三章 呪われるバースデー 3—3

 *



「蘭さんが、さらわれた!」


 薫の声は室内の全員に聞こえた。

 猛は頭のてっぺんから、つまさきまで、すっと血の気がひいていくような感覚がした。


(やられた!)


 八波の目的は、やはり最初から、蘭だったのだ。

 蘭と権利を折半したいというアレは、おそらく八波の本心だ。


 電話は続いている。

 三村が、たずねた。

「どういうこっちゃ。なんで、蘭が、さらわれたんや」

「さっき、八波が——僕がいけないんだ。どうしよう。失神した蘭さんをつれてった。十分くらい前。僕は今、動けるようになって……」


 そこへ、またもや三村のケータイにメールの着信音が鳴る。

「誰や。こないなときに」

 画面を見た三村の顔が緊張した。

「蘭からやで」


 猛たちは、いっせいに三村のまわりに集まった。

「見せてくれ」


 三村がメールをひらく。

 それは写メだった。

 場所は、たぶん車のなか。後部座席らしきところで、ぐったりしている蘭が写っている。八波が蘭の肩をだいていた。


 これを見て、栗林と畑中刑事は、それぞれ電話をかける。応援を呼んだり、検問の緊急配備などを手配する。


「猛。これ、蘭からやで」

「足がつかないよう、蘭のケータイを使ったんだ。それより、かーくんと話させてくれるか?」

「クラッシュさせんなや」

「じゃあ、おれの耳元で持っててくれ」


 猛は三村にたのんで、薫と話した。薫は電話の向こうで鼻をぐずぐずさせながら、ことのしだいを説明する。


「ごめんよ。兄ちゃんの言ったとおりだった。僕のせいだ。蘭さんに、もしものことがあったら……」

「とにかく、かーくんは、そこを動くな。今、そっちにも刑事さんが行くから。おれが帰るまで、刑事さんの指示にしたがってるんだぞ」


 電話を切って、猛は畑中刑事に事態を述べる。


「——というわけです。八波には、井上という共犯の女がいます」

「井上なんていうんや? 下の名前は?」

「おれは知らない。でも、蘭の中二のクラスメートです」


 このあいだに、栗林刑事は蘭のメールが送られてきた中継基地をしらべていた。


「わかりました。畑中さん。下京区からです。だけど、写真、車内ですよね? もう移動しとるんちゃいますか」


 蘭のケータイは、すでに電源が切られていた。GPS機能では探知できなかった。


 武文が悲痛な声をしぼりだす。

「蘭……なんで、おまえが。ねらわれとるんは私やなかったんか」


 猛は自分の考えを話す。

「罠ですね。八波は最初から、これが目的だったんだ。殺人をくりかえすことで、おれたちは、やつが日記の内容を真実にしようとしてると考えた。それが、やつの狙いだったんです。次に同じような日記が届けば、当然、また同じ行動をとると推測する。つまり、蘭の周辺を手薄にして、つれだすための——」


 武文は座卓に、つっぷすようにして、くずれた。今にも卒倒しそうだ。

 そんな父親を見て、武臣は口元をゆがめる。ふてくされたように部屋を出ていく。

 弟が病んだ異常者に拉致されたというのに、薄情このうえない。

 武臣の態度は気になる。しかし、今は蘭をとりもどすことが先決だ。


「畑中さん。おれのやりかたで、蘭をさがしてみます。もしも何かわかったら、連絡します。ケータイの番号、教えてもらっていいですか?」

「ああ。かめへんよ」


 電話番号を交換する。

 そののち、猛は三村とともに五条のマンションに帰った。

 マンションには、すでに警察が到着していた。固定電話に、いろいろ機械をつけている。


「兄ちゃん……」

 猛を見て、薫が、ぼろぼろ涙をこぼす。何も言うことができないようすで、抱きついてくる。

 不謹慎だが、猛は嬉しかった。


(ごめんな。薫。悪い兄ちゃんで。おまえが失恋と自己嫌悪のダブルパンチで泣いてるときに……うれしいよ。やっぱり、おまえが一番、頼りにしてるのは、おれなんだって)


 いつまで、こうして、兄弟二人でいられるのだろう?

 さきに死ぬのは、猛なのか。それとも、薫なのか。

 生き残るほうが、より長く、つらいことはわかっている。

 もういない人たちのことを思いながら、一人、生き続けるのは。


 だから、一日でも長く、こうして二人で歩んでいきたい。

 誰にも二人のジャマをされたくない。

 恋よりも固い絆で、いつも結ばれていたい。


 でも、それは許されぬことなのだろう。

 薫が誰かを愛し、猛の手をはなれていくときが来たら、さみしくても祝福してやらなければならない。それが兄弟というものだ。

 そのときが今でなかったことを心から喜んでしまう。

 まだまだ、自分は未熟者だ。


「薫。蘭は絶対に助ける。な? もう泣くな」

「兄ちゃん……」

 猛は薫の頭をなでまわした。


 そのあと、警察の無線連絡から、八波が京都駅で目撃されたことがわかった。

 蘭をつれた黒服の男が、京都駅でタクシーを下車している。井上らしき若い女も同乗していた。

 ぐあいの悪そうな蘭を、二人が両側から支えて歩かせていたという。


 そこからの三人の足どりは、まだ、つかめてない。

 京都駅なら新幹線も止まる。地下鉄、近鉄とも連絡している。市バスや長距離バスという手段もある。関空行きのバスも出ている。

 警察は的をしぼれないでいる。


 それを見て、猛は兄弟が使う寝室に入った。

 猛の捜査に必須のポラロイドカメラ。ちゃんと自宅から持ってきている。

 フリーライターだった父の形見。

 このカメラと相性がいいのは、そういう心理的な作用もあるのだろう。

 ベッドに腰かけると、猛はカメラを両手にのせた。いつもより念入りに、意識を集中させる。蘭に呼びかけるつもりで。


(蘭。おまえの居場所を教えてくれ)


 シャッターを切る音。

 出てきたフィルムには、手足をしばられた蘭の姿が焼きつけられている。どこかの室内のようだ。

 これだけなら、今のところケガはないとしか言えない。


 しかし、画面の奥に、目をひくものが写りこんでいる。窓の外に、くっきりと赤と白のコントラスト。

 京都タワーだ。

 蘭は今、京都タワーの見える部屋にいる。

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