07 Thinking......
ちょっと落ち着くか、と。
ようやくそう思える余裕が出てきた。
夜のこと。
いつもどおり腹が膨れるほど大量の夕飯を食べて、クーラーを点けた部屋に戻って、それでようやく一息つけた。
なんだか色々なことがありすぎたような気がする。いや、気がするだけじゃなくて実際にあった。間違いない。そう、枦木は思う。
ベッドに身体を投げ出す。ぼふっ、と夏用の薄いシーツだけでは衝撃を吸収しきれず、身体に反発してくる力がある。それが疲れた身体をほぐしてくれたように感じて、心地よかった。
実際のところ、疲れてるのは身体の方じゃなくて精神の方だけど。
うつ伏せに顔をベッドに押し付けながら、右の手で携帯を操作する。ここ三日の間に何があった? 枦木は思い出しながら、誰に見せるわけでもないメモを作成してみる。
・ 余命宣告(一ヶ月ちょっと)
・ 小野崎と初めて喋った
・ 変態
・ 変態=人魚疑惑
・ ラーメン(美味かった)
インパクトだけなら上から三つ目がいちばん強かった。
が、どう考えても重要度で言ったら一番上のが一番だよなあ、と思う。
死ぬのか、あと一ヶ月で。
うつ伏せのまま少し目を閉じると、そのまま眠りに落ちてしまいそうで、まだ早い、と寝返りを打つ。天井から降り注ぐ蛍光灯の光が眩くて、少しだけ目が覚める。
「死ぬのかー」
声に出すと、思った以上に間が抜けて聞こえた。
死ぬらしい。
夏の間に、蝉みたいな速度で。
やっぱり何度考えても、実感は湧かなかった。
自分はおかしいのだろうか。普通、こんなに短い余命を宣告された人間ってのはどんなふうに反応するものなんだろうか。いやもっと絞ってみて、たとえば百二十歳のじーさんばーさんだったらさすがに色々納得するところもあるかもしれないが、うら若き中学生の場合はどうなんだろう。
そう思って、携帯の検索欄に『中学生 余命 宣告』と入力する。
「アホか」
そんで消す。
「あー」
右に寝返りを打って、左に寝返りを打って、元の位置に戻る。また天井が見える。
「なんもやる気しねえ」
いっそこのまま寝ちまおうか、と思う。
いやいやさすがにそれはダメだろ、と引き留める声がある。
この調子でいったら普通に寿命の日までをだらだら寝て食ってそれで終わりにしてしまう。
それの何が悪いのかはいまいちわからなかったが、それの何が悪いのかがいまいちわからないのはまずいだろう、という思いだけはある。
「なんかすっか」
むくり、と起き上がる。
そんで何すっか、と考えて、
「何すっか考えっか」
とりあえず最近あったことをメモした画面を見つめて、
・ 親に余命の話を伝える(無理そう)
・ 明日図書館でパーカー受け取る
・
「んー」
打ち込んでみたはいいものの、それ以上のことが思い浮かばない。
やらなくちゃいけないことだけ書いたらもう手が止まるのかよ、と自分で自分に呆れる。もうすぐ死ぬのもそうだが、それ以前に今は夏休みなのに。中学最後の夏休みだというのに、やりたいことのひとつも浮かばないのか。
美味いもんを食う。
毎日やってるだろそれは。
旅行に行く。
親に言えば好きなところに行けるだろうけど、そもそも別に旅行自体がそこまで好きじゃない。
ゲームして遊ぶ。
確かに楽しいには違いないが、それでいいのか。
勉強する。
無意味。
手が止まる。
「……俺の人生、寂しすぎんだろ」
言葉にしたら、なおさら寂しく感じてきた。
誰かに打ち明けたいような気持ちもある。けれどその相手も思い浮かばない。両親には言いづらいし、友人もいないわけじゃないが、そんなことまで話せるような深い関係だとは思わない。まして小野崎みたいなほとんど話したことのない相手には論外だし、すべてを知ってる北川には……。どうだろう、たぶん言えば色々と相談に乗ってくれそうな気もするが、あんまり負担をかけすぎても申し訳がない。
