一章 予知される未来 3—1
3
なんだか、薄幸そうな人だった。
親友を死なせてしまったという罪の意識が消えないかぎり、あの人は苦しみ続けるんだろうなあ。
ずっと良心の呵責を感じている彼女は、誰よりも優しい人なんだ。
優しい人が、そうでない人より、深く苦しまなければならないなんて、世は不条理だ。
そんなことを考えながら、家の掃除をしてると、兄たちは夕方になって帰ってきた。
やっとか。猛には風呂そうじくらいしてもらわなくちゃ。
「すまん。かーくん。みんなでメシ食って、いろいろしてたら遅くなった。もしかして昼メシ作って待ってたか?」
「蘭さんからメール来たよ。昼食、たべて帰りますって」
「蘭は気くばり、こまかいなあ」
「猛さんが大ざっぱすぎるんですよ(だよねえ)。はい、かーくん。おみやげ。歩いて疲れちゃったから、お茶にしませんか?」
京都では有名な洋菓子店のロールケーキだ。丸一本なのは人数が多いから。
三村くんは、しかたないにしても、真島さん、まだいたんだ。奥瀬さんは帰っていったらしい。
「じゃあ、お茶いれてくる。煎茶でいい?」
「僕、コーヒーがいいな」
蘭さんが言うので、しかたない。
僕はさっきも飲んだけど、ふたたび、コーヒーだ。
僕はキッチンへ歩いていく。しばらくして、居間に入っていった猛が呼んだ。
「かーくん。この封筒なんだ?」
あっ。そうだ。井上さんの手紙、ちゃんと蘭さんに渡さなくちゃ。
「井上さんから蘭さんに。もう絶対、ジャマしに来ないから、手紙だけ受けとってくださいって」
僕が急いで居間に行くと、女装の蘭さんはコートをぬいで、より女らしくなっていた。なんでって、パット入りのブラしてるからだけど。
でも、僕の言葉を聞いて、その目にするどい蔑みの色が浮かぶ。
こういうときの蘭さんは、ああ、やっぱり、男なんだなと思う。
じつは、こう見えて、蘭さん、けっこう中身は男らしい。外柔内剛ってやつだ。
「僕は読みませんよ。こんなもの、二度と受けとらないでくださいね」
蘭さんは井上さんの手紙を、くずかごに、ほうりこんだ。
でも、井上さん、泣いてたんだけどな……。
僕は蘭さんの性格(敵に対して容赦ない)を知ってる。なので、このときは、だまっておいた。
あとで、こっそり、ひろっとこう。
で、僕らがワイワイお茶を飲んでたときだ。
とつぜん、事務所の電話がなった。
もしや井上さんかと、僕は急いで、かけつけた。
「もしもし!」
出ると、受話器のむこうで、しゃがれ声。
「八波です」
うっ。こっちか。
「申しわけありません。あなたのご依頼は、当事務所では受けつけられません。あしからず」
「待ってください。僕が本当に、もう一人の蘭だということを、証明するために、かけたんです。明日、そっちの僕は過去のつぐないをしますよね?」
えっ? なんで、そんなこと知ってんだろう……。
「そこで起こることを僕は知ってます。じつは、さきほどは言いそびれましたが、僕は、こっちの世界より半年ほど未来の世界から来たんです。春ぐらいまでのことは、すでに知ってますから。僕の日記の一部を、ポストに入れておきました。事前に読んでおいてください。そうすれば、僕が本物だと、わかってもらえると思いますよ」
言うだけ言って、八波は電話を切った。
「かーくん。電話、なんだった?」
猛の声にふりかえる。
兄は、かもいに頭をぶつけないよう、かがんで居間の戸口に立っていた。
「それがさあ……」
僕が説明すると、猛は外に出ていった。帰ってきたときには、一通の封筒を持っている。B6サイズの茶封筒だ。
「まさか、まかれたあと、おれがやつに、つけられたんだろうか? 探偵として屈辱だよな」
あて名は『東堂様』としか書かれてない。切手も貼ってない。自分でポストに入れたのだ。
封をきると、出てきたのは小型のノートの切れはしだ。一ページぶんをまるまる、やぶりとってある。
日付が記入されてるので、日記の一部だとわかる。今日と明日のことが裏表に書かれていた。
とりあえず、僕と猛は、電話で指摘された明日のほうから読んでいった……。
*
十二月九日(日)
今日は朝から気が重かった。
あの件には、もうかかわりあいたくないというのに、なぜ今さら、沙姫の墓前に参らなければならないのか。しかし、これで縁が切れるなら、いたしかたない。
桜井氏と墓参したあと、僕は彼女との思い出の場所に立ち寄った。
以前、彼女と恋のお守りを買った、あの場所だ。ハートのなかに鈴の入った金銀のお守り。僕が金、沙姫が銀で、わけあった。ストラップに作りなおしてくれたのは、沙姫だ。
「これ、かわいいけど、小判とか、ちょっとダサいよね」
「じゃあ、うちが直す。一個ずつ持ったら、いつでも、いっしょやね」
最初は僕が銀をもらうつもりだった。でも、沙姫の言いぶんで、ああなった。
沙姫の脳裏には、『月の砂漠』の一節があったのだ。
金の鞍には王子様。
銀の鞍にはお姫様。
そういえば、あのお守りは、どうしたんだっけ?
感がいにふけってた僕は、あやうく殺人犯にされるところだった。
バカバカしい。
なぜ、僕が、あんな女を殺さなければならないんだ。
*
なんじゃ、こりゃ——である。
「殺人犯って……明日、誰かが死ぬってこと?」
「落ちつけ。八波は、さくらんした妄想男だ。ほんとに未来がわかるわけじゃない」
「あっ、そうか」
ちなみに裏返してみると、八日のところには、こう書かれていた。
『昨夜は遅くまで飲んだので、日記が書けなかった。今日、まとめて書くことにする。
昨夜、ぐうぜん、昔のクラスメートに出会った。ひじょうに不愉快な思いをした。ケガを負った僕を見て、彼女は泣きくずれた。同情されるのはキライだ。
僕は今の自分を哀れだとは思っちゃいない(このへん、ほんとに蘭さんっぽいなあ)。母の面影が失われたことは残念だ。だが、僕の美貌がそこなわれたと嘆くやつらは、しょせん、僕の本質を見てはいないのだ。
彼女が東堂家まで押しかけてきた。迷惑きわまりない。次に来たら、きつく言ってやろう』——と、こうである。
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