運の変動

木下美月

運の変動

 都内のアパートの一室。これといった特徴もない部屋で、優れた才能も致命的な欠点もない男がぼやいた。


「俺にも運があれば…」


 男に不幸があったわけではない。新しい事業を立ち上げ、波に乗り始めた友人の事を思い出していたのだ。


「なら、俺が運気をあげてやるよ…」


 気配の無かった場所から声が聞こえた事に、男は驚いた。窓も玄関も鍵は掛かっているし、部屋には男一人しかいなかった。それらの事から、声の主は人間ではないと覚悟を決めてから、男は顔を上げた。


「あ、悪魔か……?」


 そこにいたのは男の体の半分程の大きさで、全身が黒紫色、背中には羽が生えている、人の形をした生き物だった。


「ご名答。平凡なお前に運を授けに来たのさ」


「ど、どういうことだ?悪魔とは天使の対にあって、悪を象徴する超越的存在で…」


「おいおい、偏見が過ぎるぜ。悪を象徴するってのが俺にはわからねえな。少食が健康だと言う人もいれば、沢山食べる事が健康だと言う人もいる事。水と油が混ざらない様子。白の対に黒がある。天使と悪魔も、そんな些細な事と同じもんさ。だから天使の対に悪魔がいるのはわかるが、俺らは悪者じゃねえ。多くの人間が天使を正義だと思ってるだけで、悪魔を正義だと言う人間が少数派ってだけさ」


「うーん、そういうものだろうか」


「ああ、そうだ。試しに俺を信じてみろ。天使がいい奴だって信じるのと同じ様に、悪魔こそ正義だって信じるんだ。その心を伝ってお前に運が流れていくのさ」


「そんな上手いこと言って、魂を取ったりするんだろう?信じられん」


「疑り深いな、何も要らないよ。約束する。それに見たことない天使より、目の前にいる悪魔の方が信じられるだろう?」


「うーん、そこまでいうなら信じておくよ、悪魔という正義もあるんだとね」


 かくして男は悪魔を信じ、悪魔は満足しながら「また来る」と言い、去っていった。


 翌日、男が街を歩いていると見目麗しいカップルを見て、羨ましいと思った。自分の恋愛運もその内上がるだろうかと期待した。

 更に翌日、宝くじの店の前で幸せそうな顔をした男を見かけた。きっと大金が当たったのだろう。自分も金銭運が上がったら行ってみようと心に決めた。


 数日経ったある日、男はカフェで寛いでいた。重苦しい空気を感じ、視線を向けた先にいたのは、数日前の見目麗しいカップルだった。別れ話の最中だと気付いた男は、珍しいものを見たと思った。

 その翌日、交番の前を通りかかった時、宝くじ屋の前で幸せな顔をしていた男が警官に縋る場面を見かけた。どうやら大金を落としたらしい。またもや珍しいものを見たと思った。



 少し経ったある日、男の部屋に再び悪魔が現れた。


「おい、俺は他人を羨んでばかりで一向に運気が上がらないぞ」


「ああ、それに関してはすまないと思う。だが変化はあっただろ?お前が羨ましいと思った奴らは、すぐに羨望される特徴が無くなっただろう?それは俺が誰からも信じてもらえず、捻くれてしまった力の所為なんだ。俺の力が戻ればお前自身の運気を上げる事ができる」


「それは本当か!?一体どうすればいい?」


 男は、羨んだ人間を不幸にしてしまったことを申し訳なく思ったが、魅力的な悪魔のささやきに食いついた。


「簡単さ、俺を信じる人間が増えればいいのさ」



 それから、男は悪魔に関して様々な噂を広めていった。噂は伝言ゲームの如くすり替わって行き、多くの人々に伝わったのは『悪魔は実は運気を上げてくれるラッキーゴースト』という身もふたもない話だった。


 それでも悪魔を信じる者が増えたことに違いなく、やがて悪魔の力が戻り、男は運気を上げていく。

 運気が上がった男は昇進し、行きつけのバーで素敵な女性に出会い結婚し、子供にも恵まれて幸せに過ごしていた。

 もちろん悪魔を信じる他の人間、つまり不特定多数の人間が似た様に幸せになり、社会は好景気になる。



 やがて運気が上がった社会の中で、極めて平凡に過ごす青年の元に天使が現れた。


「初めまして、私は天使です。あなたの運気を上げる代わりに、私の力を戻す手伝いをして欲しいのです。それは私を信じる人間が増えてくださればいいのですが、長い間誰からも信じてもらえなかった所為で、少し力が捻くれていまして…。でも少し周囲の運気が下がりましても、私を信じて下さる人が増えれば、やがて社会全体の運気が上がるでしょう」

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運の変動 木下美月 @mitsukinoshita

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