3-1

あの人は午前中はずっとソファーで横になって寝ていた。その時間には全く目を覚ます気配はなく、振り子時計の音が鬱陶しいくらい、事務所の中はいつも静かだった。

ただ来客はけっこうあったよ。来客があっても下っ端だった俺は、その人が誰なのか全くわからない。なんとか誤魔化して事務所の中には入れないようにしろってあの人に言われていたけど、訪ねてきた人間が誰なのかわからないんだから俺なんかにはどうしようもない時があった。

ある時は親分の舎弟だっていう男が来て、中に入れろって入り口で騒ぎ始めたんだ。


「親分は今留守なんで、出直してもらえますかね」

「誰だ、お前」

「ああ、今度組に入れてもらった者です」

「親分はどこにいるんだよ。連絡が取れねえんだよ」

「知り合いのところに行くって言って、出掛けていったんで」

「いつの話だよ。ずっと連絡してるのに、なんで携帯がつながらないんだよ」

「それではこっちから親分に連絡しておくんで」

「じゃあ、さっさとしろよ。中で待たせてもらう」

「いや、それはちょっと。いま客人が来ているんで」

「客? じゃあ俺は何なんだ。俺はどうでもいいのか。やっぱり、俺をナメてるな、テメエ」

「いや、そんなことは‥‥‥」


こうなると俺にはどうしようもなかった。あの人がいない部屋に通したかったが、あの人は一度起きると落ち着きがなくなり、目的もなく事務所の中を歩き回り、最後には幹部室のテレビを大音量で見始めるのだから、誰だってあの人の存在に気がつく事になる。


「誰なんだ?」


親分の舎弟だっていう男もすぐにあの人に気付いて俺に尋ねる。


「いや、親分の知り合いの客人です」

「俺はアイツの知り合いっていう奴はみんな知っているけど、こんな奴は知らねえぞ」

「いや、こないだのケンカの時に手伝いに来てもらった人で、親分の昔からの知り合いのようで」

「相手の組の連中と戦争になったんだろう。どうなったんだ」

「いや、何とかまとまって、今ははもう‥‥‥」

「あん時は大騒ぎしてたよな。俺も声を掛けられたけど、その時はフィリピンにいたから、力になれなくて悪かったな」

「いや、もう大丈夫です」


男はあの人と向かい合ってソファーに座った。


「あんたは舎弟とどこで知り合ったんだい」

「舎弟?」

「ここの親分のことですよ」


俺が慌てて口を挟む。


「○○君のことかね」

「○○? アイツの下の名前を知っているのか? 俺は長い付き合いだから当然だけど、アイツの下の名前を知っている人間は初めてだぞ。あんた一体誰なんだ」

「昔からの知り合いというだけだが」


あの人はいつも誰にでもそういっていた。


「じゃあ同じ小学校だったのか。アイツは中学も途中までしかいっていないから、アンタ、アイツと小学校が同じだったんだろう?違うか?」

「学校とは無縁のもの。血のつながりによって、彼は私の縁者なのです」

「エーッ、アンタ、アイツの親戚なのか」


男はしげしげとあの人を見て、それから首をひねってあの人にいった。


「アンタ、何を腕に抱いているんだ。その腐った、いや、本当に臭いな、それ。それって死んだ猫じゃないのか」

「この犬のことかな。国道の横で倒れていたのです。臭うからケン君にこの間洗ってもらったのだが」

「ケン?」

「ああ、俺がケンです」


仕方がなく俺はまた横から口を挟む。


「お前、本当にソレを洗ったのか」

「洗ったすよ。泥で汚れていたんで」

「泥で汚れていた? 念のために言っておくけど、その猫、じゃなくて犬はとっくに死んでいるんだからな。アンタ、何のためにそれをそうしているんだ。アンタが可愛がっていた犬なのか?」

「いや」

「じゃあ、なんで」

「落ち着くからかな。みんなそのためにペットを飼うのでは」

「もう一度言うが、その犬はもう死んでいるんだぞ」

「私は犬を抱いているのではない。死そのものを抱きしめている。それが意味する多くのことをこの腕の中に感じて、究極の苦痛から逃れることができる」

「究極の苦痛って?」

「変化のない退屈こそ最大の苦痛なり」













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