一章 予知される未来 2—4


「あ、切らないでください! わたし、ストーカーとか、そういうんじゃないんです。ただ、中学のときのこと、どうしても、あやまりたくて」

「悪いけど、今、蘭さん、いませんから」

「あなたでかまいません。話を聞いていただけますか?」


 ううっ……こまったなあ。

 兄ちゃん、いないし、あばれられたら、どうしよう。


「九重くんが、わたしに会いたくない気持ちはわかるんです。わたしが非常識なことしてるのも自覚してます。だから、手紙を書いてきました。この手紙を九重くんに渡してください。そしたら、もう、お宅には来ません。九重くんの前にも、あらわれません」


 うーん……しょうがないなあ。

 なんか、ほんとにストーカーではないっぽい。


「わかりました。今、そっちに行きます」


 僕はインターフォンを切って、門まで走っていった。

 ほんの数メートルだけど、コートがないと肌寒い。


 僕がふるえながら門扉をあけると、井上さんは申しわけなさそうに、深々と頭をさげた。

 蘭さんと同い年ってことは、四つ上だが、ほとんどスッピンの薄化粧なせいか、僕と同じくらいに見えた。


「では、これ、お願いします」


 かざりけのない白い封筒をさしだす手は、ふるえていた。

 寒さのせいだろうか。それとも緊張のせいか。


 なんとなく、僕はこの人が、かわいそうになった。


 あっ、なんだか、やばいぞ。

 僕は自分が小柄(といっても百七十あるんだけど。兄ちゃんも、じいちゃんも、父さんも百八十越えるお家柄。なんか自分が小さく思える)なもんだから、きゃしゃで小さい女の人に弱いんだよね。


 井上さんは、まさに、そういう人だ。

 蘭さんみたいな華麗な美女(?)ではないが、地味めなベビーフェイスも、僕好み。


「あの、お茶でも飲んでいきませんか? 外は寒かったでしょ?」

「でも、ご迷惑じゃ?」

「今、僕だけだから、大丈夫」


 言ってから、僕は考えた。


「あっ、そうか。ふつう、初対面の女の人、家のなかに誘いませんよね。変な意味じゃなかったんだけど……寒そうだったから」


 井上さんは優しそうな目じりをさげて笑った。


「ありがとう。じつは、すごく寒いんです」


 だよね。ガタガタふるえて、鼻のあたまも赤い。


 僕は井上さんをつれて、家に入った。


「コーヒーと紅茶、どっちがいいですか」

「甘いコーヒーが飲みたいです」

「ミルクと砂糖たっぷりのやつ? 僕も好きなんですよ。コタツにあたっててください。うちの猫がいるんで、気をつけてくださいね。人見知りするんで」


 居間に入ってく井上さんを、コタツから頭だけ出したミャーコがながめる。めずらしく気にもとめず、あくびして、また目をとじた。


 きっと、ミャーコにも井上さんが敵じゃないと、わかったんだ。


 猛が入ってくときなんか、牙むいて、いかくするのに。


 猛は静電気だから……。


 僕がコーヒーと買い置きのチョコレートを持っていくと、井上さんは正座して待ってた。


 なんだか、置物みたいに静かな人だ。


「どうぞ」

「ありがとう。あ、あったかい」


 両手でカップをつつんで、指さきをあたためるしぐさを見て、僕は急に照れた。

 この人、いちいち、僕のストライクゾーンに入ってくるんですけど。


 僕らは、しばし無言でコーヒーを飲んだ。

 やっぱり、僕には信じられない。

 この清楚で、おとなしそうな人が、クラスメートをいじめて自殺させたなんて。


 すると、僕の心を読んだように、井上さんが口をひらいた。


「九重くんが怒るのは、当然なんです。沙姫ちゃんは、わたしの親友やったんです。保育所のころから、ずっと仲よしでした」


「じゃあ、なぜ……」


 井上さんは、そっと目をふせる。


「仲がよかったから……やらないと、わたしも同罪、みたいに迫られて。ほんとは、あんなこと、したくなかった。


 わたしが弱かったんです。いやだって言うことができなかった。怖くて……」


 うつむく井上さんの目から、涙がこぼれる。


 僕は彼女に同情した。


(この人、気弱そうだもんな。そりゃ、言い返せないか)


 僕はイジメられたことないけどさ。


 学園祭でメイド服、着せらたときとか、けっこう怖かったよ。男子より、女子が。


 キャーキャー、かーくん、可愛いッ、写真、写真、ダッコ、逃げるなッ——て。


「それは蘭さんだって、わかってるんじゃないかな。


 蘭さんが会いたがらないのは、ほんとに、つらい思い出だから、もう忘れたいだけなんだと思う。


 蘭さんは、あの件で、お母さんを亡くしてるし。


 そのことは井上さんも理解してあげてください」


「わたしの身勝手だってことは、わかってるんです。


 わたし、ほんとは誰よりも、沙姫ちゃんに謝りたい。


 でも、もう沙姫ちゃんには会えへんから、それで、ほかの人に謝って、少しでもラクになりたいんやと思います。


 ごめんなさい。わたしのワガママで、九重くんに嫌な思いをさせて、すみませんでしたって、伝えてください」


 井上さんは冷めかけたコーヒーを置くと、立ちあがった。


「コーヒー、おいしかったです。ありがとう」


 僕と話したことで、少しでも井上さんの心の重荷が軽くなったのならいいけど。


 彼女の表情を見れば、そうでないことはわかる。


 この人は、たぶん一生、自分のとなりに、亡くなった沙姫さんの亡霊を見ながら生きていくんだろう。


 消えることのない悔恨とともに。


 僕は彼女をほっとけなくなった。


「何か困ったことがあれば、連絡してください。事務所の電話番は僕なんで、東堂探偵事務所にかけてくれれば、僕が出ます」


 さみしげに、ほほえんで、井上さんは去っていった。

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