第4話

検定当日の朝。少しでも早く行って滑っておこうという人達が支度を済ませて早々に食堂を出ていく。

反対にいま起きたという面々もそれなりにいたが、僕もそのうちのひとりだった。


朝食をトレイに乗せて席に着く。僕を見つけた男性が向かいに座った。


「ついに今日ですね。いや、毎度のことながら緊張するなぁ」


昨夜の飲み会で盛り上がった山口さんという税理士さんだった。ここでは気さくなスキー好きでしかないが、参加者は社会的に肩書きのある人も多いようだ。僕は、昨日の盛り上がりを思いだして思わず笑う。


「本当ですか?昨日ガンガン飲んでましたよ。緊張する人が前日あれだけ飲めませんよ」


「緊張感を紛らわすために飲むんです。本当はお酒は苦手なんです」


「苦手な人が一升瓶持ち込んで飲んでるわけないでしょうが〜」


常連の人達のテーブルから声があがる。山口さんは笑いながらトマトジュースをひと口飲んだ。


「それだけですか?まさか二日酔い?」


トマトジュースとヨーグルトしか載っていないトレイをみてそう言った。


「あ〜。それは大丈夫。普段も朝は食べないんです」


「そっちこそ、それだけ?」


山口さんが僕のトレイを見てそう返す。こちらのトレイにもヨーグルトとサラダしか載っていない。


「正直、僕の方は飲みすぎですね。まだ身体がふわふわします」


「あははっ、それなら少し食べておいた方がお酒も早く抜けるよ」


笑いながら山口さんは続けた。


「やっぱり今日の検定は正面ゲレンデかなぁ。昨日、ずっとあそこだったでしょう?この合宿、だいたいレッスンで一番滑り込んだゲレンデを使うんですよ」


「サービス的な意味でですか?」


「いや、合格率上げるだけならもっと斜度の緩いところを使えば良いよ。厳しいコースでやる分、滑らせてるのかな。合格者のレベルが下がるとスクールの評判も落ちるし。ここのジャッジは厳しい方だと思いますよ」


食堂を出た時はだいぶ残っている人も少なくなっていた。今から行っても何本かは足慣らしはできるだろう。ほぼ同じくらいに食べ終わると着替えを済ませ2人でゲレンデに向かった。


「2級はコブがないから良いよね。ほら、前回はあの辺で転んだんだよ」


リフト下のコブを指して山口さんが言う。


「僕もしょっちゅう転んでますよ。今シーズン、200回まで転んだ回数を数えてたんですけど、さすがに自虐的過ぎて数えるのやめました」


「200?それは凄い。これまでのトータルでもそんなに転んだことはないなぁ」


「最近は、板を外して転ばないとスキーに行った気がしなくて物足りなくなってる感じで」


山口さんが爆笑する。リフトを降りると山口さんはコブへ行くと言う。それじゃ、またとお互い手軽く手を上げそこで別れた。少し考えて僕は正面ゲレンデへ向かう。


何本か滑って仕上げとした。身体が動いてきたのかふわふわしていた感じも抜けてきたようだ。リフトの上からから山口さんが見えた。転んだと言っていたが山口さんはコブが苦手には見えなかった。綺麗な弧を描いてリズムよく滑っていく。


検定での評価は正直わからないけれど、山口さんの滑りを見て純粋に上手いと思った。やはり1級というのは凄くレベルが高いということは理解できた。


ついに検定が始まる。受検者は総勢20人。対するジャッジは3人。最初に主任検定員から注意事項が説明された。検定で使うゲレンデと滑る種目のほか、スタート時に周囲の安全確認をするようにといった内容だった。


「じゃあ、お互い頑張りましょう!」


ポンと山口さんが肩を叩き声を掛けてくれた。検定は1級受検者も2級受検者も一緒に動くようだ。どの種目も1級受検組が滑り、その後で2級受検組という順番で進んだ。それぞれの種目で滑走順をローテーションしていった。


思い返すと、この時の僕はあまり緊張することはなかったと思う。検定がどんなものかわからずやってきて結果を出せるとも思っていなかったし、じぶんが滑る前に散々上手い人たちの滑りを見せられる中で何を緊張するというのか。緊張というものは多少なりとも結果に色気を出してこそ出てくるものだと思う。


検定の手応えは、とりあえず2日間教わった成果は出せたと思う。ただしロングターンは駄目だろう。担当してくれたコーチも検定のサポートについていたが、僕の滑った後に一瞬だけ首を傾げたのが見えた。おそらく、大事にいこうとした意識が身体の動きを止めたのかもしれない。そもそもシーズン中にロングターンなんて滑ってなかったし、それを2日間のレッスンで検定まで受けられたのだからもうお釣りがくるくらいの話だった。





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