五章 あばかれる魔術 1—3
*
その夜、帰ってきた猛は、なんだか複雑な顔をしていた。
すごく嬉しいことがあったようでもあり、そのくせ、困ったようでもある。
「どうかしたの? 猛」
「アリバイのカベに阻まれた」
「へえ」
「へえ、じゃないぞ。かーくん。アリバイくずして、犯罪を立証できないと、また蘭を危険にさらしてしまう」
なるほど。それは大変だ。
まあ、八波のことは警察も追ってる。もう心配ないだろうと僕は思っていた。
しかし、のちになって知った。この放置期間に、じつは犯人の残酷な意図があったことを。
このあいだ、僕らは、のんびり年末年始をすごした。
あいかわらず、猛だけは調査と言って、どっかに出かけてたけど。
お正月には、赤城さんが遊びに来てくれた。赤城さん、蘭さんの前では平然としてた。けど、僕は赤城さんが洗面所で、こっそり泣いてるのを見てしまった。
「あ、ごめん。ごめん。みっともないとこ見られちゃったな。僕が泣いてちゃいけないね。蘭本人が
赤城さんは話をそらすためか、妙なことを言いだした。
「そういえば、さっき、マンションの前で変な男を見たよ。マンションの前を何度も行ったり来たりして、あからさまに、あやしかった」
「えっ?」
「ニット帽かぶって、マスクして、変なやつだったなあ」
まさか、園山?
僕は急いで、猛に知らせた。
さすがに正月なんで、猛は蘭さん、三村くんと花札してる。僕が耳打ちすると、猛は外にとびだしていった。僕も追いかけた。
すると、たしかにマンションの前を変な男が、うろついていた。僕らを見て、疾風のように逃げていく。いつもの八波と少し感じが違うような気がしたが……あのダウンジャケットには見おぼえがある。いつかの電柱男だ。
「やっぱり、園山だ。兄ちゃん。警察に知らせないと」
しかし、なんでか猛は笑いだした。
「いや、いいよ。あのストーカーとは、おれが話つけとく」
午後から猛は出かけていった。もどったときには、やりきったような顔してたけど。
でも、その数日後。
一月三日のことだ。
赤城さんは奈良の実家へ行き、三村くんも大阪に戻っていた。
かわりに、奥瀬さんが遊びに来てくれた。
「もっと早う来たかったんやけど、ケガのぐあい、どう?」
「回復は順調だそうです。今月末から形成手術の日程を決めようって」
「そうか。元気だすんだよ」
蘭さんを気づかったあと、奥瀬さんは言った。
「じつは、いつもの君たちのうちにいると思って、さっき、そっちへ立ちよったんだ」
ん? うちのことか?
「あのうち、今、誰かいるんかな?」
「え? いいえ。無人のはずですけど……」
今日は、猛もマンションにいる。
まさか、真冬なのに怪談?
僕が勝手に、ぞォッとしてると、ますます怪談めいたことを、奥瀬さんが言う。
「変やな。誰かが、なかに入ってくように見えた」
やめてェッ。怖い。
「そ……そんなバカな。なかにって、どうやって?」
「さあ。遠かったから、見間違いかもしれへんけど。ふつうに門あけて入ってったような」
ひいッ。オバケー! 門にはカギかかってるよー。
猛が口元をひきしめる。
「おれ、見てくる」
「待ってよ。猛。僕も行くよ」
「みんなで行こう」と、奥瀬さんが言った。
でも、そうすると、蘭さんが一人で留守番することに……。
「僕も行きます」
蘭さんが言いだしたので、僕は驚天動地。
いいのかな。ケガしてから、蘭さん、外出するの、初めてだけど。
「不審者かもしれないでしょ? 早くしないと逃げられますよ」
言われて、ようやく、僕はホラーモードから脱却した。
そうか。この前から、園山らしき人物が、うろついてたっけ。
僕らの留守宅に園山が侵入したのかも。
それで、僕らは四人でマンションを出た。四時前だったろうか。
正月の町なかは走る車も少ない。がらんとしてる。五条通をわたるために信号を待つあいだが、もどかしい。やっと青に変わって、自宅へ走った。
こういうときは、猛が一番の戦力だ。僕ら三人を、みるみる引き離す。
自宅のある細道に入るころには、百メートルくらい差がついてた。
つまり、僕ら三人は、まだ通りのかどっこなのに、猛は家の前。猛が門のなかに入ってくのを、遠くから、ながめた。
僕らが到着したのは、その二十秒後くらいか?
