1-4
「犬の死骸だって?」
佐治は落胆と怒りの感情を隠すために柔和な表情で微笑み、それから腕を組んで壁に寄りかかった。
やはり時間の無駄だったのか。ケンの話が本当だとすれば、その老人もすでにこの異常状態の世界で精神を病んでしまっているに違いない。
佐治は徒労感を感じながらラップトップコンピュータのフタを閉じ、さっきまで座っていた部屋の隅の椅子に腰を下ろした。お互いに黙り込んでしまったが、電気時計の針が進むジッジッジッという音さえも聞こえてくる地下室の静寂を破ったのは、部屋に戻って来た雨宮だった。
「佐治さん‥‥‥」
勢いよくドアを開けた雨宮の顔面は蒼白で、口は半開きで苦しそうに息継ぎしている。何か良くないことが起こったのは明らかだった。
「佐治さん、ついにこちらへもエイリアンが地上に降りてきました」
「そうか」
「スカイツリーの上空にエイリアンの飛行体が飛来、約50体のエイリアンが地上に降りたのを確認したそうです」
「それで?」
「こちらは隅田公園に部隊を展開、地対空誘導ミサイルでエイリアンの飛行体を攻撃、また公園内より迫撃砲で降下してきたエイリアンを迎撃中とのことです」
「それらの火砲は青森ではまったく効果がなかったじゃないか。飛べる戦闘機は残っているのか」
「ほとんど撃墜されたか整備中で、出撃要請は難しいかと‥‥‥」
「そうか、いよいよだな」
佐治は椅子から立ち上がり、腰に手をやって背筋を伸ばした。
「家とは連絡がついたのかい?」
「電話は一般回線も携帯電話も不通になっていて」
「そうか。心配だな」
「しかしこの基地に残ってる人間も最前線にいる隊員もみんな同じ思いをしているわけで、非常時の自衛官として職務を果たさなくならない責任がある。辛いだろうけど」
「わかっています。入隊した時から覚悟はしてましたから。ただまさかこんな風に試練がやってくるとは‥‥‥」
「それは俺も同じだよ。数週間前までは定年まで実戦を経験することは絶対にないだろうと思っていたのに、こんなに切迫した状況に追い込まれてしまっている」
「かなり‥‥‥」
「そう、かなり危うい状況だ」
佐治と雨宮はお互いの目を見て、何かを覚悟したかのように頷き合った。
「それでこの調書の件ですが、状況が状況なので、ある程度結論が見えたらこちらはケリをつけて、地上に降下してきたエイリアン対策の情報収集をサポートしてくれと上から指令がありました」
雨宮は封書に入った指令書を佐治に手渡した。佐治はその指令書に目を通し、わかった、と答えた。
「この取り調べはこれで終了することにしよう。他にやらなくてはならないことがあるはずだから、我々もそちらの応援に回ることにしよう」
「そうですね。それに早く手を打たないと、都心にもあの爆弾を投下されてしまうかもしれない」
「そうだな。エイリアンの地上部隊が去った後、飛行体から強力な爆風爆弾のようなものが投下されたっていうじゃないか。被害状況はもう把握できたのか」
「まだです。何せその爆発によって半径50キロの内の人と建物が壊滅的な被害を受けていて、その極度な混乱で被害状況さえ正確に把握できていない。人類が知る核爆弾とは状況から別物だと考えられているが、その被害状況は同程度かそれ以上にひどいものですから」
「わかった。とにかく今は次の新しい攻撃を防ぐことが最優先だ。まあそれが果たして可能かどうかわからないが‥‥‥」
佐治は部屋の低い天井を見上げて腕を組み、深いため息をついた。
「雨宮、お前はこの人をどこかの駅まで送ってやってくれないか」
「駅? 電車はまったく走っていませんが」
「それはわかっているが、一般人をここに置いておくわけにはいかないだろう。この人の地元の青森だって、あの爆弾の強力な放射能汚染で誰も近付けないんだから、そこへ戻るわけにはいかない。バスならまだ走っている路線があるって聞いたよ」
「バス? それはどこの路線ですか」
「それは知らないよ。それは自分で調べてくれよ。とにかくもうこの人はここに置いておけないだろう。用事は済んだんだから」
「そう言われても外に出て安全を確保できるかどうか」
「ここは間違いなくエイリアンの攻撃目標の一つなんだよ。まあ時間の問題かもしれないが、この施設内にとどまるよりは外に出ていた方が安全であるはずだよ」
「そうですか。それなら、本人の希望も聞いて、どこかへ送り届けますが」
「そうしてくれ」
「わかりました。それでいいんですね」
「そうだ。それが最終判断だ」
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