携帯の画面が暗くなったので、ちょっと触って明るくする。その勢いで、「死ぬ前 やりたいこと」と検索欄に入力する。今度は、実際にサーチまでした。
「飯ー、旅行ー、……なんだこりゃ、ビジネス?」
死ぬまでに起業して……、なんて文字に首を傾げる。死ぬ間際になってこんなことやりたいと思うもんかよ。けれど少しスクロールしてみれば何のことはない。そこに書いてあるのは、死ぬ間際にやりたことなんかじゃなくて、死ぬときに後悔しなくて済むように僕はこんなことをやります、という所信表明のページだった。
そういうんじゃねえんだよな、と枦木は別のページを読み漁る。が、検索に引っかかるのは似たようなページばかりで、十もページを踏むころには、もうすっかりやる気をなくしてしまう。
「あ、」
あれなんて言ったっけ、と思いついて、記憶を探る。昨日自転車の前籠に突っ込んだ本。小野崎が三回だか四回だか読んだって言ってたやつ。
「お、」
断片的なワードを入れただけで通販ページが出てきた。それであらすじを確認する。何かヒントにならないかな、と思って、
恋
の字が目に入った。
史上最高に見たくなかった言葉だ、と枦木は思う。
なんで死に際になってまでそんなことをせにゃならんのだ。
画面を閉じる。寝返りを打って、携帯を握った手をベッドの横にだらん、と垂らす。
考えても調べてもろくなことなかったし、もういいか、と。
瞼を閉じる。
*
とん、と。
生温かい感触がして、びくっ、と震えるように枦木は目覚める。
「わっ!」
いつの間にか寝ていたらしい、とはすぐにわかったものの、すぐに驚く羽目にもなった。
目の前には寝間着姿になった母が、覗き込むようにして立っていた。咄嗟に枦木は身体の向きを変えて起き上がり、壁に背中をつけるようにして向き合う。何かを言う前に、向こうが口を開いた。
「ごめんね、起こしちゃって。もう十時過ぎてるから、お風呂だけでもと思って……」
言われて時計を見る。確かにもう、二十三時を間近にしている。
だいぶ寝ていたらしい、と自分でもわかった。疲れていたからか目覚めはしなかったが、身体のだるさが不適切な眠り方を咎めるかのように重く現れている。
「すんません、寝てました」
そりゃ誰が見てもわかるだろ、というようなことを枦木は言った。
「すぐ入るんで」
「ううん、そんなに急がなくて大丈夫だけど、私たちもう寝ちゃうから。その前に声だけと思って」
「あ、はい。すんません。あざます」
母は一瞬だけ微妙な表情を見せたあと、「じゃあ、おやすみ」と言って部屋から出て行った。枦木にはその微妙な表情の意味がわかったが、わかっただけに留めた。
特にこれからやることも思い浮かばない。
それなら迷うことはない。さっとシャワーを浴びて、とっとと寝てしまおうと、クローゼットから下着を取り出しながら、それでも何かが引っかかる。なんだろう。さっきあの人の顔を見たときに何かが気にかかった。ええと、眠る前は何を考えてたっけ。
「あ」
遺書。
書かなきゃ。
でも何を?
幸せでしたとか?
「遺書 テンプレ」で検索する。よかった、ちゃんと何件か引っかかる。
どんな紙に書けばいいんだ。さすがに数学のノートとかに書いたらまずいよな。ていうか何で書けばいいんだ? ボールペン? 持ってたっけ。筆箱には入ってないはずだからそこのペン立てに……、ダメか。インクが出ない。
幸い、ふたりはもう寝るらしい。
自転車は返ってきている。
行くか、コンビニ。
思い立ったら早かった。
もしかしたらそういうことがしたかったのかも、と思うくらいに。
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