四章 偽装する殺人 1—1
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猛が僕らの寝室から出てきた。おもてに、かすかに笑みがある。
きっと、念写で何か、つかんだに違いない。
「かーくん。蘭をさがしてくる」
猛はポラロイドカメラを持ったままだ。
「僕も行く」
「いや、おまえは待っててくれ。八波から電話が入るかもしれないだろ。そのときには、おれにも内容を知らせてほしい」
「……わかった」
僕は祈るような気持ちで、猛を見送った。
「さがすって、どこ捜すつもりやねん。まあ、じっとしとれん気持ちはわかるけどな。おれも、そのへん歩いてみよかな」
三村くんは猛の念写能力を知らないからね。猛が行きあたりばったりで捜す気だと思ったみたいだ。
たしかに、こんなとき、常人の僕らには警察の捜査力に頼るしかない。
でも、猛は違う。
今こそ、猛のあの力が何よりの希望だ。
(たのんだよ。猛。蘭さんを助けて)
蘭さんが、つかまったのは、僕のせいだ。
蘭さんが今、どれほどの恐怖をあじわってるかと思うと、僕は三時間前の浮かれた自分をなぐってやりたい。
猛は言ってたのに。
井上さんは、あやしいって。
(井上さん……)
井上さんのことを考えると、胸が痛む。
僕は本当に彼女に、だまされたんだろうか。だまされたことが悲しいのか?
いや、違う。
僕や蘭さんをおそったときの彼女の瞳は、とても、つらそうだった。
僕の前で泣いた彼女の涙は本物だった。
井上さんは、とても弱い人。
誰かにおどされると、したがわざるを得ない人。
ほんとはしたくないのに、自分の身がおびやかされると抵抗することができない。
人を傷つけるくらいなら、わたしを殺しなさいとは言えない。
そんな弱い自分を責めながら、でも、どうしても強くなることができない。
それが悲しいのだ。
井上さんは悪い人じゃないのに、悪い人たちに利用されてしまう。
彼女のその弱さが、僕は悲しかった。
(八波。ゆるせない。井上さんみたいな人を利用するなんて)
蘭さんに、なぐられたときは、かんたんに、すっころんでたけど。だからって、あいつが凶暴でないとは言えない。異常な心理をしげきされれば、とつぜん豹変することだって考えられる。
進展がないまま、時間が経過した。
刑事さんたちは電話や無線で、やりとりしてるが、有力情報はないようだ。猛からの連絡もない。
「かーくん。もうすぐ一時やで。昼メシ食わんか? お好み焼きなら、おれが作ったるで」
なんと、三村くんが言ってくれた。僕は、かんげきした。猛は天地がひっくりかえっても言わないセリフだ。
「そういえば、お好み焼き屋の二代めだっけ」
「おとんに言わしたら、おれの焼いたんなんか、売りもんちゃうらしいけどな」
と言いつつ、なれた手つきで、三村くんはお好み焼きを焼いてくれた。ソースの香ばしい匂いに、僕は自分が空腹だったことに気づいた。
「ほら、かーくん。ちゃんと食わなあかんで」
「ありがとう」
こんなときの思いやりって、身にしみる。
刑事さんたちにも、ふるまって、みんなでハフハフしながら食べた。
満腹して人心地ついたときだ。事務所の電話が鳴った。
まさか、ほんとに、うちにかかってくるとは。
僕は心がまえができてなかった。
「東堂さん」
刑事さんに、うながされて、しかたなく受話器をとる。
「東堂探偵事務所です」
「東堂さん。わたしです」
あれっ? びっくり。
「井上さん?」
思わず口走ってから、しまったなと思う。井上さんも、今や重要参考人なんだっけ。
傍聴してる刑事さんが、するどく目を光らせる。僕に、うまく情報をひきだせというんだろう。
「はい。井上です。今、城崎にいます。八波と二人です」
刑事さんたちは、「城崎だ。城崎」「所轄に連絡」とかなんとか、ごちゃごちゃ、ささやきあう。
僕は井上さんを追いつめる役をしなくてすんで、気がゆるんだ。けど、自分から、そんなことを言いだすなんて、井上さん、どうしたんだろう。
「八波と二人って、蘭さんは?」
「九重くんは無事です。今、八波の目を盗んで、かけてます。どうしても、あなたに謝りたくて」
「井上さん……」
「こんなことになって、ごめんなさい。あなたを利用した形になって……」
