四章 偽装する殺人 2—4

 *



《八波の回想》


 ようやく君と、ひとつになれた。

 これでいい。

 僕はもう死んでもいい。


 蘭。君は僕。僕は君だから。


 でも、最初から、僕が、もう一人の君かもしれないなんて考えたわけじゃない。


 だって、君と僕は違いすぎた。

 僕は学校でも、まったく目立たない。友達も、ほとんどいない。

 クラスメートにとって、僕は空気みたいな存在。

 自分から誰かに話しかけることなんて、とてもできない。


 僕がそんなふうになったのは、たぶん、家族のせいだ。


 幼稚園のとき、父が死んだ。それが、すべての不幸の始まり。

 父は裕福な家庭の一人息子だった。多くは、まだ存命の祖父の名義だが、生前分与で、いくらかの財産をうけついでいた。

 父が死んだとき、父の遺産は母が継いだ。


 金の匂いをたくみに、かぎつける連中はいるものだ。

 まもなく、母は再婚した。ひとまわりも年下の若い男だ。祖父母は猛然と反対した。息子に譲った自分たちの財産が食いつぶされると感じたのだ。その反対を押しきっての再婚だった。


 案の定、祖父母の言うとおり、男は財産目当てだった。

 新しいマンションに母と義父と三人で暮らすことになった。祖父母は義父をさんざん、ののしったので。


 三人になったとたん、男は豹変した。それまで優しかったのがウソのように、僕に暴力をふるった。母はオロオロするばかり。毎日、なぐられた。


「おまえのブサイクなツラ見てると、メシがマズイんだよ」と、食事も満足に与えられなかった。


 母とのあいだに妹が生まれると、義父の暴力は激しさを増した。

 妹に話しかけたり、なでてあげようとしただけで、なぐられた。ベランダに立たされたり、吸いがらがいっぱいになった灰皿に顔をねじこまれた。


「ブサイクがうつるんだよな。バイキンがさわってんじゃねえぞ」


 たぶん、義父は祖父母から受けた侮辱を、僕に返すことで復讐していた。

 小さな妹が義父のマネして、うれしそうに僕を「バイキン」と呼んだ。


 僕は祖父母のもとへ泣いて帰った。市の児童保護施設の監察が入った。晴れて、僕は祖父母と暮らせることになった。数年ぶりに味わう、あたたかい家庭。父によく似た僕を、祖父母は可愛がってくれた。


 でも、幸せな日々は地獄への入口にすぎなかった。

 中学に入ってまもなく、高齢の祖父母が、あいついで死んだ。祖父母がいなくなった家に、手ぐすね引いて待っていた義父が乗りこんできた。もう誰も義父の横暴を止められる者はいなかった。


 僕は母屋から追いだされた。庭のすみの小さな納屋で暮らした。


「おまえのせいで、おれは世間から白い目で見られたんだぞ。会社もクビになった。よくもジジババにタレこみやがったな」


 犬より下等な扱いをうけた。

 すきま風の入る納屋で僕がこごえていたとき、母屋では義父や妹の笑い声が聞こえた。


 母は義父にナイショで毛布を持ってきてくれた。が、義父にバレて、なぐられてからは、何もしてくれなくなった。うつむいて、僕が義父の暴力にさらされるのを見ないふりした。


 義父は僕をいびりぬいて、自殺させようとしていたのだろう。そうすれば、祖父母から受け継いだ僕の財産が、母のものになるからだ。それは母が父から継いだものより、はるかに多い額だ。


 そんなころだ。

 僕が、蘭と僕の共通点に気づいたのは。


 蘭は光りかがやいていた。やることなすことが、かっこよかった。

 女の子たちより、ずっと綺麗なその顔で、姿はもちろん美しかった。そのうえ、成績優秀。スポーツ万能。女子からも男子からも人気があった。学園のアイドルだ。


 現実には、ありえないと思うほどの美少年。それが、蘭。


 そんな蘭と自分が、じつは似ていると気づいたときの衝撃は、言葉では言い表せない。落雷で体が二つに引き裂かれたような気さえした。


(僕と蘭が、似ている。僕と蘭が……)


