scene#002 「お仕事の依頼」

 チャイムが鳴り、担任の大上おおかみつくよ(アラサー)が気怠そうに出席簿を抱え、教室に入ってくる。教卓の前に立つと、教室全体を見まわし何か納得したように頷いた。


「えぇーと、遅刻は神郷しんごうだけか。じゃ、しゅーりょー」


 それだけ言って、数秒教卓の前に立っただけで、大上は教室から出て行ってしまう。クラスではそのありえない状況に混乱するわけでもなく、普段通りホームルームが終了した。

 一時間目は流石に寝よう。そう思い、机に伏せていると再び大上の声が聞こえる。顔を上げず、目だけでその様子を確認する。


「藤沢、ちょっとこい」


 ドアから顔だけ出し、こっちを見つめている。めんどくさいので、無視してこのまま寝ることにした。


「――ふごっ!」


 突然頭に衝撃が走り、その反動で顔を上げる。すると血管に筋を立て、右手に出席簿をもった大上がこちらを見下していた。


「先生、出席簿はそうやって使うものじゃないんですよ」

「そうかそうか、私は怠惰な生徒を指導するために使うものだと思っていたんだがな、どうせならお前のとこだけ欠席にしてやったっていいんだぞ?」

「脅迫だ……」

「じゃあついてこい、話がある」


 そういって、大上の後をついて廊下に出る。


「話って何ですか?」

「大体わかってるだろう。お前の親御さんのことだよ」

「あぁ……」


 実は、一人暮らしをするのに俺は直接許可をもらったわけではない。

 高校受験と共に勝手に家を出てしまっただけだ。当然アパートは借りることができなかったので、その名義は大上にしてもらっているというわけだ。

 それもこれも、全て事情があってのことなのだが。


「なんですか、今更家に帰って来いとでも?」

「それなんだがな、どうやらお前は高校生の間は自由にしてやってもいいみたいだぞ」

「え、マジで?」

「おう、マジだ。理由はよくわからんが、お前の父上からそう言われたよ」


 それは俺にとって、かなりの幸運だった。

 もしかしたら、今後の人生に大きく関わるかも、それは言い過ぎか。でも今後の学生生活には大きく関わってくる。


「じゃ、用件は伝えたからな。後、今月分の家賃は早めに渡してくれよ」


 そう言って大上は職員室へと戻っていった。


「ふふふ、やったぜこれで俺は自由だ」


 これまで見えなくとも縛られていた鎖、それが一時的にでもなくなったのは相当喜ばしい限りだ。

 小さくスキップで教室に戻るとすぐに惰眠をとるために、机に伏せた。




「お前また、桃先輩の弁当かよ。ほんとうらやましいやつだなぁ」


 昼休み、飛翔の机で佐東と一緒に昼食をとる。弁当を持ってきているときは、大抵佐東と一緒にこうして一緒に食べている。

 弁当を開けてみると、から揚げに煮物、それに白米。味の濃い味付けがあるものばかりで、俺の好みを熟知している。流石桃、何年も幼馴染をやっているわけではない。


「ひとつくれよー」


 佐東はというと購買部で買ってきた総菜パンを手にしている。そちらもおいしそうだが、桃の腕には勝てないだろう。


「――おっと」


 そんないつも通りのランチを楽しんでいる中、ポケットのスマホがバイブする。三秒以上震えているため、どうやら電話らしい。


「ちょっと、ごめん」

「おう」


 飛翔は席を外し、廊下に向かう。その途中教室にちょうど今入って来た、金髪でワイシャツに胸元を大胆に露出させた女子ととすれ違った。

 確か彼女の名前は――神郷しんごう弥里みさとだったか。

 学園一の問題児で、悪い噂の絶えない女子。裏では「ヤリマンギャル」なんて言われている。

 まぁどちらにしろ、華崎とは違うタイプで関係のない人種だ。関わることは絶対にないだろう。すれ違ったとき、一瞬だけこちらを見たのはきっと気のせいだ。

 廊下に出て、人気のない晴天通路まで移動する。今日は天気もいいし、ここなら声も漏れないだろう。

 電話が掛かってきたのは仕事用のスマホ。つまり、仕事の依頼だろう。電話に出てみると、男性の声が聞こえた。


『あっ、どうも私株式会社ビジュアルダーツ制作進行の尾野おのと申します。藤沢飛翔様でお間違いないでしょうか?』

「えぇ、はい」

『この度は、お仕事のご依頼を承りたくご連絡させていただきました』


 ビジュアルダーツと言えば、超大手の美少女ゲーム会社じゃないか。そんな企業が仕事の依頼をしてくるなんて久々に大きな仕事かもしれない。


『今回私たちが進めている新しいプロジェクトのシナリオに是非、カクめいじんさんである藤沢さんにお願いしたいと思っております』


 カクめいじんとは、飛翔がシナリオライターとして使っているペンネームだ。というか、大手の人間に名前が知られていてちょっと嬉しい。


「新プロジェクトって……自分なんかが参加してもいいんですか?」

『何をおっしゃってるんですか、カクめいじんといえば、「創造家」の異名を持つライター、私たちの新しいプロジェクトに持ってこいのライターなんですよ』

「それはどうも……」


 その手の業界ファンからは「創造家」なんて呼ばれているが、そんなたいそうなものではないと思っていた。しかし、業界の人間からそういわれるとは、いつの間に浸透したのだろうか。


『どうですか? 是非、こちらとしては参加いただいたら幸いなのですが――』


 もちろんそんなの断る理由なんてない。名前も売れるし、大きなお金も入るビッグチャンスだ。


「お引き受けさせてもらいます。未熟ながら、どうぞよろしくお願いします』

「ありがとうございます、では、早速ですが次の打ち合わせの場所と時間、後設定資料を遅らせていただきますね」

「はい、よろしくお願いします」


 こうしてカクめいじんとして、大きな契約を交わすことができた。それにビジュアルダーツの新作のシナリオを書けるなんてこれ以上ライターにとって名誉なことがあるだろうか。

 送ってもらう設定資料は、カバンに入っているパソコンで確認すればいいだろう。あー、早く見たい!

 小走りで教室に戻ると何故か弁当が半分以上なくなっていた。そしてもちろん犯人はこの男。


「すまん、藤沢。欲望に耐え切れんかった……」


「そんなことくらい許してやるさ、今日はいい日だからな! がっはっは!」


「藤沢……お前変なものでも食ったのか?」


「食ってないぜ、がっはっは!」


 飛翔は残りの弁当を口の中にかき込み、仕事人としての余韻に浸るのだった。

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