書きみたいな感想文が異常に胡散臭い。これ書いたやつ絶対怪しい薬とか売ってただろうな、と偏見に満ち溢れた想像が膨らんでいく。イモリの尻尾の踊り食いとかしてたに違いない。


 まずい、心が折れる。

 折れる前に視線を外した。


 そうしたら目が合った。

 ばっちり。


 池の淵に両腕を枕にしてうつ伏せで寝そべるように、赤い髪の女がこちらをじっと見ていた。


 ばっちり目が合った。

 五秒。


 女の手が動く。


「よ」


 と。

 挨拶された。

 ので、


「……よ、よう」


 と。

 枦木も挨拶を返した。


 義務教育の成果だった。

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