一章 予知される未来 3—2


「当たってるっちゃ当たってるんだけどね。いちおう、ケガした設定は、つらぬいてるんだね」

「問題は、そこじゃないぞ。かーくん。八波のやつ、以前から、蘭のことストーキングしてたんだ。でなきゃ、昨日、おれたちが飲んだこととか、店員が同級生だったとか、知るわけない」


 たしかに、そうだ。


「店員って、井上さんのことだね」

「うん。その井上」

「でも、八波の容姿は、蘭さんとは別の意味で目立つよ。尾行したり、監視したりするの、難しいと思うけどな」

「そこだよな。もちろん、服は地味なの着てればいいんだが。あのヤケドをかくすためには、マスクにサングラス。不審者そのもののカッコしなきゃいけないだろ。おれたちが気づかないわけないんだ」

「うーん。言えてる」

「どっちみち、このこと、蘭に話しとかないとな。真島が帰ったら、この日記、見せよう」

「蘭さん、怖がるんじゃない?」


 猛はグッドルッキングな笑顔を見せた。

「あいつはもう大丈夫だよ」


 まあ、猛がそう言うんなら。

 で、僕らは真島さんが帰ってから、蘭さんと三村くんに、八波のことを話した。日記も見せた。

 あからさまな不快感を示し、蘭さんはウイッグをはずした。

 蘭さんは前髪、長いから、それでも女の人に見える。


「新手のタイプだなあ。僕が欲しいんじゃなくて、僕の存在そのものが欲しいのか」

「そうとうサイコなやつみたいだから、気をつけろよ。蘭」

「こんなときに外出しなきゃいけないのはイヤだけど、明日だけは、しょうがないですからね。それにしても——」


 蘭さんは日記のページを、ピンと指さきで、はじく。


「なんで知ってるんだろう? 僕と沙姫が、地主神社でお守り買ったこと。あのお守り、実家に今でも、とってありますよ。裁判の証拠品として。また必要になるといけないから」


 悲しいなあ。恋の思い出の品が、裁判の証拠品だなんて。


「沙姫さんをいじめさせてたのが、蘭さんだって、向こうの両親に訴えられたんだっけ」


「ほんと、迷惑しました。だから、沙姫のこともキライになってしまったんだけど……当時は子どもだったからね。でも、今、思うと、楽しい思い出も、いっぱいあった。

 沙姫はね。恋占いの石(二つの石のあいだを目をとじて、ぶじに歩いていけたら、恋が叶うってやつだ)で、あと一歩のとこで、ころびかけたんですよ。思わず僕が『気をつけて』って、言っちゃったんだ。あの占いって、他人が助けると、恋も他人の援助が必要になるっていうんだろ?

 ちょっと怒ってたね。それで、僕は言ったんだ。『でも、僕が口出ししたんだから、僕が助ければいいだけのことだよ』って。

 あのとき、沙姫は笑ってた。僕が助けなきゃいけなかったのかな。あの子の笑顔を守るために」


「蘭さん……」


 蘭さんのせいじゃないよと、僕が言うまえに、蘭さんは肩をすくめた。


「ま、僕は気にしてませんけどね。幼さを責められたって、あのころは、どうしようもなかった。人生を一度の悔いもなく生きられる人間なんていないでしょ?」


 鼻をズルズルいわせてるのは、三村くんだ。三村くんは見かけはコワモテだけど、意外と涙もろいんだよね。


「とにかく、蘭。これから当分、おまえ一人での外出は禁止。

 なるべく早く八波の素性をつかむから、それまで、おれが留守になるときは、三村を護衛にしろ。な? 三村。いいだろ?」と、猛。

「ええで。どうせ、ヒマやし」


 三村くんはティッシュで鼻をかんだ。

「ほなら、おれ、これから、いっぺん、うち帰るわ。着替え持ってくる」


 というような会話があった。


 このとき、僕らは、まだ誰も八波の日記に信ぴょう性を持ってなかった。

 未来の書かれた日記なんて、現実に存在するわけがない。




 *


 翌日。

 この日の蘭さんは、これまで僕が見たなかで、一番、かっこよかった。


 昨日、蘭さんが買ってきたのは、ダンヒルのスーツ。

 そういえば、蘭さんのこういうスタイルは初めて見る。

 細身の体をなぞるようなスーツのラインが、きれいだなあ。


 うちの猛にも着せてやりたい。

 こんな仕立てのいいスーツ。

 絶対、似合うのに……ごめんね。

 そんな着古しのセーターで。


「そうそう。猛さん。あの日記に書いてあったとおり、用件のあとで、地主神社に行ってみますよ。八波って男、きっと今日も僕らのことを見張ってるはずだ。僕がオトリになれば、つかまえることができるんじゃないかな?」


「そうだな。じゃあ、墓地へは、おれと蘭で行き、薫と三村は清水周辺まで先行しといてくれよ。おれたちのあとをつけてるやつがいたら、蘭にケータイで知らせるんだ。はさみうちにできるだろ?」


 おお、さすがは兄ちゃん。冴えてる。


「つかまえたあと、どうするの?」

「住所をはかせて、送りとどける。家族がいれば話をつけるし、いなければ、家族の連絡先を聞く。それでも、しつこく、つきまとってくるなら、しょうがない。警察にも届けなけりゃな」


 相手は精神を病むほど苦しんでる人だと思うと、あんまり責めるのも、かわいそうな気がした。

 しかし、ほっとくと、行動がエスカレートするかもしれない。

 ここは心を鬼にしなければ。


 うちから京阪五条駅へは市バスが一番……なんだけど、この姿の蘭さんを乗車率の高い市バスになんか乗せられない。チカンに会うじゃないか。いや、蘭さんは痴女にも会うって言ってたな。

 しょうがないので、今日もタクシーだ。僕ら四人は一台のタクシーに乗りこんだ。


 そこから、ほぼ一本道。

 五条大橋で、猛と蘭さんをおろした。

 僕と三村くんは、さらに東へ向かう。東大路通でタクシーをおりた。


 ここからは、京都でも屈指の観光地。みなさんご存じの清水寺付近。二年坂、産寧坂、清水坂と、坂道が多い。

 僕らが上がっていったのは、茶わん坂。坂道の両わきに古びた町家がならぶ。ここらは焼き物の店多し。この坂をのぼっていけば、清水寺だ。


 十二月なので、ありがたいことに、観光客は、そこまで多くなかった。


「清水の裏だよねえ。地主神社って」

「清水寺は遠足で行ったけど、地主は行けへんかったな」

「男の行きたがる神社じゃないよね」


 地主神社は縁結びの神様だ。とうぜん、女の人やアベックに人気が高い。ちなみに、字面は『じぬし』だが、読みは『じしゅ』。


「おれら、ちゃんと観光客に見えとるんかいな」

「………」


 それは心配ないと思うよ。

 リュック背負った三村くんは、どこから見ても、東南アジア旅行中のヒッチハイカーだ。首に双眼鏡まで、ぶらさげてるしねえ。


「こっちに向かう前に、蘭さんからメール来るって。だから、それまで、そのへん、ブラブラしようよ」

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