「猛、どうなの?」
玄関から声をかける。
猛は居間から顔をだした。
「一階には誰もいない。薫、二階、しらべてくれ。おれは風呂場とトイレ見てくる。二人は、ここで待ってて」
蘭さんと奥瀬さんをろうかに残し、猛は土間におりる。うちは風呂場とか行くには、いったん土間におりないといけない構造になってる。
僕は階段をあがっていった。
二階の六畳間は、前は僕の部屋だった。今は蘭さんの寝室だ。
二階は無人だ。
でも、いつも整理せいとんされた蘭さんの部屋。
今日は、いやに、ちらかってるなあ。本がなげだされ、タンスもあけっぱなし。服が、はみだしてる。
最後に蘭さんが、ここ使ったの、いつだったっけ?
僕は、なにげに部屋の外の物干し台に出る戸をあけた。
と、そのときだ。
庭をよぎって門へ走っていく怪しい男を見た。黒のロングコート。ぼうし。あの体つきは、まちがいなく園山だ。
「兄ちゃん! 庭! 逃げてくよ!」
僕は叫びながら、階段をかけおりた。すでに猛は外に、かけだしていた。
でも、まにあわないだろうなあ。いくら猛でも。あの距離じゃ。
数分後。猛は帰ってきた。
「逃げられた」
まあ、そうだよね。
「警察に知らせなくちゃ。兄ちゃん」
「いや、でも、現場検証とかされると時間食うからな。あとで、おれから畑中さんに知らせとく」
指名手配犯に逃げられたってのに、そんなんでいいの?
まあ、猛が言うなら、それでいいや。
で、僕らは、もとどおり、四人でマンションに引き返した。
日が傾きかけていた。
僕らが広い五条通を歩いていくと、前から歩行者が来る。晴れ着をきた大学生くらいの男女だ。七、八人で歩道をふさぐようにして歩いてる。
迷惑だよねえ。酔ってるのかもしれないけど、なんで集団って、横一列で歩きたがるんだろう? おかげで、ほかの歩行者が追いぬけなくて、こまってる。
晴れ着の集団は、やたらクスクス笑いながら、僕らのほうをチラ見するのだった。
うかつにも、僕は、それがなんでなのか、気がつかなかった。
なんか、やな感じだなと思ってると、とつぜん、一人の男がとびだしてきた。
蘭さんの前に立って、
「ジェイソーン!」
電ノコふりまわすみたいな変なポーズで、男はさけんだ。
集団は大爆笑だ。
「やだ。ウケるぅ」
「やめなよ、もう。かわいそうやろ」
「おっかしい」
その瞬間、僕は血が逆流した。
(こいつら——)
やつらが、
下品な笑い声を残し、集団は去っていった。周囲の人たちも、僕らに好奇の目をむけながら、通りすぎていく。
僕は怒りに、ふるえた。
涙が出るほど悔しかった。
あの蘭さんが、こんなふうに公衆の面前で、容姿を笑いものにされるなんて。道を歩けば、女はもちろん、男だって、ぽかんと口をあけて見とれてた、あの蘭さんが。
「蘭さん」
僕は蘭さんの肩を抱いた。
蘭さんは、ふるえていた。
まさか、泣いてるんだろうか。
そっと、おもてをのぞく。
泣いてるんじゃなかった。
笑ってるのだ。
僕は一瞬、蘭さんの正気をうたがった。
「蘭さん……」
蘭さんの笑い声は、だんだん高くなっていく。
とつぜん、痛いほどの力で、腕をつかまれた。
「僕は、美しかったですよね? 誰もが、ふりかえっていくほど。このうえなく美しかった。そうですよね?」
「蘭さん」
病院から帰ってからも、いつもと変わらないように見えた。
カガミを見ても、ケガの話題にふれても、平気そうだった。
平気なわけないのに。
内心は、ずっと悲嘆にくれてたのだ。
「ごめん。ごめんよ! 僕のせいで。僕が、あのとき、うかつだったせいで——」
「君のせいじゃないよ」
「でも……」
さっきのやつらのとこまで行って、一人ずつ、なぐってやろうかと思った。涙が止まらない。
でも、猛が言った。
「いいんだよ。こいつは、もう一人じゃない。おれたちが、ついてる」
猛は両手で、僕と蘭さんの肩を包んだ。
猛はふだん、なまけものだし、料理ヘタだし、静電気くらわしてくるけど……でも、やっぱり、僕の兄ちゃんだ。
こんなとき、そばにいてくれるだけで、あったかい。
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