五章 あばかれる魔術 1—3



その夜、帰ってきた猛は、なんだか複雑な顔をしていた。

すごく嬉しいことがあったようでもあり、そのくせ、困ったようでもある。


「どうかしたの? 猛」

「アリバイのカベに阻まれた」

「へえ」

「へえ、じゃないぞ。かーくん。アリバイくずして、犯罪を立証できないと、また蘭を危険にさらしてしまう」


なるほど。それは大変だ。

まあ、八波のことは警察も追ってる。もう心配ないだろうと僕は思っていた。

しかし、のちになって知った。この放置期間に、じつは犯人の残酷な意図があったことを。


このあいだ、僕らは、のんびり年末年始をすごした。

あいかわらず、猛だけは調査と言って、どっかに出かけてたけど。


お正月には、赤城さんが遊びに来てくれた。赤城さん、蘭さんの前では平然としてた。けど、僕は赤城さんが洗面所で、こっそり泣いてるのを見てしまった。


「あ、ごめん。ごめん。みっともないとこ見られちゃったな。僕が泣いてちゃいけないね。蘭本人が毅然きぜんとしてるのに」


赤城さんは話をそらすためか、妙なことを言いだした。


「そういえば、さっき、マンションの前で変な男を見たよ。マンションの前を何度も行ったり来たりして、あからさまに、あやしかった」

「えっ?」

「ニット帽かぶって、マスクして、変なやつだったなあ」


まさか、園山?


僕は急いで、猛に知らせた。

さすがに正月なんで、猛は蘭さん、三村くんと花札してる。僕が耳打ちすると、猛は外にとびだしていった。僕も追いかけた。

すると、たしかにマンションの前を変な男が、うろついていた。僕らを見て、疾風のように逃げていく。いつもの八波と少し感じが違うような気がしたが……あのダウンジャケットには見おぼえがある。いつかの電柱男だ。


「やっぱり、園山だ。兄ちゃん。警察に知らせないと」


しかし、なんでか猛は笑いだした。


「いや、いいよ。あのストーカーとは、おれが話つけとく」


午後から猛は出かけていった。もどったときには、やりきったような顔してたけど。


でも、その数日後。

一月三日のことだ。

赤城さんは奈良の実家へ行き、三村くんも大阪に戻っていた。

かわりに、奥瀬さんが遊びに来てくれた。


「もっと早う来たかったんやけど、ケガのぐあい、どう?」

「回復は順調だそうです。今月末から形成手術の日程を決めようって」

「そうか。元気だすんだよ」


蘭さんを気づかったあと、奥瀬さんは言った。


「じつは、いつもの君たちのうちにいると思って、さっき、そっちへ立ちよったんだ」


ん? うちのことか?


「あのうち、今、誰かいるんかな?」

「え? いいえ。無人のはずですけど……」


今日は、猛もマンションにいる。

まさか、真冬なのに怪談?

僕が勝手に、ぞォッとしてると、ますます怪談めいたことを、奥瀬さんが言う。


「変やな。誰かが、なかに入ってくように見えた」


やめてェッ。怖い。


「そ……そんなバカな。なかにって、どうやって?」

「さあ。遠かったから、見間違いかもしれへんけど。ふつうに門あけて入ってったような」


ひいッ。オバケー! 門にはカギかかってるよー。


猛が口元をひきしめる。


「おれ、見てくる」

「待ってよ。猛。僕も行くよ」

「みんなで行こう」と、奥瀬さんが言った。


でも、そうすると、蘭さんが一人で留守番することに……。


「僕も行きます」


蘭さんが言いだしたので、僕は驚天動地。


いいのかな。ケガしてから、蘭さん、外出するの、初めてだけど。


「不審者かもしれないでしょ? 早くしないと逃げられますよ」


言われて、ようやく、僕はホラーモードから脱却した。


そうか。この前から、園山らしき人物が、うろついてたっけ。

僕らの留守宅に園山が侵入したのかも。


それで、僕らは四人でマンションを出た。四時前だったろうか。


正月の町なかは走る車も少ない。がらんとしてる。五条通をわたるために信号を待つあいだが、もどかしい。やっと青に変わって、自宅へ走った。


こういうときは、猛が一番の戦力だ。僕ら三人を、みるみる引き離す。

自宅のある細道に入るころには、百メートルくらい差がついてた。

つまり、僕ら三人は、まだ通りのかどっこなのに、猛は家の前。猛が門のなかに入ってくのを、遠くから、ながめた。


僕らが到着したのは、その二十秒後くらいか?


