2-4

気を失っていたのは30分ぐらいだった。目を開けると自由に体が動かせるようになっていて、あれだけ一瞬にして硬直して声さえも出せなかったことが信じられない。そして上質の麻酔を投与されたみたいに、何の副作用もなく目が覚めたんだ。

俺は体を起こして辺りを見回した。アニキや一緒にいた若い衆はまだ倒れたままだった。俺はまず玄関に置きっ放しだった金属バットを手に取り、それから足音を消すためにスリッパを脱いで、倒れたアニキの方に行ってアニキの体を揺すった。アニキの顔面は蒼白で、何かにひどく驚いたように目を見開いたままだった。俺はイレズミをしたアニキの二の腕に触って、強く体を揺すった。


「ヤベエぞ! これ。超ヤベエぞ」


アニキは起きる気配がなかった。当然だった。アニキの呼吸は止まっていて、体はもう冷たくなり始めていたんだ。つまり死んでいたんだよ。そこに倒れていた全員がもう死んでいたんだ。

俺は正直迷ったよ。本当にヤバイことが起こっている。すぐにここから逃げるべきだって、俺の本能が主張していたけど、世話になったアニキをこのままにして逃げ出すのは気が引けたし、いったい何が起きていまどうなっているのか確かめておきたいという気持ちもあったんだ。。俺はずっとつけっぱなしになっていたテレビの音が聞こえてくる幹部の部屋へ、金属バットを握りしめて入っていったんだ。

中に入ると親分を含めて部屋にいた全員がその場に倒れていた。やはり顔面は蒼白で目を大きく見開いて、その目に死そのものが現れているような怖さを感じたよ。そしてあの人は犬の死骸を抱いて窓際に背を向けて立っていた。部屋にはあの老人一人だけで、暗くなって人通りのなくなった街灯に照らされた通りを見ていた。いや、正直あの人が何を見て何を思っていたかなんて全く想像がつかなかったけど、その時に初めて対立する組のヒットマンなんかじゃない、もっとなんか得体の知れない俺らでは歯が立たない超強力なパワーを持った人間なのかも知れないって、ようやく気が付いたんだ。

それがはっきりしたら、もう逃げるしかないだろう。俺は静かに後退りして部屋から出ようとした。しかし前を見ながら少し後ろに下がるとドアに体がぶつかった。ドアなんか閉まっていなかったのにドアはいつの間にか閉じられていて、おまけにドアノブを回してもドアはロックされて開かなかった。焦ってドアノブをガチャガチャやっていると、あの人がこっちを振り返って、当然のように俺に言ったんだ。


「死体を全部片付けてくれないか」


コイツ普通に喋れるんだ。俺はその時にそう思ったよ。それから普通に喋っているし、これはもしかしたら案外その辺にいる年寄とあまり変わらないのかもしれないとその一瞬だけ錯覚してしまって、そしたら世話になったアニキや親分たちの命を奪って平然としているそいつに激しい憤りを覚えて、金属バットで殴りかかっていたんだ。

考えるより先に体が動いていたんだ。そしてあの人目掛けて走っていって、バットを振り下ろそうとした瞬間、俺はあの人に首を下から掴まれて、壁に押し付けられていた。それも片手でね。

俺は手足をばたつかせて抵抗しようとしたよ。だけどまた体から力が抜けていって、体の自由が効かなくなってしまった。金属バットも音を立てて床に転がる。俺はその時体重が80キロ以上はあったけど、あの人は平然と壁に俺の体を押し付けたまま、何かを思案しているようだった。


「私の言うことが聞けるかね?」


「ふざけんな‥‥‥」


苦しくて俺は最後まで言葉を続けられなかった。


「悪いが君がこれからの私のいろいろな用事を、代わりにやってくれないかな。私はこんな年寄りだからから、みんな私を嫌うんだよ」


「‥‥‥」


俺は顔を真っ赤にしながら、あの人を睨んでいた。こんな奴のいいなりになってたまるかっていう気持ちで、ガンをバチバチ飛ばしていたんだけど、そんなものはハッタリに過ぎないっていうことは俺自身もわかっていたし、実際にそうだった。

あの人は犬の死骸をすぐ横にあったテーブルの上に置くと、自分の人差し指を異常に長くて青味がかったその舌で舐めた。そしてその指を俺の胸に突き刺したんだ。

俺は壁に押し付けられたまま、その指が着ていたシャツの上から何の抵抗もなく俺の胸に食い込んでくるのを見せ付けらたんだ。その指が皮膚を突き抜けて内臓にまで達したのがはっきりわかったよ。


「クウ‥‥」


痛みよりもそのありえない状況に俺はパニックになって、それからすっかりもうあきらめていた。みんな死んでしまった。今度は俺の番なんだなって。あの人の指が皮膚に突き刺さった時、ほとんど痛みもなかった。アニキを怒らせてタバコの火を押し付けられたことがあったけど、その時の方が余程きつかったよ。ただタバコの火を押し付けられて死ぬ奴はいないけど、そのか細くて長い指を体の奥深くに突き入れられのを見て、俺はもう完全に参ってしまったんだ。あの人が手を放して俺が床に倒れ込んだ時、俺は咳き込みながらしばらく立ち上がることが出来なかった。精神的にも立ち直れないくらいのダメージを受けていたんだ。


「君には手伝ってもらわなくてはならない。君の意思には反するとは思うけどね」

「‥‥‥」

「君は私に強い反感を抱いているだろう。素直に私の言うことは聞けないだろう。なので仕方がなく君の体に細工をさせてもらったよ。もし君が私の言う通りに動いてもらえない時は、君は体に今まで経験したことの無いような激痛を感じることになる。脅しではないよ。覚えておいて欲しい。私は真実しか言わない」

「あんたは、あんたは一体誰なんだ‥‥‥」


俺がようやくそれだけを言うと、あの人は、


「私は君の昔からの知り合いだよ」


と、当然のように俺にいったんだ。









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