「そんなことはいいよ。井上さんが進んでやったことじゃないって、わかってるから。それより、八波に、おどされてるんだよね? あいつといたら、井上さんまで危ないよ。今なら、たいした罪にならないから、帰っておいでよ」
電話口の向こうで、井上さんは口ごもった。
「……もう遅いんです。わたし、ずっと後悔してました。いつも罪の意識に、おびえていました。だけど、やっと解放されるんです。だから、今は、ほっとしてます」
なんか変だ。彼女の口調。
これじゃ、まるで、死ぬ覚悟でもしてるみたいな……。
「井上さん? まさか、死ぬ気じゃないよね?」
井上さんは答えなかった。かわりに、
「東堂さん。下の名前、教えてもらえますか?」
そうか。まだ言ってなかったか。
ほんと、僕って、マヌケだ。
「薫です。みんなは、かーくんって呼ぶよ」
「薫……やさしそうで、かわいらしくて、でも涼しげで、あなたらしいですね。かーくん、あなたに会えて、うれしかったです」
電話は切れた。
むしょうに胸さわぎがする。
やっぱり彼女、死ぬ気だ。
僕は急いで、猛に電話をかけた。
たのむ。猛。こんなときくらい、クラッシュさせないで——
願いは通じた。
ぶじ、猛が電話に出る。
「どうした? かーくん」
「たったいま、井上さんから電話があった。城崎にいるって。八波と二人で——あ、今、刑事さんが確認とれたみたい。城崎駅の公衆電話から、かかってきたってさ」
ところが、気のない返事が返ってくる。
「城崎? ふうん」
「猛。聞いてる?」
「聞いてるよ。八波と二人でって言ったんだな?」
「うん。蘭さんは、ぶじだからって」
「蘭が、どこにいるか、言わなかったか?」
「言わなかった。ただ、僕に謝りたかったからって。ねえ、猛。井上さん、死ぬ気なんだと思う。助けてあげて」
猛は電話の向こうで、ため息をついた。
「薫。おれは超人じゃないよ。分身もできなければ、瞬間移動もできない。京都で蘭をさがしながら、城崎にも行くことはできない。おれたちが優先すべきなのは、蘭の救出だろ?」
まあ、そうなんだけど……なんか、猛のやつ、井上さんのこととなると、冷たいなあ。
「わかったよ。城崎には、僕が行く」
猛は息をのんだ。
「かーくん——」
「井上さんに会って、蘭さんの居場所を聞きだす。一石二鳥だし」
「井上は知らされてないかもだけどな」
そのあと、「はあっ」と、いやに大きな吐息が聞こえた。
「わかった。そのかわり、刑事さんたちと、いっしょに行動するんだ。絶対、ムチャするな」
「うん。蘭さんのこと、なにかわかったら連絡する」
電話を切る。
僕は刑事さんたちに同行させてもらうことを願いでた。
「お願いします。井上さんに投降するよう説得しますから。僕も城崎につれていってください」
刑事さんたちは、その価値ありと見てくれた。
三村くんを連絡係にマンションに残し、覆面パトで、一路、城崎へ。
京都市内から、兵庫県の城崎までは、直線距離でも百キロあまり。
警察車両で、どんなにとばしても、一、二時間はかかるだろう。
出発前に見た時計は、二時すぎだった。
(到着するのは四時前後か)
車が走りだしてまもなく、無線連絡が入った。
「裏、とれました。十一時二十五分、京都駅発『きのさき3号』に、八波、井上の二名が乗りこむところを駅員が見ています。改札で、もたついたらしい」
きのさき3号か。嵯峨野線の特急だよね。
夏に猛や蘭さんと天橋立に遊びに行った。そのとき、JRの時刻表をしらべたので、おぼえてる。
嵯峨野線の特急は、城崎行きの『きのさき』と、天橋立行きの『はしだて』。一時間に一本ずつくらいで、交互に出ている。
まだ僕は城崎には行ったことがない。ふだんなら、楽しい小旅行だ。でも、このときは、それどころじゃなかった。
道中、うかんでくるのは井上さんのことばかり。
八波と二人で、なんのために城崎になんて行ったのか。
逃亡にしては変な場所だ。まさか、やけになって自殺なんてしないよね?
ワープして現地に行けないことが、本気で、うらめしい。
(どうか早まったことしないで。井上さん)
心から、僕は祈った。
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