「猛、どうなの?」

玄関から声をかける。

猛は居間から顔をだした。


「一階には誰もいない。薫、二階、しらべてくれ。おれは風呂場とトイレ見てくる。二人は、ここで待ってて」


蘭さんと奥瀬さんをろうかに残し、猛は土間におりる。うちは風呂場とか行くには、いったん土間におりないといけない構造になってる。


僕は階段をあがっていった。

二階の六畳間は、前は僕の部屋だった。今は蘭さんの寝室だ。

二階は無人だ。


でも、いつも整理せいとんされた蘭さんの部屋。

今日は、いやに、ちらかってるなあ。本がなげだされ、タンスもあけっぱなし。服が、はみだしてる。

最後に蘭さんが、ここ使ったの、いつだったっけ?


僕は、なにげに部屋の外の物干し台に出る戸をあけた。


と、そのときだ。

庭をよぎって門へ走っていく怪しい男を見た。黒のロングコート。ぼうし。あの体つきは、まちがいなく園山だ。


「兄ちゃん! 庭! 逃げてくよ!」


僕は叫びながら、階段をかけおりた。すでに猛は外に、かけだしていた。

でも、まにあわないだろうなあ。いくら猛でも。あの距離じゃ。


数分後。猛は帰ってきた。

「逃げられた」


まあ、そうだよね。


「警察に知らせなくちゃ。兄ちゃん」

「いや、でも、現場検証とかされると時間食うからな。あとで、おれから畑中さんに知らせとく」


指名手配犯に逃げられたってのに、そんなんでいいの?

まあ、猛が言うなら、それでいいや。


で、僕らは、もとどおり、四人でマンションに引き返した。


日が傾きかけていた。

僕らが広い五条通を歩いていくと、前から歩行者が来る。晴れ着をきた大学生くらいの男女だ。七、八人で歩道をふさぐようにして歩いてる。

迷惑だよねえ。酔ってるのかもしれないけど、なんで集団って、横一列で歩きたがるんだろう? おかげで、ほかの歩行者が追いぬけなくて、こまってる。


晴れ着の集団は、やたらクスクス笑いながら、僕らのほうをチラ見するのだった。

うかつにも、僕は、それがなんでなのか、気がつかなかった。

なんか、やな感じだなと思ってると、とつぜん、一人の男がとびだしてきた。


蘭さんの前に立って、

「ジェイソーン!」

電ノコふりまわすみたいな変なポーズで、男はさけんだ。

集団は大爆笑だ。

「やだ。ウケるぅ」

「やめなよ、もう。かわいそうやろ」

「おっかしい」


その瞬間、僕は血が逆流した。


(こいつら——)


やつらが、揶揄やゆしてるのは、蘭さんのことなのだ。顔に医療器具つけた蘭さんの姿を、あざわらってるのだ。

下品な笑い声を残し、集団は去っていった。周囲の人たちも、僕らに好奇の目をむけながら、通りすぎていく。


僕は怒りに、ふるえた。

涙が出るほど悔しかった。

あの蘭さんが、こんなふうに公衆の面前で、容姿を笑いものにされるなんて。道を歩けば、女はもちろん、男だって、ぽかんと口をあけて見とれてた、あの蘭さんが。


「蘭さん」


僕は蘭さんの肩を抱いた。

蘭さんは、ふるえていた。

まさか、泣いてるんだろうか。

そっと、おもてをのぞく。


泣いてるんじゃなかった。

笑ってるのだ。

僕は一瞬、蘭さんの正気をうたがった。


「蘭さん……」


蘭さんの笑い声は、だんだん高くなっていく。

とつぜん、痛いほどの力で、腕をつかまれた。


「僕は、美しかったですよね? 誰もが、ふりかえっていくほど。このうえなく美しかった。そうですよね?」


「蘭さん」


病院から帰ってからも、いつもと変わらないように見えた。

カガミを見ても、ケガの話題にふれても、平気そうだった。


平気なわけないのに。

内心は、ずっと悲嘆にくれてたのだ。


「ごめん。ごめんよ! 僕のせいで。僕が、あのとき、うかつだったせいで——」

「君のせいじゃないよ」

「でも……」


さっきのやつらのとこまで行って、一人ずつ、なぐってやろうかと思った。涙が止まらない。


でも、猛が言った。


「いいんだよ。こいつは、もう一人じゃない。おれたちが、ついてる」


猛は両手で、僕と蘭さんの肩を包んだ。


猛はふだん、なまけものだし、料理ヘタだし、静電気くらわしてくるけど……でも、やっぱり、僕の兄ちゃんだ。

こんなとき、そばにいてくれるだけで、あったかい。

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