 もちろん、顔は違う。

 義父に罵倒された、みにくい僕と、二人といない麗しい蘭では、まったく別物。でも、顔の造作さえ両手で隠してしまえば、輪郭は似ていた。


 ああ、この顔。顔さえ同じなら、僕は蘭になれるのに。


 僕が蘭だったら、義父だって、僕をバカにすることはできなかった。バイキンと、さげすまれることもなかった。


 それから僕は、注意して蘭をかんさつした。

 授業を聞きながら、髪を耳にかけるしぐさ。考えるときに、指さきで、くちびるをなぞるクセ。口調。笑いかた。歩きかた。走りかた。


 体操服に着がえるとき、腕よりもさきに頭を出すのは、甘えん坊の証拠だと、本人たちが話していた。


「いややなあ。また首んとこ、のびてきた。かっこ悪いよね。なんで、こうなるんやろ」

「蘭は着るとき、頭から出すからや。前、テレビで言うとった。子どものとき、ママにしてもらったやりかたのまんまなんは、甘えん坊なんやって」

「ええ? そうなん? おれ、マザコンちゃうけどな」


 いやいや、蘭はマザコンだ。母親の葬儀のときの態度を見れば、一目瞭然。


 それに、蘭は気づいてるのか知らないが、仲のいい友人たちに、やたらと腕をくんだり、よりかかったりするクセがある。


 蘭のかんさつを続けながら、少ししぐさをまねてみた。

 授業中、先生の話を聞くとき、蘭は心持ち頭を右にかたむける。蘭がそうしているとき、そっと自分も頭をかしげる。蘭と一体になれたようで、うれしかった。


 僕は君だよ。

 君は気づいてないかもしれないけど。僕と君は、ひとつなんだ。


 そう思うことは、僕にとって至福のときだった。


 僕は蘭。

 みんなに愛される人気者。


 蘭の髪型をまねし、蘭の動作で歩く。

 うしろから来たクラスメートに肩をたたかれることも、しばしばあった。蘭の親友の瑛二ですら、まちがえた。


「蘭! おはよう」


 そう言って、瑛二に肩をくまれたとき、僕は言うに言われぬ満足感を得た。


 うちに帰れば、なぐられ、けられ、頭から汚物をかぶせられたが、気にならなかった。


 ここにいる僕は僕じゃない。

 ほんとの僕は、蘭なんだから。


 それで、義父は業を煮やした。

 ついに、あの事件が起きた。

 ぎゃくたいというより、あのとき義父は僕を殺してしまうつもりだったのだと思う。


 僕が自殺したことにするか。殺して庭に埋めておけば、誰にも見つからないとでも考えたのか。


 あの夜、義父は僕の頭に灯油をかけ、火をつけた。炎が納屋に燃え移った。近所の通報で消防車がかけつけた。


 僕は救助された。義父と母は殺人未遂で逮捕された。妹は擁護施設に引きとられた。


 僕は地獄の日々から解放された。

 だが、焼かれた顔は、ますます蘭とは似ても似つかないものになった。僕は絶望し、人目をさけて屋敷にこもった。


 もう蘭と、ひとつになれない。

 あの至福のときは、二度とおとずれない。

 そう思った。


 しかし、天はまだ僕を見放してなかった。

 三年前の硫酸事件。蘭の自伝を読んで、その事件を知った。

 そのとき、僕は天啓をうけた。

 そうだったのだ。

 やっぱり僕は、もう一人の蘭だった。

 蘭が受けるはずだった傷を僕が負ったからだ。だから、蘭は無傷ですんだ。


 僕らは一心同体。

 切りはなされた一つの存在。


 僕は確信し、考えた。

 蘭が僕と同じになれば、僕らは、さらに一体になれる。


 そして、今、僕らは、これまで以上に深く一つになった。

 もう誰も僕らを切りはなせない。


 僕は蘭。

 蘭は僕。


 これでいい。

 これでいいのだ……。

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